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616 エッヂの名無し (L20 OBsT-4aZ6) 2024/02/25(日) 18:08:30.148 ID:c5b4U1btr
田辺のいい話


田辺裕信と競馬学校の同期だった竹本貴志。競馬学校を一緒に卒業したものの、騎手免許試験時にけがをするなど不運が続き、彼のデビューは2年遅れになった。

 2004年にデビューし、すぐに初勝利を挙げた竹本は、3月28日、中山競馬で障害レースに騎乗した。

「当日は僕も中山競馬場にいました」と田辺は言い、さらに続けた。

「障害レースだったので、レース前に“気をつけて乗ってこいよ”と声をかけました」

 結果的にこれが最後の会話になってしまったという。竹本の乗った馬は途中の障害飛越の際、つまずいて落馬。頭を強く打った彼は意識不明となり、すぐに病院に運ばれた。

「自分も行ける状態になり次第、病院へ向かいました」

 その後も毎日、美浦から船橋の病院に通った。しかし、病院側から聞かされる状況は一向に良くならなかった。面会はおろか、意識が戻らない状況が続いているという。やがて、家族が呼ばれたらしいことを耳にした田辺は「まさか…」と思いつつも、最悪の事態が頭の中をよぎることになった。そして、落馬から5日後の4月2日、竹本は帰らぬ人となってしまった。

「不運が続いて皆より2年遅れでやっと騎手になれたのに、あっという間に逝ってしまいました」

 デビューの02年にはこれも同期の井西泰政を交通事故で失い、それから2年とたたないうちにまた1人、仲の良かった同期が自らの意思に反する形で命を絶たれた。彼らの無念を思うと、田辺はやり切れない気持ちになった。

「井西の家族は世田谷に住んでいたけど、彼が亡くなった後、中山競馬場の近くにお墓を立てて、家族もそのあたりに引っ越してきました。僕が勝てばメールをくれるし、家を訪ねさせてもらったこともあります。
竹本の家族は広島に住んでいるので、僕が小倉に滞在の時はよく家に遊びに行かせてもらっています。彼のお兄さんとも仲良くさせてもらっているし、お父さんも気にかけてくれていて、今でもよく連絡をくださいます」

 井西も竹本も亡くなってしまったが、彼らの家族との親交は現在でも続いているという。

「家族の皆も、息子が志半ばで逝ってしまったことは残念に思っているはずです。僕は本当の息子ではないけど、2人の分まで少しでも頑張って残された家族にその姿を見て応援してもらいたい。そんな気持ちで乗っています」

 さらに続けて言う。

「だからちょっとしたことで騎手を辞めようとは考えないようにしています」

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