130
エッヂの名無し (L20 h9pl-4pVw)
2024/06/01(土) 19:05:52.783 ID:PeXn83qvU
「タマモクロスは勝ち切れない時があったけど、それでも先生(調教師の小原伊佐美)がずっと乗せてくれて。3歳の秋に京都で(藤森特別を)勝ったことで菊花賞にも出られたんですが、そういう時も菊花賞を使わないで鳴尾記念(GII、阪神、芝2500メートル)に出て……」
重賞初出走で、2着に6馬身差をつけて圧勝した。
「その時点で小原先生が僕に乗せてくれたのが、やっぱり僕にチャンスを与えてくれたんだよね。天皇賞まで乗せてくれたのは。小原先生のおかげだし、オーナー(タマモ)のおかげ。ずっとタマモさんの馬に乗せてもらえたし、(僕が)調教師になってからは馬を預けてくれて重賞も勝つことができた」
その年に34歳にして初めて関西リーディングジョッキーとなった南井は翌1988年、タマモクロスとのコンビで初のGIタイトルを獲得する。金杯(京都)と阪神大賞典を勝ち、重賞3連勝で臨んだ天皇賞(春)を制覇。続く宝塚記念も快勝してGI連勝を決めた。
そこに「大レースを勝てない」と言われた、かつての南井克巳の姿はなかった。
タマモクロスに出会えたのも、ふたりの師匠から学んだことを積み重ねてきたからこそ。その思いが南井にはある。それを「人と人との絆」という言葉に置き換えてもいい。
「今はもう騎手変更、騎手変更ばっかりでしょ。ある程度、馬が走ったら外国人ジョッキーに乗せたりね。大手のオーナーや牧場はそういうふうに決めているでしょ。昔は乗れなかった僕だって、そういうチャンスを与えていただいて大レースを勝つことができた」
◇ ◇ ◇
ナリタブライアンの記憶を今も強く刻み付けているのは、主戦だった南井だけではない。ライバルとなったマヤノトップガンの主戦騎手だった「消えた天才ジョッキー」田原成貴にも会いに行くことになった。著者が久々の再会を果たした田原は、武豊が跨ったナリタブライアンとの伝説的レースとなった96年の阪神大賞典について、熱く語り出した。
聞いてるか堀
聞いてるかキムテツ
重賞初出走で、2着に6馬身差をつけて圧勝した。
「その時点で小原先生が僕に乗せてくれたのが、やっぱり僕にチャンスを与えてくれたんだよね。天皇賞まで乗せてくれたのは。小原先生のおかげだし、オーナー(タマモ)のおかげ。ずっとタマモさんの馬に乗せてもらえたし、(僕が)調教師になってからは馬を預けてくれて重賞も勝つことができた」
その年に34歳にして初めて関西リーディングジョッキーとなった南井は翌1988年、タマモクロスとのコンビで初のGIタイトルを獲得する。金杯(京都)と阪神大賞典を勝ち、重賞3連勝で臨んだ天皇賞(春)を制覇。続く宝塚記念も快勝してGI連勝を決めた。
そこに「大レースを勝てない」と言われた、かつての南井克巳の姿はなかった。
タマモクロスに出会えたのも、ふたりの師匠から学んだことを積み重ねてきたからこそ。その思いが南井にはある。それを「人と人との絆」という言葉に置き換えてもいい。
「今はもう騎手変更、騎手変更ばっかりでしょ。ある程度、馬が走ったら外国人ジョッキーに乗せたりね。大手のオーナーや牧場はそういうふうに決めているでしょ。昔は乗れなかった僕だって、そういうチャンスを与えていただいて大レースを勝つことができた」
◇ ◇ ◇
ナリタブライアンの記憶を今も強く刻み付けているのは、主戦だった南井だけではない。ライバルとなったマヤノトップガンの主戦騎手だった「消えた天才ジョッキー」田原成貴にも会いに行くことになった。著者が久々の再会を果たした田原は、武豊が跨ったナリタブライアンとの伝説的レースとなった96年の阪神大賞典について、熱く語り出した。
聞いてるか堀
聞いてるかキムテツ