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●今日は仏ダービー (1000)

224 エッヂの名無し (L17 xoG1-6tQI) 2024/06/02(日) 22:58:43.642 ID:PZ9gOmCp8
これやな

ヤマニングローバルは、1989年9月17日、阪神芝1400mで行われた旧3歳新馬戦でデビューし、3馬身差で勝利をおさめる。

 実は、この日は、武と浅見にとって、いや、日本の競馬界全体にとって、特別な日となるのだった。武は、その少し前、8月の終わりから9月の初めにかけて、初の海外遠征に出ていた。アメリカのアーリントン国際競馬場(当時の名称)である。そこで彼は、以前からアメリカの競馬雑誌を見て気になっていた、騎手の体のラインがはっきり出る勝負服を試着させてもらった。利点を訊くと、伸縮性のある生地を用いて肌に密着させるのは空気抵抗を軽減するためで、「エアロフォーム」と呼ばれていることを知った。

 帰国後、それを勝負服の業者に話しても動いてくれなかったが、浅見に言うと、すぐアシックスに話を通し、製作に取りかかってくれた。そうして完成した日本初のエアロフォームは、「ヤマニン」の冠がつく馬の水色の勝負服だった。

 武が実戦で初めてエアロフォームを着たのは、ヤマニングローバルがデビューした日の第1レースだった。

「ヤマニンノッカーという馬に乗って、ダート1800mの未勝利戦に出ました。それほど人気してなかったのに(3番人気)、ポンと勝っちゃった。同じ勝負服で臨んだ第4レースのヤマニングローバルも馬なりで楽勝だったんです」

 本邦初のエアロフォームは2戦2勝。当時の日本の勝負服はパタパタと風にはためくものばかりだったが、この日を機にエアロフォームを採用する厩舎や馬主が増え、やがてそちらが主流になっていく。

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