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エッジ上の名無し
2023/10/01(日) 03:02:38 ID:4b85BYvw
1952年、インパール作戦の非難に耐えきれなくなった牟田口は、藤原の自宅を来訪し助言を求めにきたという。藤原は「武運が軍に背を向けた悲運は無念ですが、矢張りこの責任は閣下に負っていただなかなければなりません。敗軍の将は兵を語らずと申します。閣下は生涯黙して語らずに、只管自責の悟道に徹してください。そして麾下戦没将兵の冥福を只管に祈念精行してください」と訴えた。
数ヶ月後、藤原の前に現れた牟田口は「自分の立場を表明もせずに世を去ることは、後世の史家を誤らせる」と主張してきた。藤原は隠忍自重を求めたが、牟田口は納得しなかった。そこで藤原は思い切って、あくまで研究資料として回想録を執筆し、30年間公表しないことを前提に国会図書館に納めてはどうか、と提案したという。
1962年秋、第12師団に在勤していた藤原のもとに、牟田口から一通の封書が届いた。封書には、バーカー元イギリス軍中佐のインパール作戦成功の可能性に言及した来信が同封されていた。この頃を境に牟田口は自己弁護活動を行うようになり、藤原は失望と悲しい思いになったという。自信を取り戻した牟田口は、藤原に自衛隊幹部の前で講演する機会を設けてくれと要請してきた。藤原は即座に断った[11]。
藤原くん冷たすぎやろ…
数ヶ月後、藤原の前に現れた牟田口は「自分の立場を表明もせずに世を去ることは、後世の史家を誤らせる」と主張してきた。藤原は隠忍自重を求めたが、牟田口は納得しなかった。そこで藤原は思い切って、あくまで研究資料として回想録を執筆し、30年間公表しないことを前提に国会図書館に納めてはどうか、と提案したという。
1962年秋、第12師団に在勤していた藤原のもとに、牟田口から一通の封書が届いた。封書には、バーカー元イギリス軍中佐のインパール作戦成功の可能性に言及した来信が同封されていた。この頃を境に牟田口は自己弁護活動を行うようになり、藤原は失望と悲しい思いになったという。自信を取り戻した牟田口は、藤原に自衛隊幹部の前で講演する機会を設けてくれと要請してきた。藤原は即座に断った[11]。
藤原くん冷たすぎやろ…