安倍晋三、官房機密費を使ってIOCに贈答品を渡していたことが暴露される (414)

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290 - エッヂの名無し 2023/11/17(金) 22:00:59.556 ID:uLyXh1qxs

https://www.shogakukan.co.jp/news/136812?amp
「晋ちゃんには、一旦思い込んだら何が何でもやり通さないと収まらない頑固さがある」

これは「安倍家の生き字引」と呼ばれた養育係・久保ウメの言葉である。
ウメは安倍晋三首相が2歳5か月「おむつが取れるかどうかという頃」から、小泉政権で官房副長官、幹事長を務めた時代まで40年以上にわたって安倍家に仕え、独身を通した。

ウメは両親が不在がちだった安倍家の幼い兄弟にとって、母親代わりの存在だった。晋三少年はいつもウメに「おんぶ」をねだり、中学生になっても彼女のふとんに潜り込んできて、「こっちのほうが、あったかいや」と甘えたという。
甘えん坊で頑固、自分の思い通りにならないと癇癪を起こした晋三少年は、ウメを手こずらせた。いたずらなら、まだいい。問題は学校の宿題をやらないことだったという。

「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。
でも、学校でそれが許されるはずはない。あと1週間でノートを全部埋めてきなさいと罰が出る。ノート1冊を埋めるのは大変です。私がかわりに左手で書いて、疲れるとママに代わった」(ウメ)

両親の愛に飢え、母代りのウメを困らせて寂しさを埋めていた少年は、一方で「優しいおじいちゃん」だった岸 信介・元首相に溺愛され、依存した。
東京・渋谷の南平台にあった岸邸で日々、夕食を摂っていた頃、塀の外には日米安保改定に反対するデモ隊が連日押し寄せていた。安倍氏は"おじいちゃんの敵"であるリベラル派を憎悪するようになった。

長じた安倍氏は、成蹊大学時代にはアルファロメオで通学し、友人と雀荘に通い詰め、学習院大のアーチェリー部との合コンに青春を燃やした。
この頃、政治的な言動は鳴りを潜めていたようだが、友人たちは憲法改正について熱弁を振るう姿も覚えている。

大学卒業後はアメリカに留学。ところが、名門である南カリフォルニア大学での勉強は1年足らずで挫折し、政治学科の単位はゼロ。
ホームシックから連日、日本の自宅にコレクトコールをかけ、1か月の電話代が10万円を超えることが続いたため、父・晋太郎氏が「それなら帰国させろ」と激怒したこともあった。