【唐澤貴洋殺す】雑談★44【開示すら出来ない無能】 (1000)

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912 - 塘懌䝿拝 2013/10/27(日) 20:52:03 ID:1KXsuN3w

「声なき声に力を/愛なき時代に愛を」を音素レベルで分析してみると
koe-naki-koe-ni-chi-kara-wo
ai-naki-jidai-ni-ai-wo
*ここで愛(ai)と時代(ji/dai)で韻を踏んでいる点に注意しておきたい

それぞれを記号分類してみると以下のような進行になる
koe(A)-naki(B)-koe(A)-ni(C)-chikara(D)-wo(E)
ai(A')-naki(B)-ji/dai(A#)-ni(C)-ai(A')-wo(E)
A-B-A-C-D-E
A'-B-A#-C-A'-E

偶数節にあたる「〜なき〜に〜を」が基本構造であるとすれば、統一性が保たれていないのはむしろ奇数節がA-A-Dとなってしまっている一行目の「力」だ
しかし、音よりも意味を重視したと思われるこの「力」の部分は、chiの部分をはっきり発音することによってその必然性が見えてくる
すなわち、chiの「イ」の発音の勢いを保ちつつ次の「アイなき時ダイにアイを」を読めば、aiの「i」の部分の連続性が見出され、力が愛へと変わっていく様が途切れることなく描かれていることがわかる
(試しにゆっくり大声で読んでみるとその一貫性、そして最後の「愛を」の部分への精神的な盛り上がりが指数関数的に増加していくさまが体感できるはず)

行を跨いでも決して音に断絶を引き起こさせることのないこうした技巧は、字面ではなく音で言葉を編み出す唐澤先生にしかできない詩制作(ポイエーシス)であると言えよう