>>200
出会いに感謝
皆と別れた後、唯一と三段峡に行ったという感じでふね
https://imgur.com/ffEHtSM.jpg
こちらの文章と併せて考えると、光次の子供は
長男 光彌
次男 芳郎
三男 龍男
長女 雪子
次女 不詳
三女 多恵子
となるようですを
芳郎と次女を除き全員亡くなっています
痛ましいものがあります
河野芳郎で検索すると何名か引っかかりますが、同姓同名が多く特定は難しそうです
唐澤家&河野家先祖調査路線
1001 レス · dat原文
東京朝日新聞1921年9月7日朝刊6頁に、報徳銀行取締役頭取木村授弥太の死亡広告(同月5日未明死去)が出ている。
「友人総代」の一人として尾崎行雄の名前があるのが興味深い。光次との繋がりがにおう
>>202
出感
木村授弥太と尾崎行雄の関わりも深かったのでふね
有名な人物でも意外に交友関係は明らかになってないことが多いですね
木村授弥太は木村久寿弥太と同一人物と書いているものもありますが没年も違い別人ではないかと思います
●はい。
『帝国銀行会社要録 附・職員録. 大正元年(初版)』
http://imgur.com/5BRAd7k.jpg
明治大学図書館から一英・吉信の名前が見つかりそうなものをピックアップでふ
明大は想像以上に恒心教の聖地だ
凄そうな資料がざくざくと見つかる
同窓會々報 明治大学商学部同窓会 <SB00015640>
明大商学展望 <SB00015946>
商学展望 明治大学商学部会 <SB00015327>
明治大学 駿台OB会会員名簿 <TW10127662>
会員名簿 駿台会 <TW00032104>
会員名簿 駿台会計人倶楽部[編] <TW00050205>
明治大學商業學校第十一回卒業記念 明治大学商業学校[編] <TW10026936>
明治大学商学部 明治大学商学部アルバム委員会編 <TW00032791>
当職東京教徒なのですが、国会図書館で調べて欲しい著書や資料はありますか?
河野家についてはこのスレで勉強していますが、まだまだ勉強不足でどの資料の何を調べればいいのか分かりません
ですので、調べて欲しい箇所・内容についても教えて頂きたいでふ
>>206
国会図書館はデジタルで見られるものが多いでふね
光次書簡は何通かあるものの、事実追求に繋がるかは謎
少し面倒かもしれませんが、千代田区内であれば明治大学図書館を調べて頂きたいでふ
ここには『爽河 河野一英先生還暦記念特別号』や>>205の同窓会名簿アルバムなどが存在します
とくに還暦記念特別号には1Aの若い写真や未公開情報が詰まっているかもしれない
・若い1Aの写真
・嫁の実家柳下家について
・親戚などの自分語り
・初孫について
・その他の経歴など
唐澤吉信も明治大学出身なので情報があるかも知れないでふ
>>207
明治大学図書館の一般利用なのですが、紹介状と身分証明書の2つが必要なようですを
http://www.lib.meiji.ac.jp/users/visitor/others.html
紹介状は自身の所属する組織や大学図書館から発行して貰うそうですが、どこから発行して貰うのが望ましいでしょうか?
また、同窓会名簿のような個人情報の塊を学外者が閲覧することは可能なのでしょうか?
質問ばかりですみません
P.S.
『爽河 河野一英先生還暦記念特別号』の配置場所は中央明大文庫
http://opac.lib.meiji.ac.jp/webopac/catdbl.do
>>208
紹介状は近くの公共図書館から発行して貰うことが可能ですを
大学図書館は皆そんな感じです
一月も掛からずいけると思います
同窓会名簿も普通に所蔵されているということはいけるのではないでしょうか
コピーとかには制限が掛かるかもですが
明治大学路線面白そう
駿河台キャンパス行って資料捜索のついでに博物館のギロチンや鉄の乙女に会いたいでふ
1Aはリバティータワー建設の際に寄付とかしてないのでしょうかね
住所でポン2012年版によると馬込地区には河野という苗字の人が3軒あるようですを
芳郎の子孫だったらいいなと思った一瞬でした
>>185
>>200
葛原冷蔵と光次は渋沢栄一繋がりなのでは?と考えています。
葛原冷蔵の最大債権者は藤本ビルブローカー銀行でした。
藤本ビルブローカー銀行は日本製糖汚職事件の際に、日本製糖側の相談役の渋沢栄一が解決に奔走しました。
藤本ビルブローカー銀行や渋沢栄一界隈から負債整理に任命されたのではないでしょうか?
>>120の『横浜東京鉄道沿革史』でも河野光次は渋沢氏の一行の一人として紹介されていました。
明治大学やったら高橋嘉之や長谷川マンコー、唐澤吉信もおるかもやん
渋沢栄一の娘は阪谷芳郎と結婚しているのですが、その阪谷芳郎が残した文書資料の中に河野光次のハガキや名刺がありますね
渋沢栄一や阪谷芳郎関連から河野光次の痕跡を探すのも面白いと思います
連投すみません
>>33で10万寺に寄付していた1Aでふが
母校の明治大学に寄付されているのではないでしょうか
https://www.meiji.ac.jp/bokin/praise_donation.html
探すのは大変かもしれませんがこの中に名前がありそう
https://www.meiji.ac.jp/bokin/plates/place.html
大東文化大学には寄付していないようでふね
http://www.daito.ac.jp/information/contribution/
名誉教授が匿名にはしないと思いますし
>>212
河野一英、長谷川満孝、唐澤吉信
明治大学に宝が眠っていそう
明治大学教徒がいたら羨ましい
図書館利用するのも簡単やろな思うと
>>211
未確認ですがそう言えば『渋沢栄一伝記資料』に光次書簡が収録されていました
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?authors_individual-755
田園町株式会社の件で送っただけかと思いましたが、案外親密だったようですね
もしかして腹心的な立ち位置にあったのでしょうか
尾崎といい渋沢といい光次の人脈は凄い
菅谷真理雄の曾祖父菅谷太郎の素性が分かりました
日本最初の小学校と言われる柳池尋常小学校の校長だったようです
マイナーですが明治初年と言うことから考えて恐らくかなりのインテリではないかと思います
https://books.google.co.jp/books?id=YkleDRYtR1wC&pg=PT104&dq=%E7%99%BD%E7%A5%9E%E5%B9%B8%E4%B8%89%E9%83%8E
>>213
阪谷芳郎は橋本龍太郎と系図上で繋がるので尊師の親戚でもありますね
光次の次男の名前と同じなのは偶然と思われません
光次の名刺が同封されている角南角三郎は朝鮮関係の人物みたいです
>>212
そういえば1Aの弟の河野典男も明治大学ナリね
佑典は典子の方の子供であってるナリか?
何でおじいさんの養子になったんやろなぁ
>>217
住所も判明
>京都市上京區烏丸通二條下ル廿四番戸 菅谷太郎
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/826631/46
>>219
男子がいなかったということが大きいのでは
一英の孫が独り者(39)や女子ばかりで河野姓を継ぐものが現れなかったのも関係しているかも
>>221
Deccan
もし典子の子供ならば勝美という婿を取っているのでそのまま黙っていても相続できそうな気がするのでふがね
平成元年生まれならば今28,9だから騒動知ってそうですがそれは
>>222
SNSやってそうな年齢なのに(少なくとも表立っては)やってないのはもしかしたら一連の騒動が原因かもしれない
勝美は婿って確定してた?
唯一系・光次系・三郎系・櫻樹系で親戚同士で結婚したのかも知れない
>>223
https://imgur.com/HmSoAi1
次女の優子は昭和44年生まれで今48だから祐典は典子の子供かなぁと
明治大学教徒は名乗らなくていいから、匿名で図書館の資料を上げて欲しい
>>209
今日近くの図書館で尋ねてみます
菅谷家の墓所があるかもしれない寺は二箇所存在するが
東京に移転したということも考えられるためなかなか分からない
>>201
光次の子供たちは結核とかスペイン風邪で病死ナリかねぇ
お墓は東光院にないということは当時住んでいた馬込辺りにあるんやろか
>>228
結核などの感染症の可能性が高いでしょうね
時期的にスペイン風邪は大正中盤なのでずれるのではないかと
光次の墓は知っている人に聞かないで探すのはなかなか大変そう
訃報が新聞記事などにもなっていないようだし
猪瀬にはその辺りも詳しく書いていて欲しかった
かなり調べてそうな割には出身とかはぼかされてるんだよな
>>222
尊師が自害できないなら一族に引導渡してもらう路線はありかもしれんな
緑井1-5-1にあった河野家は別だとほぼ確定しました
河野達一という名前だけど違うようだ
8-28-16の河野家も広い土地を持ってるな
ただ河田の書いていることと矛盾する
川も遠くだし
やはり8-13-20なんだよなあ
それでも新川から現在は眺められないが
40年前は周りの家が少なかった&川が広かったで唯一邸を眺められたのかもしれない
8-13-20は和典の前の所有者は寅一だったらしい
唯一と名前が似ているが多そうな名前だし決め手がない
一三生誕の場所なので恒心の聖地だからな
>>231-232
Deccan
8-13-20は唯一が宮島に隠遁した時に親戚に売り払ったのではないかなと思うんですよね、実は
>>126
東京府荏原郡馬込村一、三四一番地
もし馬込村=荏原郡馬込町の番地がイコールなら、現在の番地がわかりました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142534/3
この地図を時計回り方向に1クリック回します。
右上の端に如来寺があり、馬込町331に神社マークがあります。
その神社は諏訪神社で大田区東馬込1-43-9にあたります。
如来寺と諏訪神社を目印に、馬込町341の位置を確認
現在の大田区東馬込1-44-1あたりが馬込町341だと思われます
https://goo.gl/maps/GVzUkFqp1UP2
>>234
Deccan
こんなサイトで一生懸命探していた当職無能
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html?zoom=13&lat=35.68428&lon=139.75339&layers=B0
当職平日にでも大田区に行って調べてみようかと思っていたのでもしここなら嬉しいです
近くにある如来寺は大きなお寺ですが天台宗系なんですね
https://www.yougyokuin.com/
これは当職の勘ですが東光院も真言宗智山派だったので光次も真言宗智山派の寺院に眠っている可能性が高いと思いまふ
光次じゃなくても彼より先に死んだ妻子の墓は真言宗系にあるのではないかと
http://www.e-sougi.jp/tera/tera-k
ここを見ると長遠寺とか近いので怪しいでふね
>>235
失敗
http://www.e-sougi.jp/tera/tera-kubetu/ootaku-tera.html
>>233
土地台帳に期待でふ
>>234
出感
>一、三四一番地
は341番地ではなく1341と解釈するのではないかと思っていました
万福寺から少し離れた辺りの場所じゃないかと
>>237
なるほど
馬込村1341の可能性もありますね
1341なら南馬込4丁目40-13の並びですね
昔から区画が変わってないです
南馬込4丁目40-13
https://goo.gl/maps/Rr4v4c1ypXS2
>>237
>>238
訂正
南馬込4丁目35-16の並びです
特徴的な区画は現在も変わっていないようでふね
大田区南馬込4-35-16辺り、現在の茶の湯教室の隣りで確定か
>>238-239
ありがたやありがたや
https://goo.gl/maps/NvY8vgHL8eu
この辺でふね?
隙自になりますが三島由紀夫の旧邸もこの辺にありけんましたことがありまふ
起伏の激しい土地だったなという印象
実は住所でポン!にこんなのを見つけたのでふがhttps://jpon.xyz/2012/27/19/19/1064.html
ちょっと距離あるから別人ですよねぇ
連投すみません
現在は違う苗字の方がお住いのようですね…
https://jpon.xyz/2000/27/20/36/1052.html
皆さんとの出会いに感謝
確定でした
南馬込4-35-16の地番で1341は現存、枝番号は6まであるようです
土地台帳が取得できます
官報の1913年04月22日号、末尾の「敍任及辭令」確認
確かに陸軍砲兵上等兵として河野唯一の名前がありますが
この当時唯一は報徳銀行の取締役兼監査役だったはずですし
長男なので兵隊になる義務もない
別人ではないでしょうか
"The Japan Daily Mail"に"Mitsuji Kono"の名前発見
"Yukio Ozaki"と並んでいるので本人だろう
馬込けんまして来ました
閑静な住宅街、しかも外が暑いので誰も往来している人がいなかった、好都合
http://imgur.com/a/YzCPu.jpg
ここは住所でポンによると2007年まで吉田某なる人が住んでいたようでふが
2010年版、2012年版は載ってないんですよね、実は
http://imgur.com/a/jEaKu.jpg
表札が取り外されているのも気になりますね
http://imgur.com/a/Bd4Nz.jpg
でも家は新しそうだし、窓が開いているので誰かが住んでいるのは(間)明白
以下おまけ
この家から徒歩1分も経たないところに三島由紀夫が住んでいた家があります
http://imgur.com/a/nJLvT.jpg
三島がこの家に住みだしたのは戦後なのでニアミスもしてないと思いますが
こんなに近いところに聖地があることに身が震える
http://imgur.com/a/ta7SG.jpg
表札見えにくいかもしれませんが馬込東1-1333と書いてありますを
今も三島由紀夫の娘一家が住んでいるとか
あとここから徒歩13分ほどのところにある長遠寺にも行ってみたのですが
残念ながら河野という苗字の墓はありませんでした
光次はどこに眠ってるんですかねぇ
http://imgur.com/a/QJSJj.jpg
また失敗してしまった、当職無能
.jpgを外してみてほしいですを
http://imgur.com/a/YzCPu
https://imgur.com/a/jEaKu
https://imgur.com/a/Bd4Nz
出感
今までのけんま先とはひと味違う瀟洒な上級国民間溢れる地域でふね
光次の墓は本人が「仏教より神道」と言うような事を書いていたことから寺ではなく青山霊園などかも知れません
あるいは尾崎行雄との繋がりを考えるなら円覚寺(鎌倉)かもしれない
尾崎行雄には日記があるらしいでふ
光次の嫁多満が没した際の記述から墓所が分かるかも知れない
8-13-20ははずれ
寅一の前は千之助でした
もう現地調査が必須でしょうね
【モンスト】うおおおおおおおおおおおおおおおおお
河野唯一家住所特定
http://imgur.com/ZJLHE3X.jpg
広島県安佐郡の何村やろか
あさ郡は現広島市やな
河野一族は広島から撤退したんちゃうの
緑井村?
緑井村は存在しました
とりとり
>>251
『官報』1913年09月13日号、14コマからでふ
文字化けしていたので探すのが大変だった
>>254
多分昭和初期頃に宮島に移動した
緑井村→佐東町→安佐南区らしいでふ
現在のどこに対応するのかが難しい
安佐南区緑井1丁目辺りに20番台が存在するようだが……
緑井1丁目25は存在するね
今の河野家跡地とかビルかなんかが建ってそう
当時の広島って田舎やろ?
戦時中に米軍が撮った航空写真が国土地理院にあったけど殆ど田んぼやったで
>>258
>>259
http://d.hatena.ne.jp/kanototori/20131022/1382476725
安佐郡緑井村はおおむね現在の「緑井」1~8丁目と「緑井町」の範囲。昭和30年に八木村・川内村と合併して「佐東町」になる。
広島県安佐郡 村役場 文書 目録
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/198829asagun.pdf
国会図書館でヒントになりそうな本
佐東町全圖
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009132839-00
広島芋いないかな
唯一が住んでいた宮島の辺りはどこだろう
>>265
土地の所有者の名前が載っていればいいんでふがね
緑井村は沼田郡→安佐郡→佐東町→安佐南区となっているようでふ
河野三兄弟が生まれた時は沼田郡で成年に達する前に安佐郡になった
何度も変わってややこしい
>>266
宮島駅の東海岸と言う事でふ
とりとり
広島芋には先ず専蔵坊の墓から探して貰いたい
唯一、光次と緑井の繋がりは分かってきたが一三は情報が少ないね
唯一の弟、子の三郎が光次を伯父だと発言してるぐらいだ
はえーすっごい
レベルが高すぎる
頭鳥取ループかよ
>>267
宮島の東海岸は地図で確認すると、杉之浦という地区しかない。
そこに河野造園というのがある
河野光次鮮明写真
http://imgur.com/LWAgaJm.jpg
河野多満と尾崎一家写真
http://imgur.com/7T0FqJe.jpg
http://imgur.com/xt085e5.jpg
芝紅葉館にて行雄&光次
どちらも若く見えますね
光次は行雄の晩年から陰になり日向になり付き添っている印象があります
1902年頃からなので50年以上の付き合いでふね
>>271-272
出会いに感謝
河野多満ってシュッとした顔ナリね
尾崎家とは本当に家族ぐるみの付き合いやったんやね
光次が語る行雄との思い出
http://imgur.com/kgEagAs.jpg
http://imgur.com/vCgxYOm.jpg
http://imgur.com/9hJMzgz.jpg
>>273
美人さんな方でふね
画質は今ひとつですが尾崎の娘雪香と光次と多満の息子光彌が並んだ写真もあります
>>274
原爆に言及があるのが恒心教徒としては興味深い
>>274 Deccan
浅間神社というのは多摩川浅間神社のことやろか、
もちろん弟の一三も同行したんやろなぁ
昭和23年ころということはまだ典男は東急に入社してないが
コネがあるのは(間)明白
そしてなぜ光次は横浜を案内したのか
その頃横浜に住んでいたんやろか
>>277
全集10巻に詳しく載ってる
横浜尾上町のナンボー(料亭か?)で長寿の歓談会が開かれ、鮎川義介と行雄が会談した
その時光次も同席していて写真がある
すっかりお爺さんになっているが
こう言うパーティを企画したり縁の下の力持ち的な役割を担っていたのかもしれない
超有名人なので親族総出で迎えたかも知れませんなぁ
多摩川浅間神社は尊師も幼少のみぎりに参詣した可能性はありますね
ところで和光市史に柳下喜代の名前が載っていたけど大正一〇年とかあるし別人か
●はい。
行雄から光次宛の手紙
ユキヲ表記
「座間」について言及があるのが興味深いな
http://imgur.com/6DjV8R7.jpg
http://imgur.com/9Q5Ko7E.jpg
http://imgur.com/SZDZWRb.jpg
ヒカリはダメだ、呪いがあるぞ
『北米行脚便り』が文化庁裁定で公開されていたので確認してみるとやはり
河野光次の生没年、親族の情報を国立国会図書館が公開調査しております
https://openinq.dl.ndl.go.jp/authorDetail?authorId=YQ00543327
>ご提供いただきたい情報
>・著作者の生年、没年又は死亡時期
>・著作権者のご連絡先
>・(照会すれば上記が判明しそうな)関係機関又は関係者
>ご提供くださった情報の一部は、著作権関連の手続き以外に、当館のウェブサービスで著作者情報として公開させていただく場合があります。
>(著作者の読み仮名、生没年、肩書及び情報源等。ただし著作権者の情報及び情報提供者個人の情報は除きます。)
https://openinq.dl.ndl.go.jp/search
尊師の連絡先をNDLに伝えれば良いのでしょうか
>>280
驚愕の新路線やんけ
河野多満は大正4年当時26歳、光次と結婚して5年目か
父浅見萬吉がイケメンかもしれないナリねぇ
光彌はこの時4歳くらいかな
多満が尾崎行雄の養女になった理由がわからない
その当時はすでに尾崎家には息子がいたのに
河野芳郎(光次の次男)の子孫の連絡先がわかればより直で伝えられるんだがねぇ
尊師の連絡先もさることながら河野紗季や祐典の連絡先を教えてあげたいナリねぇ
<Br/>でも尊師の連絡先教えてドヤ顔コラム恒心かインタビューも見たいという諸刃の剣…
光次の没年は三郎の証言によると昭和48年前後なのでパブリックドメインの可能性はやや低い
河野家遺族の著作権を侵害する国立国会図書館には、補償金返還のときが近づいております
河野三郎はなぜ光次のことを週刊新潮に投稿したナリか
尾崎行雄特集でもあったナリかね
過去スレの
6 名前:ムジャーヒド聖戦士:2016/03/05(土) 20:38:12 ID:hfePSw5c0
http://i.imgur.com/9liaWKE.jpg
荏原郡入新井新井宿一〇一九 二八八はモトキ商事(東京都大田区大森北1丁目30?2 杉山ビル 2F)?
モトキ商事社長の河野櫻樹に譲渡された土地なのか、それとも別なのか
なお現在は手放されている模様
http://i.imgur.com/oNil66s.jpg
http://i.imgur.com/8DlaMdS.jpg
田園調布一ノ一、一三八はいわゆる田園調布サティアンとは離れた別の場所にある…?
そこがどこなのか、現在は誰が所有しているのか
も今のここの住人ならわかりそう
>>284 連投すみません
ていうかこの資料よく考えたら河野光次がいませんね
この電話帳はいつのものなのでしょうか
当時は神奈川にでも住んでいたのでしょうか
雑談スレで時々出る話題として一英の血筋の男子は貴洋しかいないという話があるが、
菅谷家(英代)の方に男子はいないのだろうか
もしいるとなれば将来に沙季、貴洋と資産を争う関係になるかもしれない
>>286
どういうこと?
菅谷家の跡取りを持ち上げまくったら、尊師の財産を枯渇させられるってこと?
菅谷家の墓所は芦屋にあるかもです
住所は芦屋市三条町13にあったとか
沙季ちゃん空気やけど
遺産相続の優位性ってどんなもんやろ
年齢は尊師と同じくらいやな
確かサヒケーに1Aの遺産相続に関わる土地の登記簿が載っていたけど
1Aの長男の子供にしては沙季の相続分が少ないと話題になってたはず
そこから推測するに直子、沙季親子は冷遇されているとか
沙季が障碍者だから洋が後見人なっているとかいう説があったナリねぇ
結婚した気配もなく働いた痕跡もなくガイジ説を思うことはあったが
本人の情報が無さ過ぎて推測にしても根拠が弱い感じになってしまう
司法試験目指して臥薪嘗胆したまま腐った可能性もある
436 :がん患者さん:2016/06/12(日) 22:43:22.63 ID:wlcPkNSB0
以前から河野家の登記や様々な動きを見てて思うんだが、
どうも河野一英は相当なケチだと思ってる
445 :がん患者さん:2016/06/12(日) 22:54:24.65 ID:C6sGPSYs0
>>436
はっきり言って異常な銭ゲバちゃうか
たしか死んだ息子の嫁から土地の権利取り上げたりしてなかったか
法的には間違ってないけど普通せんやろってこと平気でしとる
453 :がん患者さん:2016/06/12(日) 23:02:28.15 ID:wlcPkNSB0
>>445
せや
田園調布サティアンの土地は
元々全て河野喜代(一英の嫁)の所有物だったが、平成15年10月14日に死亡
その後の登記の動きは次の通り
平成15年10月14日 相続
持分
河野一英 6分の3
河野一郎(一英の長男) 6分の1
菅谷英代(一英の長女) 6分の1
唐澤厚子(一英の二女) 6分の1
平成20年10月5日 一郎(一英の長男)死亡による
一郎の持分の相続
河野一英 18分の1
河野直子(一郎の嫁)18分の2
→一郎の持分を、全て嫁の直子に与えればいいものを、うち3分の1を自らのものとしている
458 :がん患者さん:2016/06/12(日) 23:06:22.53 ID:wlcPkNSB0
平成20年10月5日(一郎死亡)の時点で一英は88歳
男性の平均寿命を大きく超えており、いつ死んでもおかしくない年齢
そんな年齢であるにも関わらず、一郎の財産の一部を取り上げた河野一英
462 :がん患者さん:2016/06/12(日) 23:09:41.02 ID:wlcPkNSB0
平成15年以降、
河野一英は
田園調布サティアン土地(元々先妻の持ち物)の一部と
大田区南千束1-76-6の土地全て(後妻の持ち物)を自らのものとしている
→河野一英は自ら財産を築き上げたのではない
相続と遺贈によって財産を増やしてきた男
475 :がん患者さん:2016/06/12(日) 23:16:41.61 ID:siY0vRbj0
唐澤家と菅谷家は資金援助する必要がない程度に金持ってるから良いけど一郎の家は悲惨やな
485 :がん患者さん:2016/06/12(日) 23:23:22.34 ID:wlcPkNSB0
ピュア虎ノ門(家賃30万円)→オラ森(家賃130万円)
これは、死んだドケチの舅一英への洋の意趣返しの意味も含まれてるんじゃないのか
もっとも、死ぬまでずっと一英の言いなりだった洋も情けないが
540 :がん患者さん:2016/06/12(日) 23:51:37.43 ID:QpNeRCB50
>>475
けど1A亡き今は河野家の正統な後継者は沙季ちゃんなんだよね
ここから沙季ちゃんの復讐が始まると面白い
563 :がん患者さん:2016/06/13(月) 00:07:47.61 ID:YlC9Xoef0
>>540
憶測でしか無いけど一郎夫妻が跡取りの男児を産まなかったことに対する怒りから直子を冷遇してそう
でも沙季ちゃんは田園調布サティアンに居候してるから一英との関係は良好なのかもしれない
そう言えば一郎の子は沙季だけとはっきりしていたのでしょうか
兄弟がいるかもしれませんね
菅谷家にも子供がいる可能性は充分にありますね
跡取りの男児(39)
専蔵坊糞近くて毬弾む
写真は無理やが名前だけなら確認するで家紋も見てきたる
>>295
広島教徒との出会いに感謝
緑井に河野家は複数いるのでお気を付けください
>>295
河野家関係者はこんな感じでふ
確実にお墓があると思われる人物
尊師の高祖父?
河野唯助
唯一の子
河野晃
宮島に行ったためあるかは不明
河野唯一
もしかしたら分骨されてるかも知れない
河野光次
河野一三
>>296
というか河野水軍の末裔なんて中国四国に腐るほどいるわ
鎌倉時代以前から伊予にいてた一族やし
知り合いにも末裔がおるから大丈夫
というかあんなの(尊師)が河野通信(鎌倉時代)の血が入ってるとか考えたくもないわ
河野一英の家紋ってどんなのだったっけ桜紋だったかな(厚史の墓)
せめて家紋が折敷三文字ではありませんように
>>299
https://sonshi.xyz/images/2/2f/%E5%A2%93%E7%9F%B3%E5%85%A8%E5%AE%B9.jpg
>上部の桜の紋章は河野家の家紋ではなく多摩川愛櫻会の紋章
>>300
えぇ…(困惑)
まあ近日中に行くので文書化します、
写真はいつか有能教徒が実際に撮影して確認して下さい。
地元の話も漁って見ます。
特に戦国時代の頃から。
>>298
歴史に強芋との出会いに感謝
また一つ恒心の聖地誕生の瞬間かと身が震える
>>292
レジェンド会計士がただのドケチで資産増やしたとは思えんがなあ
その年代では耄碌していた可能性もあるが
一英も青年・中年期がまだ研究されていないでふね
著作もほとんど専門書なので自分語りは少ないと思うけど当たってみれるものは当たってみよう
「新聞少年から億万長者へ 少林無門と事業哲学」という本が気になるな
これだけ他の本と毛色が違う
>>295
広島教徒との出会いに感謝
高祖父の没年もわかるかもしれませんな
>>297
唯一の子女は早死にしたとありましたけど息子の方は晃という名前なのでふか?
>>304
715 名前:ムジャーヒド聖戦士:2016/03/05(土) 16:55:50 ID:cbD4bGcw0
河野一英も結構ゲスなことやってんだよね
前妻の喜代が平成15年10月14日死亡
後妻の波子と平成16年11月1日婚姻
(なお波子は平成23年1月27日死亡)
長年連れ添った前妻死んでから1年で再婚
730 名前:ムジャーヒド聖戦士:2016/03/05(土) 17:05:26 ID:cbD4bGcw0
それからこんなゲスエピソードも
河野一英の再婚相手藤田波子は結構な資産家で、
大田区南千束1-76-6の土地・建物を所有していたんだが
波子が23年1月27日に死亡すると
その土地・建物全てを相続した上で、
土地を現在まで自らの名義として、
建物を波子とは何の関係もない菅谷英代(一英と前妻の喜代の子)に無償譲与
732 名前:ムジャーヒド聖戦士:2016/03/05(土) 17:09:10 ID:cbD4bGcw0
そもそも、河野一英が築いた財産だと思われている田園調布本町の土地も
実は河野一英の前妻の喜代が一人で所有していたもので、
喜代が平成15年10月14日に死亡すると、
その半分を河野一英、残り半分を菅谷英代(長女)、河野一郎(長男)、唐澤厚子(次女)でわけあってる
つまり、河野一英に帰属する財産は、平成15年10月14日まで存在しなかったんだよなあ
749 名前:ムジャーヒド聖戦士:2016/03/05(土) 17:23:21 ID:cbD4bGcw0
河野一英は田園調布本町の土地を持つ喜代と結婚
長女の英代を、日本興業銀行(現在のみずほ銀)頭取を父に持つ菅谷真理雄に嫁がせ
長男の一郎は大学教授(こいつからは無能臭がする)
次女は自分の監査法人で優秀な社員だった洋に嫁がせた
15年に喜代が死ぬと、しっかりと喜代の財産を相続した上で、
一年でこれまた資産家の藤田波子と結婚
藤田波子が23年に死ぬとこれまたしっかりと南千束の土地建物を手に入れ
あまつさえ建物を英代に無償贈与するという狡猾っぷり
なお、波子と再婚した平成16年11月1日の時点で一英は84歳
84歳で再婚するのも財産目当て以外には考えにくい
その前年の83歳から死ぬ94歳までの間に
一英は田園調布の土地、南千束の土地建物、
この辺りは1㎡当たり50万円前後だから、土地の評価額は1億6千万円程度を手に入れてる
>>307
河田登の『移民の経験記』に河野晃の名前が記されている
河田は河野晃の同級生だったらしい
柳下家が田園調布本町の土地の最初の持ち主だったとすると土地から先祖を追えるかもしれない
閉鎖登記簿&土地台帳を見ると何か分かるかも
名前が見つかればそこから探せたりするからな
80過ぎた爺が前妻の1周忌直後に再婚って想像すると相当エグい
>>306
土地以外にも1Aの財産はあったと思うが
どこにいったんやろな
洋ですら金持ってるのに新日本監査法人を築いた1Aが
妻の遺産継ぐまで文無しとは考えにくい
海外に資産逃がしたりしとるんやないか
http://i.imgur.com/1wUSFGr.jpg
中年1A
過去スレからサルベージ
>>310
ゴブリンっぽい
http://i.imgur.com/ATO7YXF.jpg
中年期の1Aが肥っていたのは明白
>>306
1Aドクズやんけ
誰とは言わんが腐った人格は祖父譲りだったんやな
一英の弟の典男も体重100kg超えた堂々たる体躯とか言われてたもんなぁ
一英は武道の有段者だから昔は鍛えてそう
>>314
日本軍のエースやぞ
鍛えてないわけがない
やっぱり尊師は母方に似たんやね
>>315
声がでかいとか言われてたもんなぁ
生前は絶対威厳が合って怖いで
wikiがこれから見られなくなるかもしれなくて心配
>>312
喪黒福造っ
安芸芋です。専蔵坊に行ってきました。
当職は長々と焦らす行為に憤りを覚えるので結論から書きます。
KUNの墓はありましたが恐らく別人の墓でした。
確かKUN司という平成22年頃に没した方のみが入っていると思われます。
それ以外の名は無く、墓も最近出来たようにピカピカでしたので写真撮影はしませんでした。
それでは、七軒茶屋駅からの話を書こうと思います。
七軒茶屋から北に向かう事数分、宇那木神社(うなきじんじゃ)へ着きます。
入口の辺りに参道石畳敷設工事寄付者芳名と書かれた板があり
KUN富若という名前が刻まれておりました。
平成二十年十二月吉日の事らしいです。
また階段を上がり神社を見ると、右側に大量の人名、上に奉納の文字。
その中にKUNの名前があったとは思いますが、文字が肉眼では確認できたかなと思うんですが画像ではわかりませんでした。
それから緑井駅方面に向かい専蔵坊へ行きました。
何とか着きました。
お寺の横に慰霊碑があり、KUNの二字を探すと発見。
大東亜戦争で、晴三という方の名が刻まれておりました。
入口から入り左に向かうとお墓がありました。右は社務所のようです。
墓地へと入りKUNを探すこと数十分。
もしかしたら尊師がいるかもしれないという不安と興奮で胸がいっぱいでした。
なかなか見つからず、焦っていると一番奥の辺りにKUN姓を発見。
しかし初めに書いたように別人のようでした・・・ちなみに家紋は折敷に縮三文字でした。
そしてこれ以外のKUNは見つかりませんでした・・・
これには二つの可能性が考えられます。
一に、頭唐澤な当職が墓地の中にあるKUNを発見できなかった。
これは探した時に日照りがあり探すのが乱雑になっていたことと、
お墓参りをする人が多くあまり自由に動けなかったという点があるためです。
二に、緑井で何かしらやらかしたKUNが遺骨ごと遷都した。
これの可能性がとても高いのではないでしょうか。
しかし一の可能性も考えられるため、後日有能芋が実際に確認してもらえることを切に望む。
また緑井の隣の八木(やぎ)まで行き、光廣神社もまわりました。
そこに宏明と富若の2名の名前が確認でき、
トミーの横に第一市ノ坪と書かれてありました。
最後に太田川の横にある大禹謨(だいうばく)まで足を運びましたが
確か当時の町長以外の名前は確認できませんでした。
これにて報告を終わります。
>>319-323
出会いに感謝 残暑厳しい中お疲れ様です
もしかしたら唯一が宮島に転居するときにお墓を移したのかもしれませんね
晴三は慰霊碑にあるのに清三のお墓が無いということは唯一の子供という可能性もあるのではないでしょうか
>>321
間違い発見。
晴三ではなく清三でした、申し訳ありません。
専蔵坊には中道とか河田とかずらりと墓が立ち並んでる中(多い為探さずとも発見できた)
河野が一つしか確認できなかったというのは異様でした。
現地の方も知らないようでしたし、地元では哀れな存在だと思われているのかもしれません。
宇那木神社の階段を上がって建物の右側にある奉納札にかかれてあった(と思う)KUNの名前を書けないのが唯一の心残りです。
色もあせておりましたので肉眼でしか確認できないと思われます。
>>326-327
現地にはもう河野家って1軒しかないんですかね
中道家、河田家が現在もあるのに寂しい限りです
後そういえば、河田登が宇那木神社の奉納札に書かれてありました。
御神輿一●(読めない)
ハワイ 河田登
昭和六十二年一月吉日
>>328
河田登って、専蔵坊内じゃなく、横にある山に向かう道の根元にある墓に
そんな名前見た気がします…(うろ覚え)
>>319-323
安芸芋との出会いに感謝
まさか墓がないとは
闇の深さに身が震える……
>>330
そこが緑井墓苑でしょうか
こういうこともあったようですね
https://www.youtube.com/watch?v=7LlqjYUmBYo
>>332
いやこちらの方です。
https://www.google.co.jp/maps/@34.4725589,132.475058,3a,60y,236.9h,77.34t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFCg2FsGlr-80-BqVPLJtew!2e0!7i13312!8i6656
緑井墓苑は行ってませんね、というか知らなかったです。
河田登という名前にあまり注目していなかった当職の浅学さに身が震える。
>>330は本当に自信がない、一応近くにあったから見ただけ。
wikiが復活するまでしばらくの間過去スレで学習するぞ学習するぞ
唐澤貴洋一族追求スレ
http://tesuya.esy.es/bbs18c/test/read.php/asahara/1431789252/
【ラストエンペラー溥儀】唐澤貴洋さんの親戚【ブルーギル明仁】
http://krswlogs.s1001.xrea.com/isis/html/1453609935.html
唐澤・河野家の家系図作成路線
https://gotanda.xyz/test/read.cgi/simonton/1478004407/l50
唐澤家&河野家家系図路線
https://gotanda.xyz/test/read.cgi/cross/1490780866/l50
緑井墓苑に行くべきでした…残念。
宇那木神社の真裏とかほんと悲しい
緑井墓苑は神社の裏と言う事もあり神式墓地なのかと思っていたのですが
写真で見る限り仏教系のお墓も多いようですね
写真というか動画でした
緑井墓苑の現状
http://ameblo.jp/hikobaenomori/entry-12131695818.html
>>339
出会いに感謝。
お墓の周りは復旧してましたか?
安芸芋は緑井墓苑には行ってませんでしたねよく見てませんでした。当職、無能
大田区の法務局で調査出来る芋がいますか
南馬込の地番1341と河野喜代の相続した建物の土地台帳とかとると分かりそうなことが色々ありますね
郵送でもいけますが現地での方が新しい発見もあるかも知れません
緑井の25番地に河野家はありませんでした
恐らく台帳に記録される地番より昔のものだったのかもしれません
ですが山地番の27番に河野唯助の山林を唯一が買い取り、後に報徳銀行のものになっているものが確認出来ました
唯助→唯一はある程度明らかになったかと
現地で法務局にいける芋に期待したいです
●はい。
旧土地代帳は閲覧・複写なども誰でも無料で出来ますし
公文書なので公開も自由です
http://imgur.com/zYa8Til.jpg
???「先祖の旧土地台帳を勝手にネットで公開された」
実家の方の トウキボ!が─
除籍謄本を何とか取得できないものでふかね
ちなみに戸籍も公文書なのでネット上に公開は可能でふ
されている例も多くある
ただ弁護士などが研究目的の依頼を受けて取得しようとすると弁護士側に問題が生じることがあるようだ
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1395026724/
正福寺に行ってみましたが
http://imgur.com/zi58ot3.jpg
予想以上にポリホーモの警備が厳重でしたを
http://imgur.com/IY4BePb.jpg
寺の入り口にポリホーモが警杖を持って警備しているポイントがありまふ
そのほかにも普通に寺の前の道を徒歩でパトロールしているポリホーモもちらほら
場所が場所(アメリカ大使公邸)なだけに変な行動したら職質不可避でした
http://imgur.com/Rif4sm0.jpg
おそらく中央の扉から納骨堂に入ると思われまふ
誰かお墓参りしている人がいればそれと一緒にと思ったのですが
誰もいなかったんですね、実は。
なので入れませんでした、当職 無能。
http://imgur.com/6N7leG5.jpg
一応周囲の寺の墓地がある所は見てみたのですが、村井家らしき墓は無し。
お墓参りしている人もいませんでした。
河野家もそうでしたが7月にお盆なんですかねぇ
出感。大使館も愛宕の管轄なんかなあ
>>342
まず初めに書いて置きますが、土地台帳を閲覧したことがないので読みにくかったらもうしわけありません
当職>>182でふが仕事が忙しく来週以降ならば城南出張所行けますを
http://kakeizunotobira.denshishosekidaio.com/2016/06/01/post-735/
を参考にすればいんでしょうか、収入証紙とかは必要でふか?
>>348
出感
正福寺周辺にないということは村井家も青山霊園とかに所在するのかも知れません
>>350
出感
土地台帳は収入印紙は不要でふ
謄本複写も無料
ただ閲覧する際にどの地番あたりをみたいかはあらかじめ書いて伝えておく必要があります
簿冊ごと閲覧させてくれるかは法務局の方針によって変わるようですを
旧公図を取得する際には収入印紙が必要
>>351
ありがとうございまふ
探そうと思っている地番でふが
①河野光次の旧居 東京府荏原郡馬込村一、三四一番地
②河野一三の旧居 東京府荏原郡田園調布一ノ一、一三八
③河野一三の旧居 東京府荏原郡入新井新井宿一〇一九 二八八
でいいでしょうか
現在の
田園調布サティアン 東京都大田区田園調布本町36-13
1Aが英代に譲った 東京都大田区南千束1-76-6
は昔の地名で調べることになりまふか?
どなたか一度家系図まとめていただけませんか?
>>352
田園調布のあたりは古い地図が少ないので難しいでふね
馬込村のは1341番の可能性が高いでふ
現在は南馬込という地区
入新井新井宿1019はこちらの左上の子母澤と書かれている地区だと思います
現在の大森北一丁目周辺のようです
二八八は恐らく電話番号じゃないでしょうか
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142432/7
田園調布本町の地番36-10、36-12の土地台帳も入手した方がよさそうでふ
そういえば菅谷真理雄って住友電工デバイス・イノベーション株式会社をもう退職しとるのか?南千束に住んどるんやろか?
http://www.sedi.co.jp/about/index.html
ヒで1Aの還暦写真が公開
http://imgur.com/uhU1l3Z.jpg
やはり肥ってますな
興味深かったエピソード
http://i.imgur.com/JELRXy2.jpg
http://i.imgur.com/IU6G6Nv.jpg
http://i.imgur.com/uyMZLaG.jpg
一英は若いころからかなりの秀才だったようです。
一英のゼミは会計士や税理士の様な職業会計人を目指す人が多く、
OB住所録にも多数の会計人が見られました。
上のように教え子の就職の世話までしていることから彼の人望と業界の人脈がうかがえます。
一英は「縦と横に長い人」と言われるほどの堂々とした体格と迫力のある話し方からゼミ生に怖がられることもあったようですが、
実務経験に裏打ちされた知識と合間の小話の面白さ、
幅広い教養はどのゼミ生にも評価されていました。
その他の画像
http://i.imgur.com/fh8oTjC.jpg
http://i.imgur.com/JZJKo4I.jpg
http://i.imgur.com/bEy92ZK.jpg
http://i.imgur.com/HqZR07a.jpg
http://i.imgur.com/mtEHRtY.jpg
体型と金にうるさいところしか似てないやん尊師と
>>358
Deccan
貴職より先に画像転載してすみませんでした
雑談スレでは右側が尊師に似ているとの話題になっていましたけど
右側が観音様と表現されているのは興味深いですね
自分が河野水軍の末裔と話していたのは
最近の河野唯一と光次の関係開示と相まって平行線は必ず交わるという思いです
家族の話などはないのでしょうか?
>>358
出感出感
昭和33年の写真が出て来たのが凄いでふね
当時は一英37~8歳で今の尊師と同じぐらい
家族や親戚、唐澤吉信らに関する情報は何か載ってましたか?
>>360
大丈夫です。こちらこそエビケーに上げるのに手間取ってしまい申し訳なかったです。
画像はすべて爽河 : 河野一英先生還暦記念特別号からです
家族の話ですが残念ながらほとんど載ってなかったように思います。あくまで大学の記念誌なので研究の話やゼミの話は載ってましたがほかの話題はあまりなかったかと記憶しています。
喜代も寄稿していましたがこれと言って家族の話はしていませんでした。一字一句見通しているわけではないので他の教徒が見れば何かわかるかもしれません。
一英の教え子の住所電話番号は期ごとに記載されていたので何か参考になるかもしれないです。
時間の都合でこれ一冊しか読めませんでした。当職無能
>>362
喜代の寄稿…気になるナリね
https://imgur.com/HqZR07a
https://sonshi.xyz/images/9/93/QpAUzuA.jpg
等身は似ているけど脂肪と筋肉の量に違いがあるのは(間)明白
あとメンソレータム常に愛用って1Aは肌荒れしやすいタイプかな
尊師もデブの割には肌きれいじゃないし遺伝?
スレが止まっている
これはいけない
光次写真捕捉ですを
更に若い時の写真(髭がない)
老年期の写真などもあります
http://imgur.com/S05BPCf.jpg
http://imgur.com/VKBqmf7.jpg
http://imgur.com/asksH10.jpg
http://imgur.com/kETViBq.jpg
http://imgur.com/9LVOIjj.jpg
光次が髭を生やしたのは当時の社会風潮もあるでしょうが尾崎行雄の影響が大きいと思いますを
>>362
Deccan
ナンボーの写真が撮られたころは光次は69歳辺りでふかね?
子息の芳郎はまだ生きているんでしょうか
隙自になりますが当職明日ようやく法務局行く予定でふ
何かわかるといいでふね
>>367
出感
どうでしたかを
河野芳郎で何名かヒットしますが当人かどうかはよく分からないでふ
週刊新潮掲示板に子孫が名乗りを上げた際、子供ではなく甥の河野三郎が資料を集めていると書いていたのでもしかすると、この時点で途絶えていたか音信不通状態だったのかもしれません
『春秋四十年』は見たいンゴねえ
河野家調査についてはバイブル的な本になると思われまふ
ヤフオクとかでいきなり出て来たりする場合もあるので要注意
遅くなりましたを
まず当職は土地台帳を見るのは初めてなので、わかりづらかったら申し訳ありません。
閉鎖されていたり閲覧しかできなかったもの、
区画整理のため閲覧できなかったものもありますのでソースは茶髪ということで許してください。
http://imgur.com/HGDeaOO.jpg
①河野光次の旧居 東京府荏原郡馬込村一、三四一番地
まず河野光次の旧居ですが、大正4年時点では臼田粂五郎なる人の所有であり、その前は畑だったようです。
大正7年2月に北村金蔵なる人がそこの土地を買い家を建てたようです。
その後昭和5年8月北村庄太郎(息子と思われる)に相続され、昭和39年からは別の人の所有になっておりました。
ブルーマップも見せていただきましたが、今は誰も住んでいないようでした。
隙自になりますがその近くのページに平岡公威(三島由紀夫の本名)もあり、大変興味深かったです。
②河野一三の旧居 東京府荏原郡田園調布一ノ一
こちらはどこを指すのかわかりませんでした。一応田園調布1の地名が載っている土地台帳を見せていただきましたが、ファミリーの苗字は無し。
ただ宝蔵院の所有というのが何ページかにわたってありましたので沼部近辺なことは(間)明白。もっと地名を調べてくればよかったと後悔しています。
③河野一三の旧居 東京府荏原郡入新井新井宿一〇一九 二八八
ここは閉鎖されていてもう見ることはできないとのことでした。
今の大森北1丁目でアーケードの中のモスバーガーがあるあたりなんですよね…
④田園調布サティアン 東京都大田区田園調布本町36-13
imgurを見ていただきたいのですが、違う個所を取り寄せてしまったような…本当に申し訳ない。もっと詳細な情報を得てからの方がよかったでふね。
⑤1Aが英代に譲った 東京都大田区南千束1-76-6
ここが一番パズルのピースが埋まる感じで楽しかったです(小並感)
スチルチヨコなる人は何者ですかね…妹か何かでしょうか
印刷したものはないのですが、南千束の土地は木造スレート葺2階建てで床面積は1階65.10㎡ 2階43.58㎡
昭和58年9月28日新築で昭和58年11月4日登記 抵当権設定は昭和58年12月2日受付 565万円
住宅金融公庫から貸し付けていますが 昭和60年3月20日弁済済みです。
藤田波子がこの土地を買ったのは58歳くらいだと思いますが、
それまではどこにいたんですかね…海外という可能性もありそうです。
せっかくなので南千束の菅谷家に行ってみました
北千束から徒歩4分の閑静な住宅街
http://imgur.com/PkNZOVu.jpg
http://imgur.com/cULSCSB.jpg
http://imgur.com/N3AktAd.jpg
http://imgur.com/Cpi0m6J.jpg
暗くて不鮮明な画像で申し訳ありません。
この家が昭和58年のままかどうかもわかりません。
灯りがついており、人が住んでいるのは(間)明白。
2階に大きなステントグラスがあるようです。
見たところ車庫が無いようなんですが、車はどこに止めているんですかねぇ
>>371
出感。これで南千束けんまは2人目か
>>369
出感
土地台帳だけでなく閉鎖登記簿の方も調べてくださったのですね
file:///C:/Users/user1/AppData/Local/Packages/Microsoft.MicrosoftEdge_8wekyb3d8bbwe/TempState/Downloads/大田区南千束1丁目76-6不動産登記(土地全部事項)2015091789607767%20(1).PDF
普通にあったナリね…当職、無能!w
宮島町2000年~ (有)河野造園
宮島滝町2000年 河野豊
宮島杉之浦2000年~ 河野豊 河野貞雄
河野家調査が今なお進んでてはえ~すっごい
それに比べて唐澤家は
唐澤家はヒントが出ないと難しいでふね
下田町465-1、465-2、465-3の閉鎖登記簿(>>369が貼ったような文書)を取得すれば何かが分かるかも知れません
港北出張所にあります
土地台帳では唐澤吉信の名前は出て来なかった
どうしても唐澤家の人が知りたい唐澤家マニアの人はどうぞ
河野唯助の先代らしき人物も名前は分かってるんですがもうちょっと調査が必要ですを
晩年の河野唯一が過ごした宮島では現在「河野豊」という人間がいますが
広島県安佐南区山本の河野唯一(同姓同名)宅の正面に河野豊というこれまた同姓同名の人間がいますね
偶然か
偶然にしては出来過ぎてますね
河野一三も同姓同名の人が広島にいたりします(『官報』)
広域調査出来る広島教徒がもっと出て来てくれると助かりますを
河野文助
河野唯和
について心当たりない?
>>380
あります
河野文助は緑井の人でふね
唯助との接点がはっきりしない
河野唯和とは唯一(ただかず)の書き誤りでしょうか
もしかしてお墓が見つかったのでふか
河野唯和は玉木の碑の裏面最上段真ん中にある名前
>>382
玉木家と河野家は親戚なので唯和はほぼ間違いなく尊師の曾祖伯父のことだと思われます
玉木の碑はどこにあったんでふか
文助はそれとは別なんでしょうか
広島県立図書館の郷土資料も気になる
『大広島名士住所録』『広島県人事録』『広島県人紳士名鑑』など
>>384
『広島県人紳士名鑑』はネットでも見れまふ
緑井人では玉木厳雄、中道卯之助の名前はあり
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/910378
>>383
玉木の碑はこのスレにもURLが貼られている
文助は中村卯之助の碑の裏
中村卯之助じゃなくて野村卯平太の碑の裏に河野文助
>>386
出感
あの碑でふね
唯一はただかずと読むことが確定されたと思った瞬間でした
野村卯平太の碑は専蔵坊の山門付近に所在でふね
税理士の河野和典は
千之助
寅一
和典
の順で一族と見て間違いないですね
宇那木神社の鳥居に河野寅一
玉木(幸直)の碑に河野千之助(中段)と河野唯和(上段)
河野千之助と近い番地に河野唯助の所有林がありましたね
もしかすると本家分家とかなのかも知れないでふ
玉木氏が不明
14世 幸直(真佐雄) (1818/12-1895/4)
15世 厳雄 (1857 ?-)
武彦 (1927 ?-)
宇那木神社の真後ろにある山中にある緑井墓苑が鍵となるのかも
現地教徒との出会いに感謝
緑井墓苑には河野俊行と弘子の立てた墓が一つあるだけ
現地に古い河野家のお墓はないっぽいんでふかね?
新しい墓しかないというのは流石に不思議ですを
2年くらい前に広島で土砂崩れあったよね
それで新しい墓しかないとか
河野俊行の家は>>378の近所
山本の河野家は緑井出身なんでふか
宮島対岸の宮島口に移したなら墓は宮島口の宮島墓苑か延命寺墓苑かな
宮島ならわからない
延命寺墓苑は2つある。駅から見える山切り崩してる所と、グーグルマップで表示されてる場所
宮島墓苑は遠いから違うかもしれん