頭唐澤貴洋な当職が画像を貼り間違えていたせいで論争が起き申し訳ございません
典男が載っている人事興信録45版はこちらになります
http://i.imgur.com/40RSSpu.jpg
人事興信録45版が発行されたのは2009年1月ですので佑典君は2008年4月には少なくとも大学1年生だったことになります
そうすると2013年4月には6年生ということになります
しかし愛媛大学の河野佑典さんは2012年2月にはまだ3年生です
http://user.shikoku.ne.jp/takobaya/aijk/contents/sokai/sokai0.html
つまり他人ということです
河野イコール河野一族と考えてしまう。これはいけない。
河野茂典の悲劇を繰り返してはない。
大分や愛媛の河野が出てきたら要注意ですを
唐澤貴洋一族追求スレ
451 レス · dat原文
典男さんって大田区在住のようだけど一英の近くに住んでんのかな
喜久さんも大田区、モトキ商事も大田区、三郎さんは東京都勤務…兄弟皆固まってたのね
英二さんだけ山形だ
>>202
大田区在「籍」(本籍のあるところ)
河野家のようないわゆる「紳士」は閥(門閥、閨閥、出身地閥、学閥…)を重視するので、
住所の他に本籍の所在地を載せる必要があるわけです
典男は日吉の人ですを
また大森のモトキ商事の所在地には現在無関係のテナントが入っています
とりあえず取り急ぎ
一英が関与している またはしていた会社
シンシ(=伸始工業) 東京都大田区下丸子
http://www.shinshi-kk.com/company/
化学工業日報 東京都中央区日本橋浜町
http://www.chemicaldaily.co.jp/corporate/
日東工器 東京都大田区仲池上
http://www.nitto-kohki.co.jp/company/outline/
味の浜藤 東京都江東区東雲
http://www.hamato.co.jp/AjinoHmato/CO/newCO_info.html
日本ライフライン 東京都品川区東品川
http://www.jll.co.jp/corporate/overview.html
オーデリック(=オーヤマ照明) 東京都杉並区宮前
http://www.odelic.co.jp/company/info.html
横浜化成 東京都港区芝
http://www.yokohamakasei.com/company/overview.html
松田産業 東京都新宿区西新宿 (監査法人が新日本有限責任監査法人)
http://www.matsuda-sangyo.co.jp/company/about.html
北硫産業 東京都千代田区内神田
http://9199.jp/phone_page/08764040/
>>203
なるほど
いや勉強になったよ、
日吉といえば吉信さんもその辺りに住んでいたような
>>205
典男は東急建設の横浜支店長を経験しているので、その時にマイサティアンを購入したのかもしれません
横浜支店までは車で30分ほどです
日吉という街を開発したのは東急グループなので多少割引等の優遇措置があったかもしれません
あらためて例のコピペを検証
河野敏鎌 ←広島県とは無関係
├─河野長敏 ←紳士録には敏鎌との関係を示す記述は無い
├─嘉男 ←壽男の間違い
└─徳三郎 ←同姓同名の人物が紳士録や興信録に載っているだけ、そもそもその手の本には所有する土地の情報は載っていない
└─河野一三 ←ここまで調査できたなら唯一を知らないはずがない
ということで全くのデタラメですを
作者はしっかり罪を認識しなさい。
wikiにもある一三が平田百貨店重役という記述もかなり疑わしい
調べても載っていないか、せいぜい単に会社員としてしか出てこない
そもそもとして一三が朝鮮にいた頃には平田百貨店が無い
帰国後も平田商店に関わり続けて取締役みたいなのやってた可能性までは否定できないが積極的に肯定する材料は無い
>>206
典男の家までサティアンなのか(困惑)
しかし田園調布を作ったのも東急の始祖にあたる会社だし東急と尊師一族は切っても切り離せないな
曽祖父が五島慶太と仲良くて、大叔父が東急建設・世紀東急工業のトップに上り詰め、末裔尊師の尊敬する人物が五島慶太というのも凄いなぁ…
出龍も東急のおこぼれ貰って監査の仕事してるし
>>207
あの真実性の欠片もない記述は修正して欲しいわ
ただ、このスレでは平田百貨店前身の平田屋(>>66、>>77参照)に関与してるのではないかと言われております、とりとり
一三の顔の広さを考えればただ単に平田屋の創業者と仲よかっただけかもしれないが
尊師も言ってた「誤った情報」ってのは>>207のことかな
>>209
それもそうだし茂典が一族扱いされてたからなあ
尊師がどこまで自分の一族知ってるかは謎だが
河野唯一について
https://books.google.co.jp/books?id=0BlCAQAAMAAJ&q=河野唯一
>... 三郎茨城同 O 同同若椹蟹義矗矗同 O 同同安田新之十大分同 O 同同柳田兵次郎
>擅山同 O 同同河野唯一盧島同 O 同中村吉春石川同 O 同岫抓三浦精之進宮城同
>O 同勳八久保田忠吉蟲野同 O 同勳八向後新藏千彙同.同同佐竹光雄?-同.同同澤谷
>廣藏兵盧同 O 同同金高鶴吉廣矗同 O 同同岩間傅藏山梨(|佻圜矚大耕?支鵬大呷.
「中村吉春石川」「三浦精之進宮城」「岩間傅藏山梨」などの例から人名+出身県だと推察される
とすると盧島は廣島のOCR認識ミスだと考えるのが妥当
1913年に働ける年齢になっていた広島出身の河野唯一さんはそう多くはないはず
台湾総督府警察職員録は残念ながら国会図書館デジタルコレクションに無いため、
唯一と共に挙げられている人物について調べた
安田新之十(大分) 1924年に竹東郡役所警察課の警部補 who.ith.sinica.edu.tw/viewDo.action?doName=b131b0292.pdf
柳田兵次郎(富山か) 不明
河野唯一(広島) 不明
中村吉春(石川) 不明
三浦精之進(宮城) 不明
久保田忠吉(長野か) 不明
向後新蔵(千葉) 1919年に花蓮港庁警務課の警部補 who.ith.sinica.edu.tw/viewDo.action?doName=b081b0375.pdf
佐竹光雄(不明) 不明
澤谷廣蔵(兵庫) 不明
金高鶴吉(広島) 1924年に大渓郡役所警察課の警部 who.ith.sinica.edu.tw/viewDo.action?doName=b131b0291.pdf
岩間傳蔵(山梨) 1922年に花蓮港庁研海区の書記 who.ith.sinica.edu.tw/viewDo.action?doName=b111b0433.pdf
全く何も分からなかったというのも凄いなぁ。
デジタル化の際のミスも疑い台湾総督府職員録系統(who.ith.sinica.edu.tw)で「河野*一」で検索しても見つからず
ついでに
「大分の」河野一三という人が台湾にいたのでやはり大分愛媛は危険だと思った一瞬でした。
ttp://who.ith.sinica.edu.tw/viewDo.action?doName=c091b0323.pdf
その職員録は現存してるんですかね
唐揚げ
唯一と一三の親父は当然名前に「一」が入ってるんやろなあ
一番最初に名前に「一」の字を付けられたのは誰なのか気になるナリね
当職は唯一が長男で十三は三男、河野十二が間にいると想像しております
>>214
漢数字につられて十三と書いてしまった
洋一というのは結構当たってたんだなあと思った一瞬でした
そういえば尊師と厚史も親の名前が入ってますね
河野家の伝統なのですか?1Aさんお答えください。
河野直系じゃないと一は与えられねーわってことなんやろなぁ
國立中央大學日本赤十字社台灣支部之研究(1895-1945)に記載されている河野唯一について
はっきり言って中国語で書かれると読むのが面倒だ。
重要な情報は日本語で書いてもらう事を切に望む。
「討蕃臨時救護班」というものに「1913年6月23日~9月6日」の間「新竹庁管内テンタナ方面」に
「警察救護班」として河野唯一なる人物が派遣されていることが分かったので、
元々の資料である台湾日日新報を確認しようと思ったが、神戸大図書館のデジタルアーカイブには残念ながら1914年からしか無かった
ので河野唯一と一緒に書かれている人名で検索
鈴木次則:生蕃國の今昔 https://books.google.co.jp/books?id=_iRAAQAAIAAJ&q=鈴木次則
>是より先宜蘭購長小松吉久の電報頻々こして線督府に至るあり。曰くキナジー方面番社討伐二六四時三十分、
>柏尾部隊の人夫一名途に狙射せられて傷を負ふや、巡査鈴木次則之を扶けんこして胸を洞かれて死す。
橋本末松:台湾総督府警察職員録 https://books.google.co.jp/books?id=0BlCAQAAMAAJ&q=橋本末松
>同勳八岩男俊夫大分同.同橋本末松
窪田柴次郎、有田定信、岡村初次郎、管原兵右衛門、吉岡一宜:不明
同僚が死亡する職場というのも凄いなあ。
キナジー蕃討伐については以下の通り
理蕃誌稿 第3編
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944263/456
>>216-217
長男?の河野唯一を差し置いて一三が一の字継承させてるのも異常だ。
唯一が早死にするなり子ができないなりで家督を継承したのか、それとも分家として一の字継がせてるのか、
それとも唯一は単に庶長子に過ぎないのか。
一三のお父さんさんお答え下さい。
一三パッパが発掘されることを切に臨む。
村井啓助こと村井甚七について
京城府史 第二巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1921032/593
>龍山居留民団議員氏名 第一回選出議員(明治四十年) 村井甚七(三重)
新撰韓国事情 附・韓国紳士録
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766875/463
>龍山駅構内同受負用達業 村井甚七
朝鮮紳士名鑑
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994444/210
>京城民団役所議員(略)村井甚七
朝鮮在住内地人実業家人名辞典
https://books.google.co.jp/books?id=-vgXAAAAIAAJ&q="甚七" 朝鮮 村井
>... 熊太郞 1x1 中牛に 0 村井甚七名草源一郞高橋千代吉谷口小次郞久米組出張所
鈴鹿郡野史
https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=sGjAgDGdBxkC
からは村井家に関する情報を見つけられなかった
ところで 澤貴洋wikiの「唐澤吉信」の項目にある
>当時の人事禄によると1960年代に横浜市港北下田町465に住んでいたらしく、
>現在そこには京都かつひろDELICATESSEN日吉本店というとんかつ弁当店と経師店がある。
という記述がありますが、その店の住所は「神奈川県横浜市港北区下田町4丁目6-5」と「横浜市港北区下田町465」と同じなのか検証をした教徒はいるのですか?
例えば日本寺院名鑑には「港北区下田町759」という住所が出てくる
現在下田町にある寺は真福寺で、そこの住所は「下田町3丁目11-5」
他にも日本雑誌総覧に俳人鷹羽狩行の住所が「港北区下田町83*」と載っていて、
彼が現在住んでいるのは「下田町 1-**-**」(こちらは引っ越した可能性も否定できない)
とりあえずググれば答えが出てくるという風潮、これはいけない。
×その店の住所は
○その店の住所
ろくに下調べもせずにデタラメに恒心するのはWikipediaも唐澤wikiも同じだと思った一瞬でした。
住居表示が実施される前の地図が手に入れば吉信サティアンがあった場所も特定出来るのではないでしょうか。
当職川崎在住新橋勤務
尊師や河野唐澤一族と生活圏が被りすぎて身が震える
絶対知り合いの知り合いに尊師や尊族がいても可笑しくは無いナリ
このスレほんとこわい
村井啓助の謎
①甚七→啓助への改名(大正十年)
②まだ甚七だったのに息子の名前が「啓三郎」(大正三年)
③長男が「進」、二男が「啓三郎」、三男が「潤三」という脈絡の無さ
パズルのピースが埋まっていく
>河野直子:尊師の叔母、一英の娘。厚子、英代の姉妹と思われる人物。
>河野嘉久:尊師の大叔母、一英の妹。一三の長女。大正15年生。平成8年死去。創価学会文芸部員で父・一三に学会への入信を勧めた。
>河野典子:尊師の従叔母。典男の長女。昭和34年生まれ。東京芸大卒。河野正美と結婚[11]。
>妻は芹澤次郎長女の洋子
wiki恒心するのはいいけどガバガバすぎませんかね…
直子は義理の娘や長男の妻という書き方をしないと誤解を招くし、嘉久とか正美とか次郎とか名前の間違いが多すぎる
ここで出た新情報は追加されるのに以前から指摘されてる「平田百貨店(現・大然閣センター)の重役」は直されてないんだよなぁ
wikiってのはそのゴシップ紙じゃないので……
正しい認識を持ってwikiを編集してほしいと(間)思っています
一英の妻河野(旧姓柳下)喜代について
『明治大学女子部創立十周年記念論文集 : 皇紀二千六百年』に商科二年の柳下喜代という人が寄稿している
この人が一英の妻だとすると26歳で大学2年生という超臥薪嘗胆民になってしまう。これはいけない。
奥様は別人なのですか。一英さんお答え下さい。
柳下喜代さんの論文「インフレーシヨンと物價對策」
imgur.com/Frg7UkA.jpg
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時代背景が違うのでセーフ
戦前期の女性が明治大学に進学しただけでとてつもなく凄いのは明白。
高等女学校(現在の高校に相当)を卒業しただけでも10人に1人程度と言われているので当時で大卒というのは極稀です
そのことからも喜代さんの頭の良さと柳下家が裕福だったということが分かるナリ
空白期間も家業の手伝い等をしていたかもしれないのでセーフ
唐揚げ
>>223
住居表示新旧対照表は横浜市役所に存在します。とりとり。
多分港北区役所とか国会図書館とかにもあるとは思うけど確認はしてません
村井啓三郎の自分語りとご尊顔
http://i.imgur.com/FaGIRVM.jpg
菅谷一族について
菅谷隆介の父親が菅谷益之助、父親の父親が菅谷太郎
人事興信録 第9版には記載なし
人事興信録 第10版
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1078620/965
i.imgur.com/TSrM1DG.jpg
人事興信録 第11版
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072916/1186
i.imgur.com/wsMo6sH.jpg
人事興信録 第12版
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1072976/1016
i.imgur.com/FZzecIi.jpg
人事興信録 第13版
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070509/882
i.imgur.com/AkvAwYH.jpg
人事興信録 第14版
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704391/885
i.imgur.com/y6QqF85.jpg
人事興信録 第15版(マリオ登場、ただし解像度が悪く判読不能)
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123771/269
i.imgur.com/sVqoHEd.jpg
柳下家は見当たらなかった
やたらと母方ばかりが開示される一族というのも凄いなぁ。
菅谷家の写真は手に入らないナリか
>>237
隆介なら恐らく
はいナリ
真理雄も祖父のコネで住友に入ってそうナリね
菅谷隆介について
尊師の近しい親族きっての大物ということもあってやたらと資料がある
ほどほどに
金融財政事情
リュウスケではなくタカスケというのも凄いなぁ。
i.imgur.com/JEFanz8.jpg
銀行時評
i.imgur.com/RNDxcA4.jpg
財界
千葉県に感謝しなさいよ(意味深)
i.imgur.com/7axUSVi.jpg
i.imgur.com/lk2269W.jpg
i.imgur.com/u9o3JIj.jpg
i.imgur.com/J7JaH8G.jpg
ご尊顔
i.imgur.com/B0sA2u0.jpg
村井啓三郎について
経済展望
i.imgur.com/J6FJYoF.jpg
i.imgur.com/MjYzG4r.jpg
河野一三の結婚時期について
人事興信録第11版(1937年)では既婚
i.imgur.com/q9tzbDl.jpg
人事興信録第9版(1934年)には村井啓助の項目が無いため確認できず
大衆人事録は一三の出身を「福島県」とするなどはっきりいって無能なのだが、
第12版(1937年)では既婚
i.imgur.com/RXfyCGf.jpg
第5版(1932年)では房が既婚という記述が無いため未婚か?
i.imgur.com/dLwyAso.jpg
河野一三が住んでいたのは新井宿1019
村井啓助が住んでいたのは新井宿546
>>240
菅谷隆介はイメージ通りの顔ナリね
1920年に一英を産んでるのに籍を入れたのはずっと後なのか?
他の者は父親の名前が書かれてるのに一三は兄唯一が紹介されてるのも疑問
>>241
紹介されるのは恐らくその家の戸主
唯一・一三兄弟のパッパが死んだかなんかで唯一が相続してたのだと思う
その辺は村井啓助のマッマが「高木益弥姉」と紹介されてるのと同じはず
よく考えると一英が生まれてる年には結婚してるナリね
当職 無能
>>242
なるほど
素晴らしい返答に感謝。
唯一氏は台湾で警察をやられていたようですが戸主を相続した時に広島に戻られたのでしょうか
それはそうと唐澤家は洋以外に男の兄弟がおらず尊師に跡取りが出来なかった場合はちょっと悲しいことになりそうだと思った一瞬でした。
洋→貴洋
厚子→厚史
こんな名前つけるとか親子代々性格が捻じ曲がってんだよな呪われた血族の唐澤一家は
厚史はともかく
貴洋は貴い洋だからな
自分の名前を取ってとかそんなちゃちなもんじゃあない
もっと白モミの深い闇がネジ曲がった政治的自己中心的根性が読み取れるよ
自分が貴いものだと信じてやまないんだろうな
>>243
広島はあくまで本籍地のはずなので台湾にいようが広島県河野唯一であることは可能のはずですとり取り
>>244
親の名前を取る命名規則は河野一族およびそのマスオさんのものです
河野??の子→唯「一」・「一」三
河野一三の子→「一」英
河野一英・喜代夫妻の子→「一」郎・「英」「代」・厚子
唐澤洋・厚子夫妻の子→貴「洋」・「厚」史
河野典男・洋子夫妻の子→「典」子・優子
河野勝美・典子夫妻の子→佑「典」
本来の唐澤家にはそんな習慣無さそうなのは
唐澤吉信・菜子夫妻の子が洋という適当さからも明白
あと1913年に台湾で警察やってた広島県の河野唯一が河野一三の兄と同一人物かはまだはっきりしませんとり取り
>>246
広島に代々あるであろう本家の墓の管理や法事の主宰等は家長の務めだと思うのですが、唯一氏が台湾で生涯を終えていたとするとどうなるのか気になります
墓を移転させることも可能とはいえ考えづらいですし
唐揚げ
唐揚げ
沢蟹
登記簿にあった「河野直子」って一英の娘・厚子の姉妹か一郎(一英の息子)の妻?
>>231
当時のMARCHのレベルはまだニッコマレベルだよ 当時私立大学に行ける層なんてほんの一握りのボンボンだけ
ちなみに戦前は早稲田がまだMARCHレベルで慶応は既に一流大学で、軍の学校は今の東大を遥かに凌駕する狭き門
平民・貧民出自の優秀な学生は奨学金で陸軍士官学校or海軍大学or帝国大学がデフォ
>>252
状況的に一郎の妻だとは思われますが確証はありませんとり取り
戦前と現代では母集団が違うのでMARCHだニッコマだといった輪切り偏差値で比較しても仕方がないのではないかと思った一瞬でした。
河野一郎って08年に早死してるみたいだけど死因が気になるところ
唐揚げ
コロッケ
明治以前の「壬申戸籍」は部落差別問題もあって基本親族でも非公開だから
河野一三・唐澤吉信・村井林七以前の代のことを調べるのは困難なんだよなぁ・・・
あーぶり
>>257
役所殴りこみ路線
役所に殴りこみ壬申戸籍を強奪する
尊師は母方なら高祖父まで分かってるのに父方は吉信までしか遡れないのは寂しいな
そもそも洋って紳士録にも載ってないし自分語りも無いとか使えなさすぎ馬鹿じゃないの
根拠のない印象論でしかなくて申し訳ないんだけど、1Aがどうにも広島出身の人間には見えないんだよなあ
当職の出身は、私の出身は広島ですが、1Aの容貌は一般的な広島の老人のそれとあまりにかけ離れてて、むしろ東北の人間に見える
山岡部隊に選ばれたぐらいだしよっぽどの特異例なのだと言われればそれまでではあるが
確かに東北と九州出身者が兵士に向いていたという軍のデーターはあったけど
近衛師団とかは全国の村や郡からそれぞれ最も優秀な若者を選抜して構成されていましたを
それに広島県とはいっても伊予河野氏の末裔の可能性だってある
洋が有力者である河野家の娘婿となったことで有力者一族の仲間入りをしたように
一三も有力者である村井家の娘婿となったことで有力者一族の仲間入りをしたんだと考察している
それに一三と典男は田園調布会社(後の東急グループ)による田園調布宅地開発にも関わっていたみたいだし
典男は年齢的に田園都市株式会社とは無関係なんだよなあ
>>262
>それに広島県とはいっても伊予河野氏の末裔の可能性だってある
「ですから、」リスペクトの急展開は麻を禁じ得ないからやめろ
県ごとに平均顔算出すれば確かに差は有りそうだけど、それより個々人の差の方が遥かに大きいのは街行く人の顔見ても明白
まして一般老年広島県民男性と一般老年伊予河野氏末裔男性の顔に有意な差があるとは思えない
でも尊師の母方の河野一族には特有の顔貌があるのも事実
閉じたムラ社会に行くとムラ全体が似た顔してる気もする
あの遺伝はどこから始まったのですか。一三さんお答え下さい。
河野水軍の末裔
http://blog.murablo.jp/todou/kiji/100337.html
河野子爵家の末裔は大学教授やってるらしい
>>261
それは酷い偏見だわ
アメリカやブラジルで大農場開拓して一旗揚げた広島移民だって普通にいる
>>261
典男が東急建設に入って重役歴任したのはやっぱり父一三が関係してるんじゃないの?
多摩川の治水事業や丸子橋の建設にも一三が関わっているんだし
>>265
「特有の顔貌」ってあの長くて深いほうれい線のこと?
芸州河野家末裔たち
http://8204.teacup.com/yudukijou/bbs/t37/l50
戦国~江戸初期にかけて安芸内陸部(三次など)でも伊予河野氏の末裔が帰農しているし
政治家一族(自民党左派・農水族重鎮)で神奈川の豪農だった方の河野家だって伊予河野氏の末裔を主張しているよ
>>266
「この先生は家系をたどれば河野水軍に行き着き、��
祖父の代には子爵だったという家柄のお方」がなぜ河野子爵家の末裔にすり替わるんですかね(困惑)
河野子爵家(河野敏鎌-寿男)の子孫で祖父が子爵という条件を守ろうとすると、寿男で断絶した家なのでその祖父は必然的に敏鎌or敏鎌の娘婿ということになる
前者なら子爵の庶子(平民)の子だし、後者なら子爵だったのは河野家じゃないからどのみちこの厚遇と条件が合わない
河野姓じゃない(けど河野氏末裔を自称している)別の子爵家じゃないんですかね…
そもそもこの話が与太話なのは明白
入国審査に貴族専門ゲートがあるとか、 イギリス海軍がバルチック艦隊に何度も苦い思いをさせられた、とか…
別に繋がりを否定まではしないが、ネットの与太話を使ってまでどうして伊予河野氏に拘るのか
ぐう正論との出会いに感謝。
当時の英国海軍の懸念はドイツ大洋艦隊でありそれと比べてバルチック艦隊なんて雑魚みたいなもん
苦い思いしていた相手はロシア陸軍でありアフガンやペルシャでのグレートゲームのことと思われ
>>264
一三:田園都市会社→典男:東急建設
一三、平田屋に入社し平田屋が朝鮮京城へ支店を出したのに合わせて京城支店に配属される
↓
朝鮮に進出していた伊勢有数の豪農・村井家と出会い同家の娘婿となる
(当時の朝鮮では多くの日本企業・大地主が進出していた)
↓
内地に帰り、田園調布に邸宅を構える
↓
田園都市会社(後の東急グループ)が田園調布の宅地開発に乗り出す
(関東大震災後の住宅復興・郊外都市計画の一環であり、阪急グループの小林一三による宝塚開発に影響された)
それに合わせて一三も東京実務学校の同地への移転に関与
↓
多摩川の治水事業、丸子橋の建設に尽力
↓
四男の典男が東急建設の重役社長を歴任
>「ロード・I、日本の海軍の名家の方と同席できて喜ばしく思います。
> ロイヤル・ネイビーの者は日本海軍に大きな敬意を抱いています。
> とりわけアドミラル・トーゴーは私にとっても特別な存在なのです」
(中略)
> 『全滅!あのバルチック艦隊が!』
> 『ロード、それだけではありません。バルチック艦隊を撃滅した日本の艦隊は、
> まったくの無傷だそうです』
> 私は絶句してしまいました。我がロイヤル・ネイビーでさえ何度も苦い思いをさせられた、
> 当時世界で最強とも思われたあのいまいましいバルチック艦隊が、
> 相手に何の損害を与えることもできずに全滅した、そんなことがありうるなんて。
ここまで書いてあるのになぜロシア陸軍の間違いという発想が出てくるのか
まともな資料ならともかく、匿名投稿者のうさんくさい書き込みにそこまで執着するのはさすがに半分頭唐澤
やっぱり尊師のコネの源流は1A洋の才能と村井家だわ
村井家の祖先なら地元の郷土史なんかで遡れそう
伊勢桑名藩は朝敵とされてたのに
薩長土肥中心の明治期政財界で有力な地位を築いていたのはよっぽどのこと
>>271
村井家は亀山の出身だから伊勢亀山藩(佐幕→官軍)
事実関係をもう少し正確に認識されることを切に望む。
付け加えれば村井家は明治の段階では有力でも何でもない
そういえば親戚の書家の正体はまだわからんのか
書家というのが尊師の勘違いで得意なだけとかやろか
>>274
書家は職業とは限らんからね
喩えるならば陶器焼きつつ頭取勤め上げた川喜田半泥子のように
一英の兄弟かその子供の世代な気もするし、唐澤家かもしれないし、別の家かもしれない
「法」字の左隣のぐちゃぐちゃしたのが落款だろうからそれ見て誰だか分かる書道に強芋に期待
山田カズコが父方の親戚なのか母方の親戚なのかもわからん
http://i.imgur.com/2Q94Lbk.png
waifu2xで二倍に拡大
左の方が「丹」に見える気もする
なお残り
カズコは伯父さんの家発言があるから年齢も踏まえると母方とは考えにくい(母方でないとは言ってない)
父方の従姉妹と考えるのが一番自然なだけで確定ではないわな
>>275
いや勉強になったよ、
>>273
村井家は旧家であると書かれているので、地域レベルではそれなりに有力な家柄であったと思います。
旧家は、その地域や地方においてそれなりの社会的地位を古くから維持してきた由緒のある家を指すそうです。
とりとり。
村井家が資産家になったのはこれらの事業が成功してからだろうか
元々江戸時代からの豪農大地主だったような気がする
村井証券
朝鮮京城府民団議員
朝鮮龍山水産取締役
啓和製作所社長
28にある他人語りが正しいなら村井啓助が築いた100万円超の資産は主に相場と朝鮮で稼いだように読み取れる
銀行が潰れた際に元々の村井家の財産も少なからず打撃を受けたのでは
重臣から声がかかるくらいなので村井家は名主かそれ以上の農家かな、
太っ腹な亀山市が亀山市史を無料で開示してくれていた
亀山市 ぐう聖 嵯峨山茂樹
http://kameyamarekihaku.jp/sisi/tuusiHP/tuusi-index.html
軽く探した感じだと
第1節 大庄屋組と村々 には村井という単語が出てこない
http://kameyamarekihaku.jp/sisi/tuusiHP/kinsei/honbun/05/02/pdflive.html
大庄屋格では無かったのかもしれない
5章 村と農民の生活 �� 第1節 領主との関係
http://kameyamarekihaku.jp/sisi/tuusiHP/kinsei/honbun/05/01/pdflive.html
>亀山藩では嘉永六年(一八五三)に一八三人が何等かの特権を与えられ、
>その見返りに三三三六両余が納金された事になる。亀山藩はこれらの献金を
>藩財政に組み込んだのではないかと思われる。
あまりのガバガバぶりに、身が震える。
そういえば農家の可能性ばかり追われていたけど村井家河野家共に商家の可能性もあるんだと思った一瞬でした。
あの似顔絵イラストの作者も気になる たぶんウェブデザイナーだろうけど
わざわざ写真じゃなくてイラストにしたのも何か深い理由がありそう
>>278
やっぱり吉信の娘(洋の姉か妹)の娘やろうか?
>>284
おじさんが2011年に健在だし、結婚前の姓が田中だから英代の娘ってことは無い
一郎の娘とするとおじさんすらいなくなる
まして厚子の娘のはずがない
だから母方だとしたら一英の兄弟の娘ってことになる
例えば六朗の娘だと仮定すると、
一英→「男の子一人」に当てはまらない
英二、三郎、喜久→故人
典男→「男の子一人」に当てはまらない
ということから、おじさんの可能性があるのは櫻樹一人
ただしこのとき櫻樹は81歳(しかも生きている証拠はない)
完全に否定はできないけど相当異様な状況だと思う
村井家は代々名家、菅谷家はマリオの祖父が凄い人物だと判明していて家柄は良さそうだが、河野家は一三がどこに勤めていたかも不明でまだまだ謎が多いな
肝心要の唐澤家はどうかな
柳下家はお金は持ってそうだが
あとは田中家、山田家、藤田家くらいか
六朗の娘なら当然河野姓か・・・
喜久の娘だとすると年齢上がるわ伯父さんいなくなる(叔父さんになる)わでさらに無理筋
どう考えても父方
尊師の1/4は河野一英、柳下喜代、唐澤吉信、旧姓不明の菜子
1/8は河野一三、村井房、柳下喜代の両親、唐澤吉信の両親、菜子の両親
1/16で分かってるのは村井林七
亀山明和百姓一揆
http://kameyamarekihaku.jp/yane_no_nai/nishi_sidouan.pdf
>「明和五戊子歳騒動実記」(館蔵村井家文書)
亀山宿の商家に伝わる書跡と絵画
http://kameyamarekihaku.jp/kako-tenji/9.html
>「伊勢国鈴鹿郡亀山宿内之図」(当館蔵村井家文書)
やっぱり村井家は伊勢商人の旧家だったのだろうか?
>>289
その村井家と同族だろうけど同じ家とまでは分からんわな
啓助が起業したのがが村井証券と啓和製作所で
朝鮮龍山水産は林七だろうから元々それなりの大商家(伊勢商人)だったんだろ
>>291
>ところが、銀行がつぶれてしまったため、村井は一転朝鮮を目指す。明治38年、31歳のことだ。
>当時、すでに開発熱が高かったにもかかわらず、地価はまだ安かった。「この時まず人より先に開発しようとしたのが彼だ。
>まことに少壮、覇気と独創に富む彼の面目がここにもよく現れている」(同)。
> 朝鮮に渡り7年、20町歩を越す農業地と1万坪強の住宅地を経営するに至る。社会的地位も上がり、
>京城民団議員など公職にも就いた。ところが大正3年、父の訃報で帰郷、家督を相続する。
渡ってすぐの明治40年に龍山居留民団議員氏名として村井甚七(後の啓助)が選出されてることも考えると、
村井林七は朝鮮に渡ってないか、渡ってもとんぼ返りでしょ
龍山水産も甚七のもの
AはBだ、という結論有りきで進めていった推論はこのスレでも大概うまくいってない
喩えるならば河野通が親族だとしたら一英の出身は本当は大分?のように
典男-茂典みたいに興信録開けば即否定できた続柄が長らく放置されてたこともある
もっと慎重でならなければない。
28にある村井啓助についての記述は元々実業之日本に書かれていた情報な訳だから、
それを確認してみればまた新たな情報が入るかもしれない
田中カズコも河野系はとこの可能性が無いとは言えないとか細かいこと言い出すとキリは無いのも事実
親から七の字を付けてもらった名前を改名してるというのも闇が深いなぁ
>>293
そういった証拠不十分な言説を否定するために真贋派によって考究されるので結果的には悪いことではないかもしれない
https://books.google.co.jp/books?id=9C8hAQAAMAAJ&q=%E8%8F%85%E8%B0%B7%E9%9A%86%E4%BB%8B+%E7%88%B6&dq=%E8%8F%85%E8%B0%B7%E9%9A%86%E4%BB%8B+%E7%88%B6&hl=ja&sa=X&ei=xvtyVc2CHc3k8AX6goGABA&ved=0CDQQ6AEwBg
日本興業銀行券部総務課長菅谷隆介京都籍す一九大正五年二月二十二日周雄の
長男に生る昭和十八年早大史学科卒業同二十一 ...
>>296
菅谷隆介は早大史学科卒業でも二月生まれでもない
235とか240参照
当然周雄の長男でも無い訳で、たぶん間が飛んでる
Googlebooksはそういうことがよくあるけど大抵は文意が通らないから気がつく
今回は自然でしかも大正5年が正しかったのが災いした
いべん、
栃木県黒磯の長谷川家実家跡地を調べたら
チンフェの祖父のことがわかるかもしれん
黒磯市(現・那須塩原市新朝日)朝日町1-2
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92325-0054+%E6%A0%83%E6%9C%A8%E7%9C%8C%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%A1%A9%E5%8E%9F%E5%B8%82%E6%96%B0%E6%9C%9D%E6%97%A5%EF%BC%91%E2%88%92%EF%BC%92/@36.9730466,140.0621612,19z/data=!4m2!3m1!1s0x6020297fd75dfcc1:0x7fdde5a79f00918
あげ
チンフェ大鉱脈発見祭中に書き込んでしまい申し訳ございません。
①河野敏鎌再々検討
人事興信録第5版
i.imgur.com/XjUMLkE.jpg
同6版
i.imgur.com/Fwci7R4.jpg
河野敏鎌の家族には長敏も徳三郎もいた
パカビジを始めたばかりの尊師のような知識で否定してしまいコピペ作者の方には申し訳ない
ただし例のコピペの問題点として、
・長敏は中村家ではなく今村長賀の三男
・長敏は単に養子ではなく婿養子
・徳三郎の息子が一三であるように書かれているが、徳三郎は明治23(1890)年生まれなので、1920年生まれの河野一英の祖父として年齢が合わない
・長敏系だとしても、長敏が明治2(1869)年生まれなので、一英の曾祖父として年齢が合わない
・長敏が一三の父だとすると、大正3(1914)年生まれの息子は載っているのにそれ以前に生まれた唯一・一三兄弟が記載されていないことになるのでおかしい(ネーミングもおかしい)
はっきりいってやっぱり捏造コピペの域を出ないよ
河野敏鎌と河野一三は無関係と断言できる
河野子爵家の内情を推測するに、
男子が生まれないので仕方なく同じ土佐人を婿養子(長敏)に取る
→芸者か何かが男子(寿男)を生んだのでそちらを嫡子にする
→その後徳三郎が産まれる(恐らく庶子)
→敏鎌が死んで寿男が爵位を継ぐ
→寿男が男子もなく養子も取らないまま亡くなるが、長敏も徳三郎も別家なので爵位が継げず
こんな感じかな、
ちなみに河野敏鎌の婿養子の長敏が軍人の長敏という確証は得られなかった
日本紳士録 29版
i.imgur.com/7bOooMf.jpg
②厚史死去後の一英御尊顔
日本経済研究センター会報 1996年10月15日
i.imgur.com/bBUrgi2.jpg
i.imgur.com/VPL0QS0.jpg
③坂本雄三弁護士の御尊顔、明大OBでは無かった?
株式会社法要論
i.imgur.com/qiCNKY7.jpg
弁護士大観(1962)
i.imgur.com/Xr4d1Nv.jpg
二弁の副会長を勤めて一英と同世代(立石邦男弁護士の岳父)の坂本雄三弁護士が2人いるとは考えられない
なのでこの人が坂本総合を作ったと考えるのが自然
明大OBじゃないのに明友クラブ世話人なのは明治大学が新制なって以来の教授だからか?
www.rengosundaikai.jp/wp/wp-content/uploads/2012/09/img_help.gif
僕はマン葉集でいろいろ見た。人の心のいやなところなんかを。僕はそんないやなところはもたないようにう努力したい。
既出のネタではあるけど
http://www.niben-sayyou.gr.jp/column/genryu/1.html
>清友会は、昭和36年山田先生を会長に当選させ、又副会長には江原、金井(重男)、
>坂本雄三、懸樋、川上義隆、そして私等が推されて当選した。
(略)
>ところが、その後会内に多少の動揺があり、その中昭和50年5月8日坂本先生の死亡という
>極めて不幸な事態があったりして、会長候補のお鉢がいつの間にか私に廻ってきた
日付まで書いてあって極めて不幸と言ってるから事故死かな、あれ
朝日新聞記事総覧:��昭和編, 第 6 巻、第 4 号
https://books.google.co.jp/books?ei=kER0Va6aOabymQXt5ILYCg&hl=ja&id=BpgJAQAAMAAJ&q=坂本雄三+“昭和50年”
>ド I ン氏準一氏:二七五: : 10 鈴木佐^ : I ? :二四一: : 0 所沢��氏、 88 ニー七^ 0 小河
>虎��氏、康田房太太 3 ^ :二〇七 80��坂本雄三氏, .氏、西 8 冴子さん、太田常 0 ^田
>勇治^岡松進次 12 ^ 88 氏、 X 浪与兵衛氏:一八三^ 【33】昭和 50 年��5 月記事索引.
「X 浪与兵衛」は恐らく藤浪与兵衛のことで、四代藤浪与兵衛が亡くなったのは昭和50年5月7日
小賀虎彦が亡くなったのも昭和50年
だからここに出てくる坂本雄三は坂本雄三弁護士のことでほぼ間違いない
物故記事だと思われるので死因が判明するかもしれない
(株)村井冨士園
http://www.mie-isecha.org/shop/2000-01_murai/2000-1_murai.html
村井骨格矯正
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-VG1CM_Mrfxk/
>>304
意外にも亀山には村井姓あまりいないみたいだから同族かもね
亀山市の場所
i.imgur.com/niFRCZ7.png
村井姓の世帯数
myozi.web.fc2.com/autumn/chizu/000340a5.gif
村井姓の密度
myozi.web.fc2.com/autumn/chizu/000340b5.gif
紅チーム
1 左 河野典男(大叔父) 明大商学部卒業 東急建設取締役社長 世紀東急工業取締役社長・会長 連合駿台会会長 明大顧問 東日、東急サービス、東急トレーディング各取締役
2 遊 菅谷隆介(伯父の父) 東京帝国大学経済学部卒業 日本興業銀行常務取締役・証券部長・副頭取 新日本証券株式会社会長・取締役相談役 早期胃癌検診協会会長
3 指 村井啓助(曾祖伯父) 朝鮮京城府民団議員 朝鮮龍山水産、吉田実業各取締役 村井証券(現ライブスター証券)、啓和製作所各社長 更栄証券取締役社長・会長
4 一 河野一英(祖父) 明治大学商学部卒業 公認会計士 商学博士 海軍大尉 正七位勲四等旭日小綬章・紺綬褒章 大東文化経済学部教授・同大学名誉教授
明大商学部講師・駿台連合会名誉会長 公認会計士国家試験委員 日本会計研究学会理事 センチュリー監査法人、新日本監査法人OB各会長
シンシ取締役 オーデリック、オーヤマ照明各取締役相談役 三上製鉄所、横浜化成、北硫産業各監査役 日東工器、味の浜藤、松田産業各顧問
5 捕 唐澤洋(父) 慶應大学商学部卒業 公認会計士 日本公認会計士協会綱紀審査会委員 新日本有限責任監査法人常務理事審査部門長 海原士業会会長
6 三 菅谷真理雄(伯父) 慶應大学経済学部卒業 住友電工子会社社長 住友電気工業取締役副社長 東洋物産常務 住友電工デバイス・イノベーション株式会社監査役
7 右 河野一三(曽祖父) 大多摩川愛櫻会常任幹事 田園調布風致協会常務理事・方面委員 多摩川の両岸10里に桜を植樹 丸子橋の架橋を計画 東京実業学校移転に関与
8 中 唐澤吉信(祖父) 明治大学商学部卒業 自動車鋳物株式会社(現アイメタルテクノロジー)総務部次長兼庶務課長・監査役
9 二 河野一郎(伯父) 早稲田大学大学院博士課程修了 中央学院大学商学部講師・教授 工学院大学講師
先発 唐澤貴洋(尊師) 慶應義塾大学総合政策学部卒業 早稲田大学法科大学院修了 法務博士 弁護士 恒心綜合法律事務所所長 法律事務所クロス所長
>>306
華麗なる一族から政治家が出る前に宗教家が産まれたとはたまげたなぁ
白チーム
1 遊 村井進(曽祖母の甥) 早稲田大学建築科卒業 従七位 神奈川県庁勤務 日本建築センター常務 建設省建築局監督、住宅局建築防災各課長 住宅金融公庫建設指導部長
2 右 菅谷益之助(伯父の祖父) 東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業 扶桑海上火災保険株式会社支配人兼大坂支店長・取締役 住友海上火災保険株式会社取締役 如水会会員
3 捕 菅谷一郎(伯父の伯父) 慶應大学卒業 兵庫ダイハツ販売株式会社代表取締役 関西オート販売、六甲開発各社長 兵庫県民信用組合理事長 兵庫県小型自動車販売協会理事長
4 指 濱口吉兵衛(遠戚) 銚子醤油(現ヒゲタ醤油)社長・会長 武総銀行取締役 豊国銀行、東京護謨工業、第一相互貯蓄銀行各監査役 第一生命、銚子遊覧鉄道、銚子ガス各社長
5 一 山崎豊(曽祖母の甥) 慶應大学経済学部卒業 山崎商店、山崎金属産業株式会社取締役各社長 東京伸銅品問屋組合第七代組合長
6 三 菅谷敏也(伯父の叔父) 灘中学校卒業 慶應大学卒業 旭化成工業社員 兵庫ダイハツ販売株式会社取締役
7 左 村井潤三(曽祖母の甥) 立教大学卒業 浦賀船渠株式会社総務部副部長 更栄証券(現ライブスター証券)会長
8 中 河野英二(大叔父) 山形日本電気株式会社(現ソニーセミコンダクタ山形テクノロジーセンター)取締役・顧問
9 二 河野櫻樹(大叔父) 株式会社モトキ商事社長
先発 村井啓三郎(曽祖母の甥) 慶應大学法学部卒業 法学博士 三恵証券株式会社社長・会長 日本証券業務協会連合会常務理事 東京証券業協会常務理事 交詞社員
凄いけど地味すぎィ!尊師から遠すぎんよ~
東京実業学校とは蒲田の上野塾東京実業高校の事でしょうか
当職の私の知り合いに上野塾理事長一族がいますので何か皆様のお役に立てれば。。。
因みに東京実業高校の近辺にあった新潟鉄工所では戦前に池田大作大先生が働いていました
>>308
一言じゃ表せないから苦心の末遠戚になってるのすき
本格的に大正義遠戚軍組んだらヤバゲな打線になりそう
マイナーリーグ
1 中 河野唯一(曾祖伯父) 台湾総督府警察官
2 左 村井恒雄(曽祖母の又甥) 日東証券勤務
3 一 芹澤二郎(大叔父の義父) 今川義元直系の子孫
4 指 河野六朗(大叔父) 株式会社モトキ商事役員・社員
5 遊 河野英代(伯母) 慶應大学法学部・同文学部各卒業
6 三 河野三郎(大叔父) 東京都勤務 病院技師
7 右 河野典子(従叔母) 東京藝術大学卒業 会社員
8 捕 河野喜代(祖母) 明治大学商学部卒業
9 二 藤田波子(祖母) 明治大学法学部卒業
先発 唐澤厚子(母) 成蹊大学文学部卒業
控え 河野喜久(大叔母) 創価学会文芸部員
山田カズコ(従妹) Webデザイナー
>>310
オーナー 明仁 (遠い親戚) 日本国第124代目天皇
>>309
世界は狭いと思った一瞬でした。
このスレの17や62にもありますが上野熊蔵さんが河野一三の弟分だったそうです
>>313
いや勉強になったよ
当職の本当の近くに1Aや尊師の影があり本当に身が震える
>>309
たまげたなぁ…こんなところで繋がる一族の人脈にも感謝。
なんでもいので情報開示しちくり~
>>311
芹沢二郎が今川義元直系だという出典はあるのですか?
どうせこの人のことだとは思いますがありがちな名前なのに同姓同名というだけで断言する。これはいけない。
http://sloway.net/history/40_2.html
河野唯一も出身・名前・世代が一致するだけだから台湾の警官やってた蓋然性が高い、くらいでしかない
>>316
●はい。
ですがそれでいい。
>>315
尊族は皇族からパカデブまでいる人脈山脈だから多少はね
戦前から大田区や川崎市の多摩川沿いに実家がある人は何かしら尊族と縁が繋がると思いますを
>>317
兄弟で朝鮮台湾とそれぞれ外地へ行ってるから一三の父親もどちらかに移住してるじゃないの
広島は移民流出県だったんだし一族を挙げて移民してそう
>>309
多摩川付近なんだからやっぱり蒲田にある東京実業高等学校のことだろ
戦前学制である実業学校の後継は限られているんだし
>>316
今川家の直系は今川氏真系統で江戸時代は品川氏として旗本に
他にも上杉家に養子を出した赤穂浪士で有名な吉良家系統などがあるよ
http://dot.asahi.com/wa/2014121000070.html
>>320
台湾の唯一が一三の兄と同一人物かも分からないのに前提条件にしてさらなる飛躍をさせてしまう
芹澤二郎の先祖の話なのに今川氏の子孫の話になってしまう
毎度論点がズレてるんだよなあ
ワイ、 唐澤wikiで呉鎮守府第101特別陸戦隊という垢を使いし芋で
親族スレのコピペを参考に「唐澤貴洋の親類縁者」の項目を作成せり芋
茂典や敏鎌をはじめとしてワイの推測がほとんど否定されてて絶句
>>321
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1455585679
3.今川家臣(後武田家臣)の芹沢氏。駿河国駿東郡須走村を所領とした。
現在この付近(静岡県御殿場市)と沼津市が最も芹沢姓が分布しています。
相模の芹沢氏が広まったか、諏訪神族の芹沢氏が広まったか?
4.その他、諏訪氏族という芹沢氏、上杉家臣の芹沢氏、葦名家臣の芹沢氏、武蔵国比企郡石橋城主の芹沢氏など。
今川家系図
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/imaga_k.html
>>322
その人のルーツ辿る時に上から下ろしていったってしょうがないんだよ
それこそ河野敏鎌がいい例、結局無関係だった
その人から地道に一世代一世代上に上がっていかなきゃいけない
芹澤二郎の話だって、
①芹澤二郎さんがいる
②今川家の家臣に芹澤氏がいる
③①・②より芹澤二郎さんは今川系
とはならんでしょ?
芹澤二郎さんの家は無関係の芹澤さんなのかもしれない
まして、その芹澤二郎さんが典男の岳父という証拠もない
(ただし、このサイトによると芹澤二郎さんは東証一部上場企業の役員だったらしいので同一人物かもしれない
http://tenkafubu.fc2web.com/okehazama/html/toyoake.htm)
それなのに今川氏の話してもしょうがないんだよなあ
いつもWiki管理してくれててそれは感謝してるけどせっかく考察するならもう少し正確にやってもらいたいと思った一瞬でした。
そもそも「今川直系」のソースが不明
ただ今川家と上杉家(今川と姻戚関係を結んだ)の家臣郎党に「芹沢」がいたからそっちの子孫じゃないの?
どうしても毎度言い方がキツくなってしまいますが当職はここで書き散らして他人の推論を否定するくらいしか能がないので、
整理して下さる方まとめて下さる方との出会いに感謝しております。
また芹澤二郎の手がかり?が出てきたりもしたのでやはり 「どんなな些細な情報・疑問・推察でも構いません」の精神を忘れてはいけないと思った一瞬でした。
>>324
平家の落人→平家の末裔みたいな感じかな、あれ
義元直系とまで言い切るのはさすがにどうかと思うけど
そもそも戦国~江戸期の大名なんて
徳川織田からして源氏や平氏を詐称しまくってたしな
由緒ある源氏や平氏の大名なんて戦国期にほとんど下剋上で没落して江戸期は旗本の身分
例外は細川家や京極家ぐらいやろうなぁ
役所に勤めてる教徒が人生捨てれば捗るぞ
壬申戸籍は役人の中でも非公開なんだよなぁ・・・
3番 多摩川等々力土手桜並木
http://www.sakurakaido.jp/f_k/f_003.html
一三が植えた桜並木の近くでATSUSHIは暴行されたんかなあ
ぶりっ
東京藝術大学にも一族の気配がするナリ
河野典子
http://www.lepleiadi.co.jp/member/individuale/kohno_noriko.html
http://www.iictokyo.com/blog/wp-content/uploads/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%85%B8%E5%AD%90%E5%86%99%E7%9C%9F.jpeg
> 東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。1982~89年在伊。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784054047891
>東京藝術大学音楽学部卒業。イタリア留学を経て、
典男の娘の典子は1959年3月生まれなので、1年臥薪嘗胆して78年4月入学82年3月卒業とすれば計算自体は合う
「河野典子」はありがちな名前なのでまだ確定はできない
一族抜けるわ
何処とは言わんが入試が実技重視で多浪当たり前のある国立大学と
誰とは言わんが最難関の新司法試験に漏洩とコネ合格疑惑
どちらとも特権階級の師弟は余裕で受かって庶民の師弟は受からず貴重な青春をドブに捨てる
東大落ちた旧尊師が日本社会を怨むのも分からなくはないナリ
東京大学 菅谷隆介(経済)
東京芸大 河野典子
一橋大学 菅谷益之助
慶應大学 菅谷英代(法・文) 村井啓三郎(法) 菅谷真理雄(経済) 山崎豊(経済) 唐澤貴洋(SFC) 唐澤洋(商) 菅谷一郎 菅谷敏也
早稲田大 村井進(創造理工) 唐澤貴洋(院) 河野一郎(院)
明治大学 河野波子(法) 河野一英(商) 河野喜代(商) 河野典男(商) 唐澤吉信(商)
立教大学 村井潤三
成蹊大学 唐澤厚子(文)
玉川大学 河野優子
東京大学 嵯峨山茂樹(工・院) 唐澤新(法・院) 山岡裕明(法) 宇治野壮歩(法) 林修(法) 宇都宮健児(法中退) 後藤久典(経済)
京都大学 川崎美奈(法・院) 至田明史(法・院) 小屋敷雄二(法) 原田學植(法) 黒田厚志(教育)
一橋大学 神田知宏(法)
大阪大学 小西一郎(法) 玉里友香(法)
慶應大学 森公高(経済) 佐野哲史(法) 前園進也(通信文) 近藤信幸(院)
早稲田大 林雄介(政経・院) 近藤信幸(政経) 与沢翼(社会) 小倉秀夫(法) 唐澤貴(法) 田中一哉(法) 清水陽平(法) 原田學植(院) 田中一哉(院中退)
北海道大 片平亘(獣医) 上智ニキ
九州大学 藤田拓也(工)
上智大学 中澤佑一(院) 西村博嗣(院)
同志社大 小屋敷雄二(院)
明治大学 坂本雄三 長谷川満孝
中央大学 重光由美(理工) 樋口收(法) 奥村徹(法) 西村博之(文) 山岡裕明(院)
関西学大 アワー(文) 動画ニキ
法政大学 長谷川祐太(経営) 前園進也(院)
学芸大学 中澤佑一(教育)
日本大学 大江悠太(文理)
愛知大学 福井舜也(経営)
駒沢大学 清水啓予(法)
東京電大 JEX(工)
国士舘大 長谷川亮太(法) 石渡結奈
北医療大 西村博嗣(歯)
淑徳大学 三澤佑貴(コミュニティ政策)
東京未来 稲垣千尋(保育)
千葉商大 加藤優拓 菅野拓郎
専門学校 小関直哉 松田正則 片山祐輔 伊藤和真 和久泉美 佐伯星香
弘前高校 月永皓瑛(中退)
前原高校 仲間邦雄(中退)
慶應普通 釣る野草
木屋瀬中 津島蓮生
向陵中学 佐々木颯太朗
熊本盲校 麻原彰晃
トロント高校 モジャニキ=佐々木使い
>>337
302にもあるように坂本雄三弁護士は明大OBでは無く東北帝大法科卒だったようです
明大法学部出身というのは
「明友会で偉そうにしてるからには明大OBやろなあ、明大OBの弁護士なら当然明大法学部出身やろなあ」
という程度のもので元々何かに記載されていた訳ではありません
とりあえず取り急ぎ。
ネット上に転がってる情報とはまったく別の切り口で河野家の話をさせていただきます。
■河野一族の追跡について
河野一族は戦国→江戸期にかけて帰農させられた旧来勢力なので
江戸期の記録は庄屋、名主、地主格として記録に残ってることが多いです。(愛媛・広島・山口・岡山等)
可能となる先祖の追跡は、唐澤、河野家の除籍簿請求、菩提寺の過去帳。
これらは他人による追跡は厳しいものとなっています。
他には膨大な作業になりますが出身地の地域史、郷土史などをつぶさに観察すると新たに分かることもあると思います。
しかしこれ以上はプロの力を借りないと厳しいと思います。
■河野家とは
成立や歴史はwikipedia通り。
日本は明治維新以降、海洋国家として軍事力を増強させ、瀬戸内海の水夫や船乗りを中心に海軍勢力を構成してきました。
水軍大将として長い歴史を持つ河野家の明治における存在感は司馬遼太郎の坂の上の雲などに語られている通りです。
維新志士の中にも河野家を祖とする者が数多く存在し、海軍内において尊敬の対象として見る向きも強くあったそうです。
滅びた名家として表向き大きく語られることはありませんが、歴史を紐解くと、錚々たる人物が現れます。
戦国期に帰農させられ、公式記録としての家系は途絶えさせられたが、維新とともに返り咲いた。
明治期の西日本の人間の記録を可能な範囲で全て目を通しましたが、その意味合いが強かったです。河野家を祖とする者も含め。
現在の実業界・政財界にも出身を名乗る者も多く(歴史が古く、滅びた一族なので名乗りやすい面あり)
一英氏もその流れを汲む一人ではないかと考えています。
河野家の歴史面を詳しく知りたい方は愛媛県今治市大三島の大山祗神社の境内軒下の歴代公式参拝者の写真や、同神社宝物館をご覧になると良いでしょう。
典男の娘の典子は1989年6月に
>>334
途中で投稿してしまい申し訳ございません。
典男の娘の典子は1989年6月に佑典産んでるので、>>334だとしたらイタリア留学(1982~89)中に懐妊したことになる。
これはいけない。
しかし逆に考えればデキてしまったから留学を切り上げ帰国して出産or出産してから帰国したとも考えられる。
これはいい。
まーた伊予河野ニキか
坂の上の雲は秋山兄弟+正岡子規が主人公だから河野氏の存在感があるように描かれても当たり前
そんなにあるようにも思えなかったけど
「明治期の西日本の人間の記録を可能な範囲で全て目を通しました」なんて聞く人が聞けば噴飯物だから言うの止めた方がいいよ
たとえば広島藩士辻維岳についての記録を見るだけでもなかなか骨が折れる(はず)
誹謗中傷問題は解決可能ですみたいなもんで言う意味がない
あと例が皆無の「多く」「そうです」も今話題になっている通りで意味がない
伊予河野ニキとは方向性が違うのかな
伊予河野ニキは積極的接着主義とでも言うかな、遠祖っぽい集団がいた!とりあえずくっつけろ!どこに繋がるかは知らん!って感じだと思う
当職は祖父の祖父が不明なのになぜか織田信長に繋がる織田信成系図みたいなのは意味が分からないからなるべくやりたくない
たとえば劉備が中山靖王劉勝の子劉貞の末裔だというのは
①系図の空白期間は250年ほど
②姓が同じ
③出身地が劉貞の封地と同じ�敗郡�敗県(現代で言えば同じ市くらいのイメージ)
④一族は地元の有力者
なのでまあそうかなあと思える(これでも色々と問題点はあるらしい)
これが一三の河野家と伊予河野氏との関係となると、
①系図を繋げる先は不明、最短でも300年、長ければ500年以上空白がある
②苗字は同じだが、土着して苗字を変えるのはよくあること
③出身地も広島県と漠然としていてよく分からない
④一族についての記録も現段階では不明
これを「否定する材料が無いから繋げるべき」とするか、「肯定する材料が無いから保留すべき」とするかは人次第なのかな
>>342
元々身元調査を生業としてるから経験上こういうアプローチも可能やでって言ってるだけや
広島に一時身を窶していたこと、明治大正期の有力者であったことから分かることも多いし
その時代の高額納税者やったなら地方議会の議員も排出してる可能性が高いから
上に書いた歴史的背景を念頭に入れながらそこも当たる、もちろん過信や先入観は持たずに
総督府の名簿や軍歴からも分かることはあるけどそれは広がらない手詰まりの筋や
出世した人が先祖僭称するだけだしぶっちゃけ歴史的背景も何も無いよね
>>344
明治期大正期の有力者は実業家じゃなければだいたい土地持ち
下手な下級武士より土地金持ってる江戸時代に庄屋・名主・地主格だった家の人々
その人々はだいたい江戸期以前の旧来勢力出身、西日本、関ヶ原前後に取り潰しになった家が多い地域なら特に
実業界で名を残した記録も見当たらないし国会図書館かそこらで一つ一つ郷土史漁ってみるしか無いかもしれん、祖先を探すなら
有力者であったなら確実に名前と事績は確実にどこかに載ってる
>>345
なんで唯一一三兄弟が広島の頃から有力者だった話になってるの?
洋に兄か弟はおらんのかね
韓國 倂合記念章授與人名
https://books.google.co.jp/books?id=JX7tBgAAQBAJ&pg=PT50&lpg=PT50&dq=%22%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%94%AF%E4%B8%80%22&source=bl&ots=kR-dOSnKAS&sig=7tsJ1kS_SXNa-tN-2-PY2geW7KU&hl=ja&sa=X&ved=0CEAQ6AEwB2oVChMI29_4zv-LxgIVizC8Ch1RRQCF#v=onepage&q=%22%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%94%AF%E4%B8%80%22&f=false
>降軍砲兵一卒~同"河野唯一"
國立中央大學日本赤十字社台灣支部之研究(1895-1945)
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&ved=0CCMQFjABahUKEwiv3p6rgIzGAhUGsbwKHU4kAKI&url=http%3A%2F%2Fthesis.lib.ncu.edu.tw%2FETD-db%2FETD-search%2Fgetfile%3FURN%3D91125007%26filename%3D91125007.pdf&ei=Ush7Va_tCYbi8gXOyICQCg&usg=AFQjCNGUaVgk_-3vPzZX1lrlW9mEbWwRqQ&sig2=VggGk0gAe-Mhnxk9a7tHHA
>班長重松英太醫員、醫員勝木貞次郎、醫員補西. 山良男、書記岡野幸吉、看護人3 名。 此外,於第一戰線上設置救護專務巡查2 名,共. 為下列:鈴木次則、"河野唯一"、窪田柴次郎、橋. 本末松、有田定信、岡村初次郎、管原兵右衛門、. 吉岡一宜。 1913.6.23.
芸州河野家末裔たち
http://8204.teacup.com/yudukijou/bbs/t37/l50
>竹原を中心として河野家末裔たちがたくさん居ますので多くの「河野系図」が残されているようです。
竹原郷土文化研究会 会報 24号
http://www.geocities.jp/m_ikinobu/kurusima/kyoudokenkyu/kaihou24.html
河野一之
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E4%B8%80%E4%B9%8B
>広島県豊田郡忠海町(現・竹原市)生まれ。
>>348
前二つは既出
『芸州河野家末裔たち』は「広島に伊予河野氏の末裔がいるそうです」と言ってるだけで「広島に伊予河野氏末裔の河野さんがいます」とは言っていない
その証拠に次の『竹原郷土文化研究会 会報 24号』に名前が挙げられている竹原在住の伊予河野氏末裔(と称する家)は南重三郎さん
苗字が○○だから○○氏の末裔、というのは強引、特に河野氏のような滅んで散らばった一族
最後の河野一之は面白そう
単に長男の一じゃないかとは思うが
重三郎って誰ですかね…
重左衛門でした、当職 眼球旧尊師
河野一之長生きしすぎだろ
あぶり
良スレ
親戚教徒が出てくることを切に望む
http://jpon.xyz/2012/22/18/19.html
>082-874-2058 河野 唯一 広島県広島市安佐南区山本7-19-37
>>355
河野唯一は1920年生まれの河野一英のパッパの兄貴
2012年の時に生きてたら110歳超えどころじゃないんだよなあ
河野唯一は比較的よくある名前なので別人じゃないですかね・・・
>>356
14年前に死んだ当職の祖父も2012年版に載っていたので結構ガバガバです、とりとり
100歳位で亡くなっているのなら可能性としてあり得なくはない…とは思います
>>357
そうなのですか?
生死を確認しないで載せるというのも凄いなぁ。
・一三の例の威圧感ある写真は1938年出版の『桜の多摩川』が出典
・一三は1929年に「町長さん、あの大堤防を利用することにしようじゃありませんか。」と発言し、植樹の発起人を勤めている
・一三夫妻が京城に住んでいた頃隣に住んでいた中野正剛が京城にいたのは1913~1915年
三番目より一三の生年は1898年以前なのは明白、写真や行動見ると90年代以前でもおかしくない
必然的に唯一はさらに前の生まれになる
ちょっと厳しいんじゃないですかね・・・
安佐南区山本は例の土砂災害で死者出した新興住宅地のようなので60~70歳の唯一さんが住んでるだけなような気もしますを
唐澤貴洋「当職の高祖父の一族まで開示されてるンゴ…(ブリュリュ」
http://touyoko-ensen.com/syasen/kawasaki/ht-txt/kawasaki-mokuji01.html
大正15年(1926)2月、東京横浜電鉄(東急の前身)の電車が初めて丸子多摩川駅~神奈川駅間を走って以来、
各路線が次々延伸または新設され、その沿線の姿は年々変わります。
多摩川、「丸子橋」とその周辺の情景
http://touyoko-ensen.com/syasen/kawasaki/ht-txt/kawasaki10.html
昭和8年、工事中の初代丸子橋を川崎側から撮影
昭和9年、初代丸子橋が工事中。
河川敷では野球大会
多摩川の主流の中に初代丸子橋の橋脚だけが左上に見え、
左上には東横線の鉄橋が走る。
中央向こう岸に浅間神社の森
昭和10年5月11日、待望の丸子橋開通式
以前ここで紹介された河野唯一につながりそうな書籍「台湾総督府警察職員録」ですが
以下のサイトで職員録(1896~1844、明治29年~昭和19年まで)51冊分が閲覧できました。
使い方は国立国会図書館デジタルコレクションと同じです
http://who.ith.sinica.edu.tw/mpView.action
というか上でリンク貼られていました
当職 臥薪嘗胆
1Aの亡くなった先祖や親戚もむしろこの騒動で思い出されることに喜びを感じてそう
先祖供養って故人を思い出してそれを語らうことが何よりの供養だっていうしね?
1Aまでの代は風評被害まみれ
13はゴリラとか創価野郎とか言われるくらい
そこから先は基本的に高評価
ニュースで報じた無能が自分の親戚だったことを知ってしまった橋本大二郎くらいしか困ってなさそう
一方長谷川家の祖父母は開示されないままであった
>>365
聡さんがいましたを
とりとり
GoogleブックスはHOP-UPしてるのでしょうか、以前は出てこなかった検索結果が出ましたを
京城回顧録
https://books.google.co.jp/books?id=zSNAAQAAIAAJ&q=%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%94%9A%E4%B8%83
... 原勝一海津三雄深水清天日常次郎中島司馬之助松浦源治待井三郎前田熊市高橋
章之助增田三穗林田金次郎古城梅溪會我勉三好和三郎和田常市皆川廣濟城六太
大橋清三郎大村百藏岩田仙宗井手三郎山口太兵衛大村保太村井甚七田中常次郎
小林藤��...
名前を三、四人ググってみるとみな一角の人物のようです
やっぱり尊師一族がナンバーワン!
長谷川満考は婿養子説が出ているから越後屋は母親の兄弟かもしれない
屋号から察して母方は新潟出自だろうか?
>>369
蕎麦どころとしてポピュラーな屋号なので僭称の可能性もあるのではないでしょうかと思った一瞬でした
ファミリーヒストリーで特集してほしい
洋さんの兄弟の名前をどこかで見た気がするナリ
尊師 教徒が資料引っかき回してようやく4代前まで判明
甘芋 一瞬で8代くらい前までセルフ開示
https://pbs.twimg.com/media/BIIeYytCAAEax5a.jpg
やはり寺は強いと思った一瞬でした。
尊師もセルフ開示するべきなんだよなあ
暇してる教徒が著名人と繋げてくれる
興信所とかに頼んだら調べてくれんかな
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21265/1434901626/406-
本スレの方でも書きましたがパカデブと洋が親子である確実な証拠ってどこかになかったっけ?
血が繋がっているかはともかくとして戸籍上の親子関係かどうかはっきりした証拠がないナリ
向こうのスレでは会計士の登録番号だけ見て割と適当に言い切ってしまいましたが唐澤寛辺りは年齢的に矛盾はしませんでした
ただ、
①恒心HPに河野一英の事務所と連携云々の文言があったこと(ポア済み)
②河野一英の娘婿が唐澤洋であること
③尊師の自分語りに祖父、父が公認会計士だという言葉があったこと(ポア済み)
からして一英→洋→尊師の流れを否定するのは無理だと思いますを
実子かどうかとなると正直分かりませんが
出典は恒心公式ではありませんでした
当職の記憶の適当さ憂いております
①
web.archive.org/web/20110807235924/www.hou-nattoku.com/lawyers/lo_detail.php?lo_id=12668
>公認会計士唐澤洋事務所(元新日本有限責任監査法人常務理事),河野一英事務所(元センチュリー監査法人会長,大東文化大学名誉教授,商学博士,公認会計士)と連携し,会計法務においてワンストップのサービスを提供することができます。
②
http://i.imgur.com/bMhLmrv.jpg
③
web.archive.org/web/20130304003403/http://koushin-lawfirm.jp/blog/?page_id=2
>祖父,父が公認会計士の家に育ちましたが,青年期のある出来事をきっかけに法律家を目指しました。
>>375
唐澤厚史が亡くなった後に唐澤家が養子を取ったのなら分かりますが、おそらくそうではないので養子の線は薄いかと思います。
例えて言えば男子がおらず娘の息子を養子縁組し跡を継がせた河野典男のように、養子を取るのならその必要性が前提にあるはずです。
また、「祖父、父が会計士の家に生まれた」と発言し、河野一英と唐澤洋の事務所と提携していた事実があるので親子関係を疑う余地はあるのでしょうか。
河野一英の子供に会計士はいませんし、唐澤吉伸は会計士では無いので、必然的に唐澤貴洋が河野一英の孫で唐澤洋の息子としか考えられません。
細かいとこ詰めてくと自動車鋳物の唐澤吉信は唐澤洋の父親の唐澤吉信なのか?とかキリは無いですが、
たまにこういう根本的な疑問が出ることも思わぬ発見に繋がるのでこれはいい。と思った一瞬でした。
唐澤家の親戚筋と全く関係ない「祖父、父が会計士」の家に生まれて、唐澤家の養子になったとでも言うのであれば何でもありになってしまう。
これはいけいない。
のちに尊師が唐澤洋のことを父と発言しても、実の父とは言ってないから血の繋がりは証明されてない!とでも言うのですか。
有価証券報告書 第二期(2005年6月)
http://www.tokyu-cnst.co.jp/ir/html/02yuuka/PublicDoc/040_0448600101706.htm
>当社の会計監査業務を執行した公認会計士は、富山兼忠、唐澤洋及び松尾浩明の3名であり、新日本監査法人に所属している。
岳父の父が東急創業者の五島慶太と親しく、
岳父がセンチュリーの元会長で、
岳父の弟が東急建設元副社長の唐澤洋さんを起用してよかったんですかね…
詳細な文献に感謝。
実家の方の登記簿!発言から実家に洋がいるのは確定、
さらに>>376の情報を合わせると尊師と洋が親子なのは間違いないですね
初歩的な疑問でしたが勉強になったナリ
関係ないですが本スレに出た唐澤寛?のほうも調べてみるナリ
>>382
ややこしいことに「唐澤寛」の検索結果が米軍のSEO攻撃を受けているようで、
「唐澤寛」で検索して出てくる
http://www.takashi-karasawa.com/pc/office.html
の
http://www.tkcnf.com/www.takashi-karasawa.com/pc/image/gpoDirectorimage20100222074020.jpg
はURL通り税理士の唐澤孝さんとの言説でした。
しかし
http://www.tkcnf.or.jp/public/members/kfs/mem13210.html
の
「唐澤寛税理士事務所
唐澤公認会計士事務所」
をクリックしても同じページにとばされるので、もしかすると孝の息子が寛で間借りしてるのかもしれません(登録番号的にも)
唐澤姓の会計士の検索結果
https://www.jicpa.or.jp/cpa_search/ms_search.php?page=1&name_100=%E5%94%90%E6%BE%A4&kana_last_100=&kana_first_100=&type_100=3&pcode_100=&sort_key=kana&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
唐澤昌敬さんは1968年慶應卒らしいので出龍と同年代の団塊民でしょうか?
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784495184513
ぶり
ぶっちち
ぶりゅ
【司法終了】尊師の親戚、検事総長だった [転載禁止]���2ch.net
http://orpheus.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1435291507/
1 風吹けば名無し@転載禁止 2015/06/26(金) 13:05:07.27 ID:ZIkc+BnNF
尊師の曾祖母の甥の妻の曾祖父の弟の孫の夫が井本臺吉(元検事総長)
美濃部亮吉を取り調べたことでも有名
やっぱり村井家経由か・・・
唐澤洋が河野家の娘婿になったことで有力者一族の仲間入りをしたように
河野一三も村井家の娘婿になったことで有力者一族の仲間入りをしたからなぁ・・・
>>388
村井家の姻戚関係しか開示されてないから当たり前なんだよなあ
吉信が開示される前の唐澤家も同じようなこと言われてたけど吉信が案外立派な肩書きだったし
森公高の紳士録も調査すりゅよ!
>>390
あるんですか!?
>>391
出龍より若いので載っていない可能性は高いです(載っていないとは言ってない)
今思えば名家のボンボンや会社重役などの家族構成から住所、果ては宗教まで全て開示されてた紳士録興信録というのは異常極まる本なんだよなあ
既に知れ渡るような上流階級だからね
一方庶民の壬申戸籍は部落差別問題で非公開だから唐澤長谷川本家の直系はほぼ謎のまま
壬申戸籍も一部に差別的表現が残ってるだけでそこらへん整理、削除すれば再公開していいと思うんやけどなぁ
国としてプラスになること皆無でただ手間暇だけかかるものを国が開示するはずもないんだよなあ
自力開示、するしかないか
壬申戸籍路線はNGにした方が良いのでは
あめぞう見たいにアサケーが潰されるナリ
超頑丈なアサケーがそのくらいで閉鎖するやろか
全て開示せよ
墓参りしてる洋さん尾行して墓特定