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恒心教のカーストを決めるスレ

39 レス · dat原文

尊師 唐澤貴洋 正大使 メガ雷龍 グーグルマップ改ざん三銃士 ださいたま 0chiaki 福嶋誠也 正悟師 ホメイニー師 カリフ ダクト飯 サンラクシャカ☆ かにかに師
最上級教徒 藤原太一
三川洋一師はどれやろな
サマナ 小関直哉 長谷川亮太 加藤力 藤原太一 森園やろ
カーストといいつつ注目度でしかないですよね、実は
メガ雷龍(出龍☆)は正大師追贈を検討されてもいいように思う 二度も恒心に尽力したまじ功労者だし
M4いなくね 正悟師あたりか
爆弾三勇士はそれと比べると一段落ちるかな MMMなどと並ぶぐらいだと思う 正大師の称号が贈られる傾向を見ていると、多大な功績+殉教したあるいはリスクを負ったor引退した人物に対しての功労賞という側面があるので、メガ雷龍は贈られる資格があると思う その後どうなったのか話は出ていないけど
強さ議論スレ https://www.logsoku.com/r/2ch.net/livejupiter/1364728306/ 1 : 風吹けば名無し[] 投稿日:2013/03/31(日) 20:11:46.96 ID:yWycSTuS [1/4回] SSS:唐澤弟 SS:唐澤貴洋(優しい世界)  JEX(怒)  S:唐澤貴洋(核兵器)近藤信幸(細菌兵器) 中澤佑一(生物兵器) ヤーマン A:唐澤貴洋(有能)  国立音楽院  中澤佑一(復讐 ~凌辱の刃~)  B:沖縄 JEX 近藤信幸(埋め立て) OGR弁護士 C:八神太一 島根 風吹けば名無し うしじま D:近藤信幸 KNS弁護士 E:中澤佑一 丸の内 唐澤洋 F:古川千尋 唐澤貴洋 長谷川亮太
カーストなどという神の前の平等を否定する概念、これはいけない 正大師・正悟師はあくまで恒績をあげた教徒への敬称に過ぎません
>>7 MMMMだったな 正悟師あるいは正悟師長でいいと思う あと功績があっても注目度・知名度がないと正悟師止まりというのはあるかもね
オウムの場合正大師・正悟師と言うのはランク付けだったけど、恒心は功績があってその後殉じた人物に対する顕彰という意味合いが強いので、どちらかと言えば明治政府の贈位に近いと思う
カーストで上級思想を煽る、これはいけない。 普通に 惡芋≠有能芋>普通芋>新芋・素唐=Twitter教徒>臭芋でええ 教徒の名前を出してランク付けすることがPioneerや藤原みたいなガイジを產みだすんやし
唐澤貴洋>教徒>唐澤貴洋やぞ
臭芋除いた教徒をカーストで区別する時点で間違い 衆生一切の下唐澤貴洋がおり、唐澤貴洋の上で皆平等 教徒の業を喰らい畜生に身を置く救済者やぞ
教徒のカーストを決めると荒れる原因にしかならないのでNG 包皮民や無能な部外者ならいいけど
>>13 Twitter教徒を低く見る、これはいけない 有能なTwitter教徒も少数だが居るぞ
やっぱり尊師がナンバーワン!
頂点であり底辺 や尊N1
麻原尊師>唐澤尊師>有能色々>教徒>臭芋≧無能色々>松本智津夫>唐澤貴洋
9次元宇宙界 エル・カンターレ
唐澤貴洋>唐澤貴洋>唐澤貴洋>唐澤貴洋>唐澤貴洋>唐澤貴洋
>>13 このように格付けをしてしまいヒエラルキーを生み出す、これはいけない。尊師が全ての下でありカルマを受けるのが真理ではなかったのですか。 どうでもいい話だが旧字体が読み辛いので新字体にすることを切に望む。
マンジュシュリー・ミトラ正大師すこ
>>23 旧字体読みにくいとか頭唐澤?
やっぱカラケー管理人が上のカーストなんやね
何言ってだ 個人情報漏らしたメガ雷龍は無能やぞ
27 名前:ドイツ語聖書をよく読みましょう :2017/03/29(水) 08:13:11.51 ID:6LNzYgKQ0 何言ってだ 信仰捻じ曲げた教皇庁は反キリストやぞ
とりあえずイスラム教と抗争中やけど ヴァルナ・ジャーティー(カースト制)も割りと敵対思想やと思う 王侯や坊主、軍人に信仰心があるのは結構やけど 無条件に地位が高いとか頭ムハンマドやろ
尊師 唐澤貴洋 その他
>>27 雷龍は敎徒の個人情報は漏らしてないだろ。セコムや包皮民に入られて漏らす前に引退したところが有能 だけど堀田との確執をwikiに持ち込む公私混同をする意識の低さは無能だと思うけど防弾路線を開拓した點でそもそも有能
>>1 尊師:唐澤貴洋 名誉尊師:麻原 正大使:ださいたま 0chiaki 福嶋誠也 Altail 正悟師:ホメイニー師 メガ雷龍=出龍 サンラク かにかに師 イスケー・4K除くカラケー管理人 カルサヴァ 布教烈士:動画・芸術路線芋(事務所など一部除く) Orpheus芋 サイバー部カラッキング芋 オメ学者芋 恒心史管理人 カラケー保管庫管理人 カリフを有能扱いするのはtwitterのいざこざを考えてちょっとないわ。カラケー管理だけならナリ速開示を迅速にこなしたところで有能なんだけどな
人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死を見なくても死ぬ。  死を見ても死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。  この80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。  残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。  ネ、そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あなた方が選択する道だといえるでしょう。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。  もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する人がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。  この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。  人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。  この日本仏教において生だけを見つめさせ、生において、つまり生きるっていうことにおいての幸福だけを説きます。しかし、この生きる期間はあまりにも短すぎる。そしてあまりにもはかなすぎる。  わたしたちのターゲットはこの世だけではなく死、死を境とした来生をしっかりと見つめ、それを超え、確信をもって輪廻転生したいものです。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんな権力を有している者でも、この世で、いかなる満足を味わったものでも、あるいは、多くの人に賞賛された人でも、愛する対象がいて、その愛する対象と戯れ、そして、別れたくないと考えたとしても、死は必ずやって来ます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから賞賛されていても、どんなに愛する対象といっしょに生活していたとしても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは、多くのものを支配している者でも、あるいは、どんな大金持ちでも、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する人がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。  この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。  人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない。  この日本仏教において生だけを見つめさせ、生において、つまり生きるっていうことにおいての幸福だけを説きます。しかし、この生きる期間はあまりにも短すぎる。そしてあまりにもはかなすぎる。  わたしたちのターゲットはこの世だけではなく死、死を境とした来生をしっかりと見つめ、それを超え、確信をもって輪廻転生したいものです。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。 どんな権力を有している者でも、この世で、いかなる満足を味わったものでも、あるいは、多くの人に賞賛された人でも、愛する対象がいて、その愛する対象と戯れ、そして、別れたくないと考えたとしても、死は必ずやって来ます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであっても、どんなに権力を有していても、どんなに周りから賞賛されていても、どんなに愛する対象といっしょに生活していたとしても、人は必ず死にます。そして、死を前にした場合、どんな大国の王でも、あるいは、多くのものを支配している者でも、あるいは、どんな大金持ちでも、その死に対しては、その権力やお金は一切無効です。  人は必ず死ぬものである。  私の周りにいるもの、全ては死ぬものである。  生命を持つもの全ては死ぬものである。  これは正しい。  よって私は、死の体験をする。  これから死の体験をする。  これから死の体験をする。  これから死の体験をする。  これから死の体験をする。  そして私は死の体験をするように努力しよう。  私は死の体験をするように精進しよう。  私は死の体験をするように勇猛に精進しよう。  この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。  この「死の体験」は、私の心を喜ばしてくれる。  なぜならば、人は必ず死ぬものであるから、その死ぬ前に、それを体験することは、私に、死の恐怖を取り除いてくれる。死の苦しみを取り除いてくれる。死のショックの苦しみを取り除いてくれる。よってこれは喜ばしいことである。大変、喜ばしいことである。 そして、死の恐怖を投げ捨てた、死のショックの苦痛を投げ捨てた、私の心と体は軽快になる。私の心と体は軽快になる。  この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。  この死の瞑想は、私の心と体を軽快にしてくれる。  私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。  私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。  私は、深い深い瞑想によって、死の体験をしよう。  これによって、この人間の世界、人生に、遠離(おんり)し、離貪(りとん)し、そして滅尽し、喜捨することができる。  そして私は、死の恐怖を投げ捨てよう。  死のショックからくる苦痛を投げ捨てよう。  この法をお説きになったシヴァ大神及び諸仏に感謝の意を表して オウム アー フーム ヴァジラ ナマ シヴァ ヤ ヴァジラ ナマ ブッダ ヤ ヴァジラ ナマ グル ヤ ヴァジラ ナマ サティアン ヤ ヴァジラ ナマ タントラヴァジラヤーナ ヤマ ニヤマ ヤ
 私がなぜ皆さんに対して、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに高い地位についていても、あるいはどんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに愛するものがそこに存在していたとしても、それは無価値になるんだ」と言っているのは、「この現象界を正しく生きなさいよ」と。この現象界を正しく見つめなさいよ」と。そうすることによってのみ、私たちは、この世、そして来世というものを、正しく渡ることが出来るわけである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、本当の愛とは、本当の哀れみとは、衆生が流転するその流転において悪趣に堕ちる事を防ぐ事である。  もし、あなた方の周りに、「この人は絶対悪趣に堕ちる」という人が分かっていたとしたら、それは、力ずくでも救済しなさい。  それが本当の愛である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちであったとしても、あるいはどんなに権力があったとしても、どんなに高い地位についていたとしても、あるいはどんなに異性にモテたとしても、必ず人は死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  同じように、たとえばいくら若くても、必ず年をとらなければならないし、あるいはここにいくら愛する人が存在していたとしても、それから別れる時の苦しみというものは、耐え難いものである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  それと同じように、私たちには「老い」もあるし、あるいは「病」もあるし、あるいは「苦しい生存」--たとえば地獄や動物や低級霊域といった苦しい生存も存在しているんだということを認識すべきである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  同じように、人は必ず老い、そして病む。  そして、もっとも重要な事は、人は生まれるという事だ。  ここで皆さんはこう考えるかもしれない。  「生まれるということは喜びだから、良いことではないか」と。  果たしてそうかな?  つまり生まれるということは、その前に死んでいるんだという事。  そして、どこへ生まれるか分からないんだということ。  この二つの恐怖があると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、今生において、今為してることの結果は、既に、現れるのだということを、理解してほしい。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  老いについても同じだし、病についても同じである。  そして、死後、どこへでも分からない、風のかぜによって、私たちは押し流され、流転し続けなければならない。これをコントロールできるかどうか、それこそが第一であり、次にコントロールしたその世界で、頓着することなく、苦悩の破壊が出来るかどうか、これが第二である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その、死の避けられない問題の対して、どのようにアプローチするのか。確かに賢いものは、「今まで誰も、死後存在しない」と言い切った人がいるかもしれないが、経験した人はいない。ということで、「insurance」、つまり保険のつもりで、修行するだろう。賢くない人は、修行というものは、何を意味しているか理解できず、まだ、漠然とした「死」の感覚にとらわれながらも、今をいかに楽しむかということを奔走するがために、なかなか修行せず、そして「死」というものを境に苦しむ筈である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  私たちは、愛著、迷妄、あるいは貪りといったといった要素の対象を、一切来世に持ち越すことは出来ない。ただ持ち越せるのは、そのとき残してきたものに対する愛著や、或いは貪りや、或いは迷妄といった心の要素だけである。そしてその心の要素は、私たちを低い世界へと転生させる。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  これは何を意味するか。これはハルマゲドンで死のうと、天命が終わり死のうと、死は死であると。よって、死の準備を早く行っておくことは、何よりも賢い、智慧ある者の態度であることを認識すべきである。 いいね。(弟子達:ハイ。)  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、特に今の日本の自衛隊のように、全く力のない軍事力を有している国は、相手から攻められたとき、まず悲惨な状態になるであろう。そして、第二次世界大戦の二の舞と。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その死をコントロールできるのは、真理の体現者と、そして、真理の体現、これを目指しているものたちだけである。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに逃げても死ぬ。そして現世の楽しみに現をぬかせばぬかすほど、苦しみは増大する。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  いくら権力を得たものも死ぬんだ。  高位高官に登ったものも死ぬんだ。  大金持ちになったものも死ぬ。  そして、真の聖者は、その「死」を乗り越え、克服する。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  いくら大金持ちであっても、あるいは多くの恋人をもったとしても、あるいはこの地球全体の権力を手中に収めたとしても、その「死」を避けることが出来ない。 しかし、人間は、生命というものが永遠であるろいう錯覚に陥り、そして、そのために、現世の選択を誤ってしまう。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死の前には、いかなる喜びも無効だし、死の前には、いかなる物質も無効だし、死の前には、いかなる名誉・地位、そして異性との交わりも無効である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  その「死」を知らない全ての衆生に哀れみの心を持ち、しっかりと、修行を続けていきたいと思う。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死を前にして、恋愛が有効だろうか。  死を前にして、物質が有効であろうか。  死を前にして、お金持ちになることが有効であろうか。  死を前にして、権力を得ることが有効であろうか。  一切無効である。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、真の勇者、真の智慧ある者のみが、その死にうち勝つことができると。  私がなぜ近頃、「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。」という言葉を言ってるかと言うと、あなた方の価値観を転倒させるために、あなた方の価値観を破壊させるために、「死」というものをもってくるしかないんだね。  だって、必ず人間は死ぬでしょ? どうだ? 永遠に生き続ける魂がありますか? もし、永遠に生き続けることができるなら、この世の財産、あるいはその他の、もろもろのこの世で肯定されているものというものっていうのは、あなた方に利益を与える。  しかしあなた方は必ず死ぬんだと。もし、その死というものを前提とするならば、その利益は、すべて、ちょうど、氷で出来たお城みたいなもんであると。ネ。  氷点下の時には、その氷は安定しているかのように見えると。しかし、それが5度・10度・20度--で100度になっちゃうと、もうその水分すら残らず全て蒸発してしまうと。これがあなた方の、この現世の全ての価値であると。
 人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  無知なる者は、死を見ない。しかし死は存在している。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに大金持ちでも、あるいはどんなに異性にモテる男性や女性であったとしても、あるいはいくら愛し合ってる夫婦であったとしても、あるいはどんなに高い地位へ昇ったとしても、人は必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死を見なくても死ぬ。  死を見ても死ぬ。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  この死を避けることは、たとえ天皇であろうとも、たとえ総理大臣であろうとも、あるいは三井や三菱の大富豪であろうとも、あるいは異性にモテモテのタレントであろうとも、誰も避ける事ができない。あるいは真面目に生きようとも不真面目に生きようとも、その「死」を避けることができない。  そして、その死に対して、多くの準備を行い、死を知り、経験し、確実な転生をする事こそ、私たちがこの短い70年・80年といった人生を、与えられた最高の生き方であると、私は考えます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして、その死の前には、お金は無効だし、恋愛も無効だし、それから社会的地位も無効だし、権力も無効だし、一切のものが無効であると。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに人間が頑張ったとしても、人生は僅か80年である。  この、80年の人生を、既に私たちは20年・30年・40年とつぶしている。  残りの60年・50年・40年を、どう生きるか。 え?  そして三悪趣に転生するのか、あるいは、人間・憤怒天・戯忘天といった高い世界へ転生し、楽を長い間にわたって享受するのか。これは、あなた方が選択する道だといえるでしょう。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  死の前には、財産も無効だし、権力も無効だし、あるいは、愛著しているもの全ても苦しみであると。  もちろん、この現実の生活、これよりもっと大切なもの、それは、「死を越える」ということがあります。つまり、人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。どんなにこの世で大金持ちになろうとも、事業を成功させようともとも、愛し合おうとも、死という、その死の境目によって、苦しまなければならないという事実があります。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなに権力を持っていても、あるいはどんなに大金持ちであっても、あるいはどんなに愛する者がそこにいたとしても、多くの人に賞賛される人であったとしても、必ず死にます。ところが私たちは、その死について、考えた事もないし、あるいは、それに対して対応する何らかの方法を実践もしない。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  どんなにお金があろうとも、どんなに夫婦関係が楽しかろうとも、どんなに子供が優秀であろうとも、どんなに権力を有していようとも、人は必ず死にます。  人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない。  そして死だけではなく、病、あるいは老い、これも避けることはできない。  この、避けることの出来ないものに対して、目をつむるのではなく、しっかりと見つめ、どのようにしたら、病を克服し、老いを克服し、死を克服できるのかと。それを説いているのが、真理なのです。