1 野に咲く名無し@転載禁止 (da336866) 2024/03/26 (火) 12:32:52.453 ID:Z9gfwEev0主
正直そんな面白くないと思うけど🥺
1881年、その武力を持ってアジアに覇を唱えた大清帝国はもはや眼前に滅亡が迫っていた
年に発生した太平天国の乱によって2000万人以上が死亡し、続いて勃発した1860年のアロー戦争では父祖の地である外満州すら失い、「丁戊奇荒」と呼ばれる大飢饉が発生する中、東ではアジアに於いて清に次ぐ大国であった日本が躍進を続けていた。
もはや清は大改革により「起くる獅子」へとなる以外に存続の可能性は無かったのだった。
1881年、「混蛋!(クソ野郎!)」という一言と共に神輿に放たれた一発の弾丸が中華史を大きく動かす事になった。 当時の清の実権を握っていた西太后が外征中に暗殺されたのである。 思えば当然の事であろう、彼女は暗殺、調謀を駆使し政府の実権を尽く握り、1000万人以上とすら言われる死者を出した大飢饉「丁戊奇荒」において、まともな対策を取ることも無く、ただ私利私欲の為にのみ税金を使い、国の改革に使う費用すら使い込んでいた。
これに喜んだのが劉銘伝、左宗棠、李鴻章を筆頭とする改革をして西洋に対抗せんとする新たに清朝に勃興した勢力、洋務運動派であった
1881年6月9日 ある大都市の一角にて
街道を埋め尽くす無数の人間に中華風の建物、そして中国では珍しい外資の建物すら立ち並び、異世界のような雰囲気を醸し出していた
その大都市の名は上海
これから数万年続くであろう中華史の経済を導き、そして新たな世界首都となるべき偉大な都だ。
最初に話を切り出したのは恰幅のよく一見好々爺としか見えないーしかし洋務運動を先導し、後に清の大黒柱とも呼ばれる事となる男 左宗棠であった
左宗棠「あの魔女がたかが農民の反乱者の一発で死ぬとは、これで我々の清の改革も良く進められるだろう」
次に皮肉混じりに話したのは痩せ型の老人にして猛将にしてまたもや清の重鎮である李鴻章だった
李鴻章「そんな簡単に行くものかね? あの女は我々の最大のバックボーンだぞ 最も、我々の事は使える駒としか見てなかっただろうがな」
左宗棠「その点については安心しろ 我々の同士である奕訢様や光緒帝様は寧ろあの女が死んだ事で地位は安泰だ」
李鴻藻「つまり、ようやく本腰を上げて我々のやりたかった改革へ動ける、という事か」
しかし二人がこうして話している間にも、西洋列強の魔の手は清を蝕んでいくのであった
6月11日 紫禁城・御前会議にて
三跪九叩頭の礼の後、華麗な衣装に身を包み
体長の2倍はあるであろう椅子に腰掛けた、まだ10も行かぬ子供が話し始めた
光緒帝「西太后殿が亡くなられたことは残念であった。 さて、諸君ら朕の忠臣はこれからの清をどう見るか?」
静寂の中、一人の男が手を上げた
李鴻章「フランスはベトナム、ロシアは満州、日本は朝鮮と、我々の父祖が築き上げた偉大な土地や冊封国が列強に奪われようとしている、それに対抗するため、我々大清帝国は抜本的な改革が必要であるのではないでしょうか?」
周りの官僚たちがざわつき始める中、ニヤリと笑った男が彼に質問をする
奕訢「ふむ…最もな意見だ さて、その問題を君はどう見るかね」
李鴻章「はい、私一個人の考えで有りますが、我々清は彼ら列強に対し現在領土防衛、という意味でははっきり言って対抗は不可能であると考えます。 そこで私は考えました、大した市場にもならず何ら我々に貢献してこなかった冊封国を守る必要がある冊封制度を廃止し、我々と殆どシーレーンに置いて同じである大日本帝国と同盟するべき、ということです」
会場のざわつきは一層大きくなる
「冊封制度を廃止するだと!?中華4000年の間我々の権勢を維持してきた制度を!」
「東夷である小日本と同盟するなぞ、清国人、いや中華に生きる人間として恥ずべきことであるぞ!」
そのブーイングの嵐の中、悠然と立つ李鴻章に近づき掴みかかる男がいた
李鴻藻「以前から貴様とは反りが合わなかったが、もはやこのような事を考える等貴様は清国人とは言えぬ!」
李鴻章「ふむ、そのような大層な事を申すのであればそれに変わる対案を出してほしいものですな」
李鴻藻「なんだと…! もはや貴様の提案を飲み生き延びる位なら清が戦い滅びるほうが中華としてメンツが立つぞ!この非国民め!」
李鴻章「非国民だと? 清を滅ぼそうとする貴様こそが本当の非国民ではないか!」
「静粛に!」
燃え盛るように続かれていた議論とも言えないような議論がその一言で静まり返った
奕訢「李鴻藻よ、確かにお前の気持ちは分かる。 しかし章の話も頷ける事とは思わんか この事は再び議論し決定する事としよう」
燃え盛った会議は急速に冷却し、それからは普段通りの静かな会議が続き終わった。
・1881年 7月10日、清は 冊封制度の廃止、大日本帝国との同盟を宣言した。
その後一年以内にフランスはベトナムに侵攻しこれを併合、朝鮮では急速に力を落とした事大派(清の属国を進める勢力)と改革派で内乱が起き、清の助けを失った事大派を打ち倒し新たに政権を握った改革派は国王の力を削り取り日本をモデルとした国家、「大韓王国」として新たにアジアの戦いへ足を踏み入れる事となった。
1881年 8月1日 東京にて
外務卿である井上馨は、在清大使である柳原前光からの報告を受け、冷静さを保とうとしているが興奮を抑えきれずに
井上馨「ほう…あの清が我々と同盟を やはり李鴻章かね?」
柳原前光「ええ、おっしゃる通り あの大国清と同盟を組めるとなれば、すぐに我々日本が攻め滅ぼされる、なんてことも無いでしょう」
当時近代化を進めていた段階である日本にとって、この反応は当然だった 清は何度も小規模な戦いで列強に負けていたが、大規模陸戦となれば負ける事は無いし、現在戦艦すら納入しようとしていると言われ、日本より遥かに強大な国だと思われていた つまり、飛鳥時代の頃から日本の中国への目線は殆ど変わっていなかったのである
「号外だよ!号外! 大日本帝国があの清と同盟だって!」
「まさかあの清と同盟とは… 日本も中々強くなっていたんだな…」
この話は当時の最新の技術である電信を通じ、あっという間に全国へと広がった
一部は亜細亜は大日本帝国のものであり、清は打ち倒すべきだという強硬派もいたものの、世間の反応としては殆どが喜ばしいというものであった。
これにより今までの脱亜入欧論から、「兄弟世界であるアジア諸国と協力し、ヨーロッパ列強に対抗する」という興亜論が日本で盛んになったのは言うまでもないまた、八幡、室蘭、釜石に続き名古屋を含めた5つに製鉄所が決定し、「日本の雇用は如何した!」 「まだ残っている資源を捨てる気か」という意見も出たものの、大量に海外からの鉄鉱石や石炭の輸入を開始し、1900年までに年間2000万tの銑鉄を得るという巨大な計画などを筆頭に、清と戦う予算を組む必要が無くなった日本は重工業化に憲法開設や国民投票の解禁などの民主化を進め、列強への道を苦労しつつも進めて行くのであった
一方その頃清では…
李鴻章「いやはや、奕訢さま助かりました あの会議以降、倭仁や李鴻藻に徐桐の保守派勢力が一気に衰えた。 これで我々の近代化も進むってものです」
奕訢「私は今の清に必要だと思ったことをしたまでだよ それより、近代化とは具体的に何をするのかね」
「それについては私が説明しましょう」
二人の会話に割って入ったのは同じく洋務派官僚張之洞であった
張之洞「まず、我々が進めなければなら無い事は4つ 外資を活用した都市と都市を繋ぐ鉄道の整備、軍の近代化と国軍の一体化、自国資本の強化、そして確固たる貨幣を作る貨幣改鋳であります。 我々の土地満州を狙うロシアと戦う為に、この広い中華から高速で兵を集め、統率された軍を当て、そして長期戦にも耐え得る国家経済を作らなければなりません」
奕訢「なるほど… よく考えられておるな…とはいえその様に高速的に改革を進めて国庫が持つのかね?」
張之堂「ま、勿論持ちませんね とりあえずのところ戦場となる可能性の高い満州に重要都市の多い沿海州を中心に、という形になるでしょう鉄道に関してはユーラシア大陸を繋ぐ世界鉄道を作るという夢想家がアメリカにはいるようですからある程度はできますでしょうが」
奕訢「それならなんとか持つであろうな、よしそれで進めていこう」
1891年 奉天のある建物に、二人の男が話していた
張之洞「久し振りですね、袁世凱様 軍備の拡張の調子はどうでしょうか?」
袁世凱「ああ…久し振りだな… まず先にそっちの方の調子を聞かせてくれないか?」
張之洞「ええ、分かりました。昨年の鉄鋼生産量は38t、1889年と比較すると3tの増加です。 また、北京から北満州までの鉄道は、昨年御前会議で決まった通り、アメリカの実業家ハリマンに申し込んでみたところ中々好感触のようで、1895年までにはある程度引ける可能性があるようですね
また、沿海州などでは教育も普及しており、識字率は70%も増加しているようです。 上海でも民族系財閥の勃興が起こっており今後の経済にも強く作用する、という感じですね」
袁世凱「あー、なるほど まぁ俺は民間経済の事は大して分からんが中々良いと言う事は分かった。 こっちの方は中々難儀でな… ドイツから軍事顧問を呼んだり色々工夫はしているんだが、識字率とかの問題もあって中々進まぬ それに加えGew88のライセンス生産も軍量にまるで追いつかぬ上に最新式の山砲、機関銃も取り入れる必要があるのがな…」
張之洞「ふむ、それなら取り敢えずそのような兵器を取り入れる軍を絞り、一つの精鋭軍を作るのが宜しいのでは? 実の所、私も両江総督としての権限を使って軍を編成する事を考えていまして」
袁世凱「そのような考えがあるとはな 確かに合理的だ、取り敢えず10000を目標の軍を編成するとしようか」
こうして1894年、新軍という名の清国初めての近代軍隊が誕生したのだった
アジアで急速に近代化が行われる中、北方の大国は恐ろしい策を巡らせていた
アレクサンドル三世「ほう…我らに対抗する為にアジアの劣等国共が近代化をしようとしていると」
内務大臣ドミトリー・トルストイ「滑稽ですな。 我らはオスマン帝国を破り世界の覇者となろうとしている、あの猿共に止められるはずがない」
アレクサンドロス三世「ああ…我らがこの世界で勝者となる為には、間違いなくイギリスとのグレートゲームに勝つ必要がある。幸い、ウィッテはシベリア鉄道を作成中だ あれさえ完成すれば、我々は奴らを好きなようにできる。 兵站や兵の配備、それに開戦の理由づけにもな」
1899年4月1日、チタへ到着するはずのシベリア鉄道に仕掛けられた爆弾が爆発、これをロシア帝国政府は外満州併合時の怨みを持った清軍部が独自にテロを行ったと断定し、「何故か」清の満州部の国境沿いにいたロシア軍を動員し、ここに露清戦争の戦端が切られたのだった。
北京 紫禁城
閣僚達は皆青い顔をしながら沈黙していた
李鴻章「不味いことになりましたな…」
張之洞「まぁ、いつかこうなる事は分かっていた事でしょう。 後は我々の最善を尽くすだけです。」
李鴻章「確かに、戦争を率いる我々がこんな有様では行かんな やるべき事はやれたんだ」
こうして、清280万、ロシア軍130万という二国間の争いとしては歴史上最大の戦争が始まるのであった。
最初の戦いはアムール川沿いの璦琿市(現在の黒河市)で行われた
清は何の対策も取っていなかった訳では無かった
1600年代以降、ロシアの南下に対抗する為に要塞化され続けた都市は、四万の兵と河川による防衛の為に最新鋭の機関銃までそえつけられた大規模要塞となっていた
しかしロシアは余りにも強かった。
あの強大なナポレオンが率いるフランスと指導を繰り広げる最中ですら他国へ侵略戦争を続け全勝した様な国家だったのだ。
ロシア軍は何の考えも無しに璦琿へ渡河攻撃するのではなく、50門もの重砲でアウトレンジから砲撃を仕掛けたのである
目に見えない場所からの砲撃に、近代戦争のいろはを知るものがいなかった璦琿の要塞内は大混乱となっていた。そして指揮系統が殆ど機能しない状態の要塞に、ロシア軍騎兵を先頭にした8万人が電撃的に渡河攻撃を仕掛ける。 それに対し清は殆ど抵抗が出来ないまま、指揮官クラスが逃げ帰るのが精々というほどの大敗という結果となり、殆どの兵が一発も撃たずに捕虜となり、要塞はロシア軍の大変便利な補給拠点となった。
その上、この要塞の指揮官であった葉志張は責任を取られ死刑になるのを恐れ、ロシア軍に対し果敢に抵抗し、実際は数百程度の敵の損害を八千、主力は転進したためほぼ無傷という虚偽報告を総指揮官である李鴻章にした為、今後の戦いで清は敗走し続けて行くのであった
最初の戦いで勝利、という朗報(実際にはとんでもない悲報であった)を受け取った李鴻章等、清国軍令部は大喜びし、その後ろの交通の要衝である五代連池市で増援と共にロシア軍を撃退、その後ロシア領へ進撃せよという命令を発したのであった
近年通ったばかりの鉄道を通り五代連池市へ到着した清増援軍はとんでもない物を見た、報告では三万に機関銃や重砲に野砲が運ばれているはずであった守備軍は、実際にはたった数千、その上置いて帰ったため銃が一人一本に満たない状況であったのである。
そのような惨状を報告しようとする間もなく、再びロシア軍の砲撃が行われ、ものの数時間の間に五代連池市は陥落したのである。
その後師団を纏めて組織的抵抗をすることすらままならずなし崩し的にチチハル、長春、ハルビンという交通の要衝や大都市が次々と陥落していき、満州がほとんど陥落し首都北京へロシア軍が迫ってくるのに清軍はまとまった抵抗が出来ずにいた。
─────1989年11月4日────
清露戦争での戦争特需により湧きに湧く帝都東京、しかし永田町の一角、参謀本部では誰しもが曇った顔をしていた。
あくまで日清同盟は「複数の敵国と戦争になった場合、共同して敵国にあたる」というものであり、二国が参戦しないと合法的に参加する事は出来ず、この大戦では日本は資金や武器は送るものの静観することしかできなかったのだ
一時期は盛んであった参戦派の勢いも衰え、少しでもロシアの進軍を抑えつけてくれないかという考えのみが存在していた
その為帝国陸軍は清へ電報などで、言葉にはせずとも最後の決戦を行えと暗示し続けていた。
袁世凱「チッ! 当事者じゃないからと言ってあっちは無茶な事を言いやがる…」
李鴻章「日本の言い分も当然な事だ。 我々が敗北したら次は彼らだからな。 今度の作成は俺が直々に行くしかあるまい。新軍の準備は整っているな?」
そして李鴻章は、自ら40万もの大群を率い、奉天にて乾坤一擲の大決戦が行われたのだった
奉天で待ち構える清軍40万人に、ロシア軍35万は定石通り砲撃を仕掛けた後、騎兵と共に突撃した。 そうする事で、普段通りの清軍であれば散り散りになり各個撃破できる「はず」だった。
「Blya!!!、塹壕から頭を出したやつから殺されやがる!」
「貧弱な清軍、ってのはどこ行ったんだ!」
しかし今回は違った。 なぜなら、李鴻章は塹壕を使った新たな形の防衛線に、徹底的な訓示と督戦隊を使い逃げるものは殺すという彼の今までの経験を総動員させた戦い方を行い、要所要所にまだ設立して間もない本当の近代軍である新軍を動員したのである。
打って変わった精強な清軍に、経験則から砲撃後に突撃するだけの単調なロシア軍は多大な死者を出し、死者6000、負傷者二万に大して黒溝台などで部分的な勝利を納めただけだったのである。
しかし、この事は清軍にとっては悲報でしか無かった。 黒溝台を占領されたことは、もはや奉天を完全に包囲された事と同じことであった為である。 李鴻章「そうか…黒溝台が… もはやこの戦いも終わり、という訳か」
袁世凱「まだ終わった訳ではありません! ここは一つ後退し、再び北夷を撃破するのです(そうでもしねぇと、俺の偉大な将軍としての覇道も消えちまうしな!)」
もはや奉天での勝利は失われ、この戦争ももはや決しようとしている事を察した李鴻章は、悲惨な決意と共に、背後に控える敵軍に突撃し、要塞にこもり少しでも抵抗する為、旅順へと退却したのだった
この戦いは後々奉天会戦と呼ばれ、ロシア軍死者19000、負傷者76000、清軍死者32000、負傷者43000という地獄のような戦いとして語り草になるのであった
その結果、ロシア軍は満州のほぼ全土を占領し、もはやこの戦いも決しただろうという事で、運良く最新鋭戦艦の拿捕などや微々たる通商破壊を目的に旅順へと攻め入り、この戦争を終わらせようとしていた。
しかしこの判断は余りにも甘かったと言わざるをえない。 近代の大要塞というものは簡単に落ちるものではないのである。 ロシア軍はクリミア戦争での英仏軍と同じ失敗を味わう事となったのである。
要塞に立てこもった清軍6万と李鴻章は、突撃してくるロシア兵を機関銃や歩兵銃で何度も何度も薙ぎ倒し、その間に、北京陥落を恐れた清は終戦工作に成功したため、遂には陥落する事が無かったのである。
1900年4月17日
講和会議は数十年前まで清の領土であったハバロフスクで行われ、清側は李鴻章、そしてその甥である李系方、ロシア側は運輸、大倉大臣セルゲイ・ヴィッテによって執り行われた。
その結果は余りにも悲惨なものであった。
後半の数度の敗北を除き圧倒的な勝利を納めたロシア側の主張である北満州と遼東半島の割譲に南満州のロシア軍の駐留、そしてロシア側の戦費と同額である3億テールという大金を賠償金として支払うという余りにも不利な条約を殆ど抵抗できず呑んでしまったのだった。
擁護として強いて言うのであれば最後の抵抗が評価され、清の領土を列強のおもちゃとして分割される事が無かった事、また決戦兵器である戦艦鎮遠、定遠は勝てない戦に出すのでは無く港に駐留し少しでも影響力を保持せよ、というめいれいから温存されていたことにより無事であったという事程度であろう
その後、すぐ北満州を通りもともとの最終駅のチタからウラジオストックまで通る北満州鉄道は完成し、その次に北の大蛸に呑み込まれるのは日本及び朝鮮である事は明白であったユーラシア大陸を賭けたもはやグレートゲームは最終盤となっていたのであった
1900年 帝都東京
数人の男たちは、華の都 と称されたこの都市に似ても似つかないような険悪な顔をして向かい合い座っていた
最初に口を開いたのは恰幅の良い時の陸軍長官、桂太郎である
桂太郎「流石に清はロシアに破れましたか…」
伊藤博文「そうですね…もはや対露開戦は不可避でしょう これについては山縣さんや貴方が正しかったと言う他ありません なんせ遼東半島の併合、これは我々に銃を突きつけているのと等しい」(伊藤博文は非戦派であった)
桂太郎「とはいえ、清はロシア軍に対し10万人の死傷者だ 後方兵力が多いロシアといえど中々の出血じゃあないかね それに他の列強であるフランスにドイツは利権を貪ろうと動きだしている…」
伊藤博文「だが独仏露とやりあう力は日本にはないぞ 誰かが独仏を止め続ける抑止力が必要だ」
桂太郎「そう来ると、やはりジョン・ブルしかいません、か 外れるかもしれませんが、まぁアプローチは続けましょう 彼らもロシア南下を我々と同じく恐れていますからね」
清露戦争の清の敗北は、日本では大きな衝撃となり、特需景気で大いに湧きに湧き成金などという下品なものすら大量に発生していたような日本経済を一時的に失業率が二倍、倒産件数は三倍という明治維新後の日本史上としては最悪と言っていい不況にまで下げるほどであった
清の敗北の可能性は開戦直後から新聞でも騒がれていた話だが、日本人の根底に染み付いた中華という超大国の幻想は、それほど大きいものだったと言えよう
1902 8月4日 陸軍参謀本部にて
数十人の軍服を着た兵士たちの前で、一人の男が力強く壇上に立ち話し始める
山県有朋「これより、我が国のドクトリンについて清露戦争に伴う近代戦争の総括を踏まえ会議を行う。 主な敗因について、桂太郎君、説明をお願いしたい」
桂太郎「はっ、まず今回の戦いにおける清の失敗点を上げるとするならば、動員における時間不足、そして砲弾の不足、また訓練不足の兵の指揮不足、という点が挙げられます しかしこれらの点は、ロシア軍にも見られた事であると我々は考えますがその点において清軍に比べ余りにもロシア軍はそれらへの対応が早かったと言えます」
山県「説明ありがとう。 私は、この対応能力の差こそが今後の近代戦争を分けうる物だと考えた。 弱小たる日本が強大な敵に対峙する。その為には、国家が戦争遂行において有する、技術、人口、科学、経済、総じて国力を即座に総動員して戦う為の体制、詰まる所"国家総力戦体制"こそが重要な物だと考えた。 それらへの体制の変更を行うため、その為の研究所を開設すべしと考える所存である。」
「国家を総動員ねぇ…その為の経済は持つのかい?」
「いや、少なくとも5年以内にはロシアとの戦争は起こるだろう それくらいなら持つんじゃ無いか?」
「まぁもはや、我々が数十倍の敵と戦うには結局その様な運任せも必要か」
こうして1901年2月2日、総力戦研究所が永田町へ建設された。彼らの緻密な計算により、清露戦争の終結に伴い発生した弾薬に艦艇の売れ残りや、名目上では終戦不況により仕事を失い一時的に失業率が二倍にもなった事の解消の為の軍隊志願の拡大等を決定し、明治時代最悪の不況に落ち込む日本を無理矢理好景気へ戻すという荒業と伴に軍の拡大を成し遂げたのであった。また、この改革により陸軍は6個師団を増設し、1901年に近衛師団を抜けば12個師団体制に移行する。
そして1902年にさらに6個師団が増設が決められ、1903年、1904年までにそれが行われる事となった
また、それだけでは飽き足らず帝国陸軍は根本的名改革先の戦争で認識した野戦や攻城戦での大口径重砲の必要性に着目し、海岸砲としてしか注目されていなかった28cm榴弾砲の大量生産や砂塵に弱い30式歩兵銃の改良版34式歩兵銃の配備、海軍は英国への戦艦や装甲巡洋艦の大量発注など、日本に出来る最大限の事をしていた。
しかしそんな日本への列強からの視線は冷ややかな物であり、ロシア帝国ツァーリ、ニコライ2世は「朕が望まぬ限り戦争は起きぬ」 等と嘲笑にも近い感情を抱いていた
しかし1902年1月30日、イギリス外務省と日本外務省から同時に「日英同盟」締結が発表された事により、本当に日本はロシアと戦える力が付いたのではないか、等とその視線は真反対のものへと変わり、更に日本は軍備を整えていくのであった
また、鉄道国家である英国と組む事のもう一つの目標として、朝鮮にロシアと同じ広軌鉄道を建てる事も目的としていたこれを英国に頼んだ山縣有朋は、日本軍の進軍と共に線路を敷設していき、シベリア鉄道の輸送力を活用するという計画を持っており、また、経営権もであるが費用は半分日本持ちであり破格で初めての鉄道ができる事は、朝鮮にとって濡れ手に粟であった
────1903年────
秋田県 強首演習場
馬ごと塹壕に入った兵士たちが、掛け声とともに機関銃を激しい音ともに撃ち放ち、野砲を斉射し雷鳴の如き音を放つ
演習場にいる新兵達は、この激しい火力を見て、もしこれだけの準備が整えば、幾ら相手がロシアでも命がいくらあっても足りないだろう、と思い沸き立っていた
高い鼻の騎兵科将校が隣で演習を静かに見つめる男に声をかけた
声の主は帝国陸軍の騎兵部隊の第一人者であり、この拠点防御式という騎兵と工兵部隊等を同時に運用するという機動性を失わせるような一見奇妙な戦術を編み出した男、秋山好古であった。
「中々の出来でしょう小川さん 如何にロシア・コサックが日本騎兵を圧倒していようが、これさえあれば一網打尽ですからね しかしまさかこれ程まで新兵器を揃えてくれるとは "今謙信"と言われるだけありますね」
今謙信という大層な渾名で呼ばれた男は今川又次、日本陸軍建設の父であるメッケルから、名指しで優秀と挙げられた程である
今川「いやいや、俺一人の功績じゃあ無いよ。 今は参謀長官になった巌さんやその片腕の児玉さんが色々な場所に掛け合った結果だ。それにしても、これにはロシア軍の震え上がる顔が目に浮かぶな」
と、訓練の状況を見つつ二人は笑いあった
場所は変わって、横浜海軍鎮守府
そこでは、二人の中老の男が、輸入されたばかりの八隻もの戦艦を惚れ惚れと眺めていた
葉巻を燻らしながら、時の海軍大臣である山本権兵衛がもう一人の男に語る
山本「見事だ… なんとかイギリスにごねてスウィフトシュア級戦艦を買い取る事が出来て良かったな なぁ東郷君」
東郷「閣下のお陰ですよ。 後は我々現場の者が頑張るだけですな」
山本「頼んだよ、次の"聯合艦隊参謀長官"君」
二人はニヤリと笑ったあと、大きな声で笑い出したまた、その時イギリス等の諸国を飛び回る男がいたその男は、天才ではあるものの留学でアメリカに行ったときは奴隷にされても気づかずペルーで騙され一文無しのホームレスになったのに外国情勢への精通さから日銀副総裁となった異例の経歴を持つ男、高橋是清だった高橋是清は、古くからの戦争投資家である英国や米国にいるユダヤ投資家、特にロスチャイルド家に接触し、特にイギリスのシフ卿等は、反ユダヤ主義のロシア帝国を憎んでおり、話がトントン拍子で進んで行き、8億円もの外債を手に入れられたのであった
1904年日露間の緊張はドンドンと高まって行った 三度目の撤兵履行期限を迎えた満州駐留のロシア軍は動こうとせず、何度も大韓王国へ領土侵犯を続け、またロシア国内で反乱分子と接触する日本人スパイが逮捕され処刑される等、もはや一触即発であった
両国の国民も、
「馬鹿なイエローモンキー共の国を植民地にしてやれ!」
「調子に乗ったロシア野郎の鼻面を思いっ切り叩いてやれ!」
と加熱していき、特に日本で多かった反戦論を唱える新聞社なども開戦論に転じていた。いよいよ日露戦争は対露開戦の勢いが絶頂に達して行くのであった。
そしてその火蓋は日本軍によって切られた日本のアキレス腱となる日本本土から大陸への海上輸送を脅かすロシア艦隊を無力化するために日本海軍は水雷夜襲や、高速性を重視した戦艦である香取型戦艦二隻(旧スウィフトシュア級戦艦)による成功の可能性が限りなく低いとされた閉塞作戦の代わりに、十次に渡る攻撃を奇襲として仕掛け、戦艦一隻に防護巡洋艦二隻、その他損傷艦艇多数という大戦果を上げた
そして一時的に制海権を確保した日本軍は、陸軍18個師団を輸送船にのせ満州へ向かったのだった
しかし世界からの目線は冷ややかだった国力差は7対1と言われ、日本の勝利を願うものは多いものの誰もがロシアの勝利を疑っていなかった。
しかもロシアは、清露戦争で圧勝した事からクリミア戦争のダメージも完全に回復し、断トツで世界最強の陸軍国と認識され、国力差どころの問題ではなく、ロシアが負ける事はあり得ないだろうと考えられていた。
日本に善戦して欲しいという意見は特にアジアやアジアにある植民地を中心に世界中で大きく、イギリスも多くの事を画策したが、日本そのものに勝ち目はなく国力を削り朝鮮くらいは守れるかどうかというのは既に決定事項に近かった。
しかしその国力差を日本は深く理解していたそのため、突き詰めれば日本の戦争目標は、ロシア軍全軍が満州に到達するまでに満州駐留ロシア軍九万人を突破し満州全土にハバロフスクまでの沿海州を奪取、その後防衛戦を築き講話するというものだった
つまり日本は、自分たちの力量をロシア軍より弱小なものと自覚していたのであった。
長期戦では必ず負けるので、短期戦の大会戦に大勝することで戦術的勝利を引き寄せる事にのみ勝機があると考えていたのであった。
ロシアは確かに、約歩兵1700個大隊、砲兵700個大隊、徴兵動員総数190万6千名という巨大なる軍事力を誇っていた。 しかしロシアは余りにも偉大で、余りにも大き過ぎたのだそのためロシアの輸送能力はまだ十分とは言いががたかった、単線でありバイカル湖などは繋げられていないシベリア鉄道のみを利用することになり、ヨーロッパから満州までの鉄道輸送力は、一ヶ月当たり陸軍師団2〜3個、単線の一方通行を行う場合4個師団程と総力戦研究所では見積もられていた
それに対し日本の場合は、基本的に海路で兵士を満州沿岸部に送り込めばよく、また陸路や兵力を保つ為の兵站輸送も貧弱な国力でなんとか協力関係にある韓国が作り上げた鉄道を使えるため、その輸送力は一ヶ月当たり7個師団もあり、4年前から総力戦体制が進められていた為それらもスムーズに行えた。
その実際の兵数とは違う一時的な優位を活かす事が、清露戦争以降の日本の目標であった。最初の火蓋は、朝鮮と満州の境界部である鴨緑江で起こった。
ザスーリチ将軍は、清露戦争の清兵と日本兵を同程度に考え、ロシア軍兵士が日本軍兵士よりも優秀であると過信して兵力を分散配置した それに対して日本陸軍は火砲を持って攻撃し、損害を与え、またクロパトキン将軍の考えにより、ロシア陸軍が全軍を用いての決戦を避け早期に退却を行ったため、日本陸軍は渡河をたいした損害なく完了することができた
撤退したロシア陸軍は遼東半島の隘路となっている南山に野戦砲114門と機関銃を据え付け、塹壕と鉄条網、地雷を備えた近代的陣地を構築し待ち構えていた。日本陸軍がこのような近代的な陣地に攻撃をしかけるのはこれが初めてであったが、中国人から得た情報により、要塞の構造は把握していた。
男が巨大な大砲を愛でるかの様に撫で呟く「やっと出番が来たなぁ こんな時の為のコイツだ しっかり仕事してくれよ」その男の名は第二軍砲兵部長、税所 篤文そして、男に愛でられている大砲は、清露戦争の旅順の戦いにおける要塞戦に対する突撃の不利を知った日本陸軍が、海岸砲である28cm榴弾砲を独自に改良し、複雑なコンクリート工事等で三週間かかるとされた設備時間を1週間未満に、また駐退機を備え多少精度をあげた、純粋な対要塞砲である36式28cm重砲であった。
5門というそこまで多い量では無い門数であったが、その発射音は途轍もない音であり、着弾と同時に周りのロシア兵は跡形もなく吹き飛んだ
要塞内に詰め込まれていた資材は吹き飛び、弾薬庫の誘爆も一度では無かった。
第二軍の司令官である奥保鞏は、「こりゃあ行けるな」と思い、要塞へ突撃を敢行した。
しかし、砲撃だけで要塞は完全には機能を失わないのだ 散発的ではあるが、機関銃は火を吹き、地雷原は辺りを吹き飛ばした
そのため、日本軍は要塞と言う物を低く見積もり過ぎていた事を知り、この事は後々響いていくのであったしかし想定未満の死傷者約1000名弱という結果に東京の大本営は息をついた
その後生き残ったロシア兵は鉄壁要塞旅順へ逃げ、日本軍を待ち構えた
その後徳利寺の戦いで日本軍は圧勝し、旅順を乃木希典大将率いる第三軍が包囲したのであった
偵察気球から取られた要塞の写真は、第三軍司令部を震え上がらせた各防御堡塁周辺に鉄条網が張り巡らされ、登る時に撃たれるであろう丘の上にはまた鉄条網があり、大量の砲郭には機銃が突き出しているそして見えた砲台は100、200という物では無かった
乃木希典大将は、「これは最早今までの戦略では通用せんな 突撃した時兵に有るのは死のみだ」と憂慮し、要塞の周りに塹壕を掘らし、海軍に出動を頼んだ
そこで起こったのが「黄海海戦」であった
聯合艦隊は、陸軍の目的と旅順艦隊とバルチック艦隊が合流するのを防ぐという目的が合致するという状況があり、先の奇襲で痛手を負った敵艦隊を港で撃滅しようとしていたその様な連合艦隊に、驚くべき知らせが届く「20km先より黒煙確認!」「戦艦5隻、巡洋艦ほか多数!」そう、旅順艦隊と遭遇したのである
偶然にも旅順艦隊はこの時、砲撃から逃れるため包囲下の旅順からウラジオストックへ脱出しようと動いていたのであった
最初に動いたのは、速力で勝る聯合艦隊であった聯合艦隊は単縦陣を組み、東斜め北へ艦首を向け旅順艦隊を遮るように移動した。
旅順艦隊指揮官ヴィトゲフトは、最早この傷ついた艦隊では勝ち目はないとし、分散し少しでも多くの艦隊を残そうと考えた。しかし、美しく単縦陣を組んだ帝国海軍の砲撃は大型艦から集中していき、結果的にロシア海軍の戦艦は三隻撃沈、二隻は自沈 また防護巡洋艦も二隻撃沈という悲惨な結果となった
そして旅順艦隊は事実上の壊滅となり、旅順要塞の戦略目標の半分が達成されたその後聯合艦隊は旅順要塞へ砲撃を開始し、陸軍の28cm砲の砲撃と相まって要塞は地獄絵図と化した。 食料や弾薬は燃え、肉片は辺りに飛び散り、日本軍の夜襲に怯えさせられ、元々戦意の高くは無かった兵士達の多くは正気を失っていた
旅順要塞司令官であるステッセルやコンドラチェンコは何度も何度も工夫を重ね日本軍を要塞へは入らせる事は無かったが、最早この戦いに意味は有るのかと疑問を持ち始めていた
そこで彼らは、ロシア軍の最後の一兵まで粘れという命令を無視し、死刑になるのも厭わず自分達の若き兵士達を守るために降伏したのだった
その悲惨な決意を見た乃木将軍は感涙し、ステッセル将軍と水師営にて会見し握手をしあったのであった
結果的に、旅順攻囲戦は日本軍死傷者一万五千名、ロシア軍死傷者二万名に病死餓死者八千名という要塞の規模と比べるとお互い少ない損害で終わったのだった。
その後日本軍は魔天嶺に大石橋、析木城で勝利し、遼陽に向かった。
遼陽では、十五万のロシア兵の大軍が待ち構えており、十二万人の日本兵を待ち構えた
ここで日本軍は、大きな痛手を追うことになる今までは砲力や機関銃の防御力によって勝ってきた日本軍であったが、今回は逆だった攻める側の日本軍は塹壕戦においてロシア軍の速射砲や機関銃をモロに喰らい、多くの損害をだした
十日間繰り広げた末日本軍はロシア軍お得意の後退戦術が行われた為遼陽を制圧できたが、ロシア軍主力の殲滅には及ばず負けでは無いものの初めてこの戦いで辛酸を舐めることになった
2 野に咲く名無し@転載禁止 2024/03/26 (火) 12:33:30.920 ID:KrXQ1Zc74
書けや!😡
3 野に咲く名無し@転載禁止 2024/03/26 (火) 12:36:01.789 ID:m53Rc87Io
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ブラウザだと見えたけど長いとこんなんなっちゃうのね🥺
5 野に咲く名無し@転載禁止 2024/03/26 (火) 12:36:46.410 ID:KrXQ1Zc74
あー専ブラだと省略されてたの🥺
ごめんゆ
6 野に咲く名無し@転載禁止 2024/03/26 (火) 12:38:12.569 ID:buCQ42tHC
七聖獣辺りで引っかかってた覚えあるけど文字数制限て何文字なんだっけ?🥺
8 野に咲く名無し@転載禁止 2024/03/26 (火) 13:31:59.805 ID:gmDsU8bXy
ぷゆ環ではちゃんと読めるけど長すぎて困った🥺
ある程度レス分けてもらえると読むときに区切りつけやすいから助かる🥺
9 野に咲く名無し@転載禁止 2024/03/26 (火) 16:00:11.089 ID:u7FMMsDKB
ええんやない
ワオもそこまで軍事に詳しくないから考証できる人が細かく書いて
あと登場人物を増やしたらいいのではないか