日本史学習スレ inバリュケー (249)

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91 - ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY 2021/10/05(火) 03:20:24.39 ID:Z+IjNdEC0

当職も>>89師に近い考えでふ
>>90にもある通り交易面での政策は良いと思うのでふが、平安時代末頃の武士の多くが荘園の管理をして生活していたのでふが、
荘園の大本の貸主は寺院であり、その寺院を保有しているのが貴族サイドで権力を持っていた国司でふので武士も実は農民同様、税の取り立てに関して嫌な思いをしました
反発すれば最悪荘園の管理権を奪われることもあったようで、武士の権力は安定したものではありませんでした
平清盛が政界進出した際に多くの武士は威張り散らしている国司に対して何か政策を施すことで武士の権力を安定させてくれるやろ、
清盛さんは武士サイドの人間だから武士の為を思った世の中に変えてくれるだろうなと期待したのもつかの間、
清盛は太政大臣になって完全に貴族サイドに立って多くの荘園を手に入れ、更には自分たちの一族(男)は国司に、娘は高倉天皇の后にすることで一族をを天皇家にまで関係を持たせようと、
藤原家と何も変わらないことをしたわけでふので武士たちは期待を裏切られて大憤慨間違いなしでしょう
だからこそ生まれた言葉が「平氏にあらずんば人にあらず」なんでふよね
実権に溺れた平家の言葉と考えるとまた違った見方もできまふ
こうして平家と関係の薄い武士は打倒平家へ方向を向けるようになりました
加えて皇室や摂関、寺院などの所謂旧勢力も平家に辟易して協力したとも言われておりまふ
一方貴族サイドからも平清盛へ不満を募らせるようになったのも平家衰退の原因にも繋がりまふ
>>89にもある福原京遷都の目的は大輪田泊との距離を近づけて経済力を高めるため、 源頼政や寺院などによる不安要素を払拭するためとされているのでふが、この遷都を巡っても平安京の貴族と反発していまふ
政治に関しても後白河上皇から政治の権力を奪って自分勝手にやったというのも貴族が不満を募らせた原因でふね
要するに武士からも貴族からも皇室からも反感を買ったため、頼朝云々関係なく、安泰な世の中にはなっていなかったと思いまふ