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アサケー哲学部

7 レス · dat原文

「オメラスから歩み去る人々」というル・グウィンの短編があります。 ひとりの子供を考えうる最低最悪の不幸な状態に置くことによって、 それ以外の全員が満ち足りた幸福の中にいる架空の町「オメラス」を舞台にした物語です。 タイトルにもある通り、このオメラスの町からは何を思ってか時々歩み去る人々がいます。 しかし当職は、私は思いました。もしもこのひとりの子供が、ひとりの唐澤貴洋であったなら? 果たしてどれだけの人がオメラスから去ることを選ぶのか。自問自答する日々。
去らんやろなあ
唐澤貴洋に同情とかするやつなんていないから一生酷い目にあわせて幸せになれるならそれでいいと思う
唐澤貴洋なら去らんやろ むしろ当職だけ不公平ナリお前が代わりになるナリとかいって 厚史生贄にしそう
尊師が子供でない(責任能力がある) 社会的弱者でない 拠り所(洋)がある 軽視できない落ち度がある 同情もなければ鎮火もないやろなあ
この板で倫理を語り合うという試み、大変興味深いですを
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E6.B4.BE.E7.94.9F.E5.95.8F.E9.A1.8C トロッコ問題(派生)についても「橋にいるかなり体重があるCさん」が唐澤貴洋であれば、 これを線路上に突き落とすことをためらう人は相当数減るものと思われます われわれ人間が行為に対し抱く感情は、 行為の対象者が持つ属性によってたやすく変化し得るという事実 身が震える。