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783 エッヂの名無し (L20 y4pp-43Zy) 2024/09/19(木) 21:18:23.111 ID:qQUVroqlM
>>778
https://tospo-keiba.jp/kitamurayuichi/15680
「壁の絵を見ながら、先生はこのように言っていました。“この姿勢で乗れるのが俺の理想だ”と。その絵のモチーフが誰なのか? 詳細はわからなかったけれど、先生の理想は僕の理想と重なっていきました」

 しかし、理想と現実はかみ合わない。思うように騎乗数が増えず、伸び悩みに近い状況になってしまう。意を決した北村は、夏の北海道シリーズへの参戦を決意した。

「このころは減量騎手の人数が多く、僕の技術不足とコミュニケーション能力が低かったので、なかなか騎乗機会には恵まれませんでした。そこで、僕の意思で北海道に行かせてもらうことにしたんです」

 多くの関係者と知り合い、活躍への糸口をつかむ。自分の力で騎乗機会を獲得したい、という気持ちが強かった。実際、少しずつ人脈が広がっていく感触もあった。自厩舎はもちろん、様々な厩舎からの調教依頼が増えていく。だが、この状況が田島厩舎の所属から、フリーとなる原因をつくってしまった。他厩舎の朝一番の調教依頼――。これを受けてしまったことがきっかけだった。

「栗東にいる田島先生から“うちの厩舎を辞めるつもりなのか?”と。そのように聞かれたときは面食らいました。どこからか先生の耳に入り、すぐに電話がかかってきたんです。もちろん、このまま田島厩舎所属で頑張りたいです、と僕は答えました」

 しかし、翌日――。再び電話が鳴る。公正室からだった。聞けば、フリーの申請書が届いているという。どういうことなのか? なぜ所属を辞めなければならない事態にまで発展しているのか? 北村には理解ができなかった。

「朝一番の調教は自厩舎を優先するのが当然。このように田島先生は考えておられたのだと思います。まだ騎手としての考えが未熟だった僕はそこまで頭が回らず、職人気質だった先生の信頼を完全に失っていました。その溝は埋めることができず、田島先生との師弟関係は“破門”という最悪の形で、終わりを告げてしまったんです」

 その場でフリーの申請をした。しなくてはならなかった。フリーになることなど、計画もしていなかった北村の頭の中は真っ白になってしまったという。

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