なるほど告知欄じゃねーの

■掲示板に戻る■ 全部 1- 101- 201- 301- 401- 最新50
[PR]EXぜろちゃんねる[PR]
 

【速報】津波警報発令 (461)

320 エッヂの名無し 2024/09/24(火) 08:43:36.767 ID:Aq1nn6MOd
>>240
ヤベェ奴で草


1900年(明治33年)、八丈島の豪商だった玉置半右衛門が組織した八丈島民23人の開拓団が60日あまりの難航海の末に南大東島の西側海岸に上陸し、断崖をしがみついて登り島内に侵入。淡水の池を発見し、翌々年から黒砂糖の製造を開始した。

開拓地での一攫千金を夢見る移住者は増えていった。島内では日本円が事実上通用せず、玉置商会〜大日本製糖の歴代支配者が発行した物品交換券が実質的には紙幣として流通。学校・病院・交通・通信・郵便などの事業は社営であり、さらに警察機構すらも会社からの嘱託で運営されていた。島の最高指導者は製糖工場の所長だ。

「島外に出るのも会社が発行する出向許可証が必要だったんですが、『優秀な人ほど発行されない』(=島にとどめ置かれる)という噂があったといいますね。あと、警察がえこひいきをして、八丈系の人たちは悪いことをしてもつかまらないとか……」

 私が話を聞いた50代の島民(父親の代に移住、沖縄系)はこう話す。往年、島民たちは自由な移動も認められぬまま重労働を強いられ、しかも生産物は安く買い上げられた。病気をしても犯罪が起きても、島の支配者である会社に頼るしかない。

 当然、住民たち自身による民主的な意思決定システムは存在せず──。などという話以前の問題として、戦前のこの島にはそもそも日本政府の地方行政がおよんでおらず、町村すら設置されていなかった。

51KB
続きを読む



READ ONLY

READ.CGI - ex0ch BBS dev-r176 20241020
EXぜろちゃんねる