1 野に咲く名無し@転載禁止 (0eff9e95) 2025/04/21 (月) 20:26:33.698 ID:osppJTAJI主
急逝
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教皇在位33日
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上記のような改革を早くから表明したことは、多くのバチカン内の改革派と信者からの支持と喝采を受けた。一方で、追放の対象者となった「保守派」やその利害関係者からは大きな抵抗と非難を受けていた。
そしてヨハネ・パウロ1世は、教皇在位わずか33日目の1978年9月28日、午前4時45分にバチカン内の自室で遺体となって発見された。わずか33日の教皇在位は、20世紀に入ってから、そして2025年現在も最短の在位記録となった。
証拠隠滅
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午前4時という、通常通りの起床時間になっても起きて来ないことを不審に思った修道女によって発見された直後に、個人秘書であるマギー神父に連絡が行き、さらに午前5時にはヴィヨ国務長官に連絡が行った.しかしヴィヨはすぐに専属医師団を呼ばず、自らの側近に連絡した後にようやく医師団次席であるレナート・ブゾネッティ医師に連絡を行った。
その後、午前6時過ぎに駆けつけたブゾネッティ医師による検死が行われたものの、遺体解剖が行われていないにもかかわらず、ブゾネッティは「帰天推定時刻は27日の午後11時ころで、死因は急性心筋梗塞である」と断定し、午前7時27分にバチカン放送による帰天の発表がされた際にはこの検死内容がそのまま発表された。なお、この際にはなぜか(聖職者の私室に修道女ではあっても女性が入ってはいけないという理由で)「遺体の発見者が個人秘書のマギー神父である」と偽って発表され、さらに遺体発見時刻も「午前5時30分」と偽って発表された。
さらに帰天後、ヨハネ・パウロ1世の遺体発見時にベッド周辺に置かれていた眼鏡とスリッパ、就寝前に手元にあったヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教などのバチカン銀行関係者の更迭を含むバチカンの人事異動者リスト。そして通常は常時用意されている遺言状が、前日ヨハネ・パウロ1世より更迭が言い渡されたヴィヨ国務長官により持ち去られており、その後行方不明になった。
ヨハネ・パウロ1世の遺体が発見されてから15分と経たず、医師団への連絡も行われていない午前5時前には、早くもバチカン御用達の葬儀社であるシニョラッティ社に連絡が行った上に、遺体解剖も行われず、明確な死因もわからないうちから防腐処理が行われたことなど、バチカンによる「証拠隠滅」や「情報操作」と思われる行為が矢継ぎ早に行われた。
また、この「バチカン保守派」による迅速な対応が信者やイタリア政界関係者、マスコミだけでなく、バチカン内部関係者からも大きな疑惑を呼んだ。イタリアの有力紙である『コリエーレ・デラ・セラ』は、遺体解剖がすぐに行われなかったことを10月1日の紙面で大々的に批判した。なお、遺体解剖は防腐処理の終了後に秘密裏に行われた。
謀殺「説」
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このように、帰天間もなく不可解な証拠隠滅や情報操作が行われた上に、ヨハネ・パウロ1世によるバチカン銀行の改革と自らの追放を恐れていたマルチンクス大司教が、普段は早朝に起床することがないにもかかわらず、なぜか当日午前6時45分に教皇の寝室近辺にいたこともあり、まもなくヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教、そしてマルチンクス大司教と関係の深かった「ロッジP2」のジェッリ代表、さらにこの2人と関係の深いアンブロシアーノ銀行のカルヴィ頭取らによる謀殺説がバチカン内部から囁かれることになった。
しかし、バチカンにこれらの「疑い」を捜査するための権限を持つ警察(警備を行うバチカンのスイス衛兵のみ)や公訴の提起を行う検察は存在せず、それは統治権を持たない隣国のイタリアも同様であった。しかし、世界各国の新聞やテレビなどのマスコミュニケーションやジャーナリストによる犯人捜しは今日に至るまで続いている。
その中で、上記の人物と近い関係にあったマフィアによる暗殺説もあり、マフィアとバチカン、イタリア政界の関係を扱った1990年公開のアメリカ映画『ゴッドファーザー PART III』のプロットの一部は、この教皇の謀殺説をもとにしている。また、2006年に発表され、世界的ベストセラーとなったポルトガル人作家ルイス・ミゲル・ローシャ(英語版)によるミステリ小説『P2』(新潮社刊・原題 O Ultimo Papa )は、この教皇謀殺と秘密結社「ロッジP2」との関連をテーマにしたものである。
2 野に咲く名無し@転載禁止 2025/04/21 (月) 20:32:20.892 ID:1xR04iur4
学びがある
3 野に咲く名無し@転載禁止 2025/04/21 (月) 20:42:17.770 ID:3j9IO28JG
憤死定期