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尊師は二重人格である

12 レス · dat原文

尊師の文章では、「当職が」「私が」と、一人称が複数見受けられることがあるが、これは人格が混線しているからである。「当職」を使用するのは無能弁護士の「たかひろ」であり、「私」を使用するのは兄より優れた弟、「あつし」である。 また、尊師は「弟を青春時代に失った」と語るが、実は若くして亡くなったのは兄のたかひろである。無能ではあるがかけがえのない家族であった兄を失い、万能の天才であったあつしは悲しみのあまり、兄の人格をも完璧に作り上げ、肉体もそれに伴いより無能らしく変化した。現在の主人格もまた「たかひろ」であり、あつしはFaithBookへ書き込む文章を練るときなど、不定期にしか表出できず、その間も人格は非常に不安定である。 恒心教徒が普段何気なく口にする神聖六文字には、パカデブという呪われた肉体から尊師を開放し、無能なたかひろと有能なあつしの魂を分離することで、尊師をより高位な存在へと押し上げたいという意図がこめられているのである。
それは本当ですか?
「当職」「俺」「僕」「私」
>>3 四重人格やんけ!
「俺だよ唐澤貴洋だよ」から「俺」≠厚史人格であることは明白
恐らく「当職」「俺」は両方「たかひろ」だが、「俺」の方が粗暴だしより無能である
実際尊師の行動を矛盾なく解釈するとこれしかあり得ないよな
>>7 もしくは、尊師はただの無能弁護士であり、一人称が混ざったり推敲をしていないような文章を書いてしまうのも、単に知能が低いからだとも考えられる。 しかしそのような男を尊師と祀り上げ、神格化する者達がいるとは考え難い。やはり多重人格者であろう。
悪魔がやれって言ったんだ
僕:厚史の兄唐澤貴洋 私:弁護士唐澤貴洋 当職:横尊師 俺:悪魔
万能天才が出てきてもあの程度の文章なのか
24人の唐澤貴洋