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エッヂの名無し (L20 gwpY-4cVw)
2024/03/01(金) 18:36:00.110 ID:yB7gD4Abz
2006年は北橋厩舎の解散と同時に、園田から岩田くんが移籍してきた年でもあった。結果からいうと、この年、岩田くんは126勝で全国3位、自分は88勝で全国9位。園田から乗りにきているころはそれほど意識していなかったが、さすがにこれだけ勝たれたらそうはいかなくなった。黒船来襲──自分にとってはそれくらいの出来事だった。
それは、同世代(実際には岩田くんのほうが2つ年上だが)だったということも多分にある。語弊を恐れずにいえば、同期を意識したのは、“新人賞を獲らなければいけない”と思った1年目だけで、年齢が近い人たちに対して危機感を抱いたことはなかった。だから、ジョッキーになって初めて、誰かと自分を比較して焦りのようなものを感じたのだ。
もうひとつ、岩田くんを意識せざるを得なかったのは、エージェントが同じ人物だったということもある。確かに自分もいい馬に乗せてもらっていたが、岩田くんはそれ以上に見えた。実際、すごい勢いで勝っていたし、たとえばダービーひとつをとっても毎年のように有力馬の騎乗を任されていた。
そんな岩田くんへの意識が、いつしか自分のなかでストレスになっていった。そのストレスの源は、ほかでもない自分のなかに生じた岩田くんに対する“やっかみ”だ。当時はそんな自分の気持ちを認めたくなかったが、今ならそのときの気持ちと向き合うことができる。つくづく男のジェラシーほどみっともないものはない。
岩田康誠ってこのへんの話やろ
それは、同世代(実際には岩田くんのほうが2つ年上だが)だったということも多分にある。語弊を恐れずにいえば、同期を意識したのは、“新人賞を獲らなければいけない”と思った1年目だけで、年齢が近い人たちに対して危機感を抱いたことはなかった。だから、ジョッキーになって初めて、誰かと自分を比較して焦りのようなものを感じたのだ。
もうひとつ、岩田くんを意識せざるを得なかったのは、エージェントが同じ人物だったということもある。確かに自分もいい馬に乗せてもらっていたが、岩田くんはそれ以上に見えた。実際、すごい勢いで勝っていたし、たとえばダービーひとつをとっても毎年のように有力馬の騎乗を任されていた。
そんな岩田くんへの意識が、いつしか自分のなかでストレスになっていった。そのストレスの源は、ほかでもない自分のなかに生じた岩田くんに対する“やっかみ”だ。当時はそんな自分の気持ちを認めたくなかったが、今ならそのときの気持ちと向き合うことができる。つくづく男のジェラシーほどみっともないものはない。
岩田康誠ってこのへんの話やろ