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日本史学習スレ

256 レス · dat原文

日蓮はなぜ鎌倉幕府からテロリスト扱いされていたのでふか?
鎌倉幕府お気に入りの禅をボロクソに貶すわ「法華教を信じないと外国が攻めてくるぞ」とか脅迫したりしたから ちなみに「外国が攻めてくる」は元寇で実現された模様
ガイジ滝口の武士師生きていたのか…ちょっと嬉しい 731部隊は人体実験を行っていたとされながらなぜ誰も東京裁判で裁かれなかったのでふか?
実験の成果をアメリカに提供したからでふ 司法取引みたいなもんやね
大久保利通はなぜ西郷隆盛が薩摩に帰るのを止めなかったのでふか?
西郷隆盛と大久保利通が朝鮮の開国方法を巡って大きく対立してしまったからでふ 大久保利通含む岩倉使節団が日本にいないとき、国会では朝鮮をどのように改革させるかを議論していた際、当時は西郷隆盛の言わば通信使を派遣して地道に説得しようという消極的な姿勢が主流でした 国会でもこの西郷の案で閣議決定がされていました しかし、帰ってきた岩倉使節団が海外とのギャップを感じたために、開国はまだ早いと朝廷に報告し、国会での閣議がすべて白紙撤回になってしまいました このことに憤慨した西郷は国会を離れ、地元薩摩に帰ってしまいました 大久保は西郷を止めることはありませんでした というのも、薩摩藩は他の藩と比べても武士が多いなどといった武力の影響が大きい藩なだけあって、西郷の消極的な姿勢(=アンチ武力思想)に納得できなかったのではないかというのが一つでふ もう一つは、大久保としては、明治時代になって用済みになった武士の行き先として朝鮮を武力で強制開国させるのにまだ利用できるのではと思っていたのではないのかと考えていまふ
西郷隆盛は征韓論者ではなかったのですか?
当職もだぶついてる武士の行き先に武力でもって挑戦に開国を迫る征韓論を主張していたのは西郷のほうだったと記憶しておりますが 近年新しい発見で覆ったのでせうか
西郷隆盛の思想は征韓論のむしろ逆でふ 征韓論に賛成していたのは板垣退助や木戸孝允あたりだと言われていまふ そもそもの征韓論の発端は、日本が鎖国していた時も朝鮮とは国交を続けていたほどの仲だっただけに、いざ日本が開国した瞬間朝鮮にも開国しろって手のひら返しされたので、朝鮮としてもたまったものではなかったのでしょう 日本に突然執拗に開国を狭まれ、辟易した朝鮮が国書の受理を拒否りました これは、国交断絶、すなわち日本を敵と見なすという意味であるため、明治政府の間で、無礼な朝鮮はポアもやむなしという思想が誕生しました 岩倉使節団の木戸孝允はこの北朝鮮の無礼な態度に憤慨して朝鮮をポア、板垣退助も議会でやたらと征韓論思想の武力開国論ばっかりを唱えるようになりました これに対して西郷隆盛は根気強く通信使を派遣して国交回復を目指そうと唱えました 実際西郷を通信使に任命して朝鮮に派遣しようという雰囲気には一応なっていたみたいでふが、岩倉使節団の岩倉具視と大久保利通が西郷を朝鮮に送るのは時期尚早と批判したために西郷と大久保が揉めてしまいました 当職が>>206で書いたのとは異なり、西郷はすぐに帰郷したわけではなく、その後一度岩倉と大久保の批判を加味して再び西郷を朝鮮に派遣する是非が議論され、そこでも西郷を派遣することが決定したそうでふ しかし、岩倉と大久保が策略を練って強制的に西郷の派遣を白紙にした(岩倉具視を太政大臣にした)ため、西郷が明治政府の闇から去ることにしたというのが正しい流れのようでふ
なぜ大友宗麟はキリスト教に傾倒していたのでふか?
>>203 亀レス失礼。コテを使い続ける意義に悩んでいただけで名無し住民として生きてました 今回コテ久々に付けたのも気まぐれみたいな物でふ
>>210 豊前国に広大な領土をもっていた大友家でしたが、ザビエル率いるイエズス会の布教活動をあっさり受け入れてしまったため、宗麟は洗礼もしっかり受けた上で完全なキリシタンとなってしまいました 宗麟はキリスト教徒のための教会の設立や南蛮貿易、更には東南アジアとの貿易に一役買ったという面では有能でふ しかし、キリスト教徒や貿易に力を入れすぎたが故に毛利元就や島津義久に攻められてしまったという無能な面はありまふ その後、島津家との対立は豊臣家の傘下に入ることでなんとか勝利はできましたが、勝利が決まる前にすでに感染症に罹って亡くなってしまいました
江戸時代よりも鎌倉時代の方が平均身長が高かったというのはガチなのですか?
卑弥呼の儀式はエッチセックスだったってガチなのですか?
>>213 墓の発掘してるから事実です
>>214 女王になってから合った人は少ないと烏丸鮮卑東夷伝倭人条に書いてある
>>215 墓の発掘ができてたら邪馬台国の場所は確定だと思うんですけど(名推理)
鎌倉邪馬台国
安価先勘違いしてたゾ… 当職無能 眼球智津夫
河本大作は結構無能プレイしでかしてるのにあまり批判されないのってどうせ近い内に北伐される結果は変わらなかったし結果論でしかないからですか?
張作霖は日本と仲良くやっていきたかったようでふが、北伐の影響を危惧した日本が独自で満州を支配する方法を追求した結果、張作霖不要説が強く支持されるようになり、彼は河本大作の策略によってポアされてしまいました この事件のせいで張作霖の後継者の息子が日本を敵対し革命軍に仲間入りしてしまったり、世界中からも批判が相次いだり、当時の内閣が綜辞職に追い込まれたりと日本にとってはよいことは何一つありませんでした 当時の日本の関東軍の間では過激思想がだいぶ蔓延っていたため、目的のためには味方のポアもやむなしという姿勢が結果敵を増やしてしまったわけでふ きっと彼らからすればまさかこんなに世界中から非難されるなんて!、昭和天皇がこんなに怒るなんて!、(張作霖の)息子が日本を庇ってくれないなんて!とでも思っていたような気はしまふ
>>221 満州を守るためにやったことが結果として中国国民党と中国共産党が協力して日本に嫌悪を高めるきっかけとなったという話も有名ですからね となると張作霖爆殺事件がなければここまで日中間の対立は起こらなかったのでしょうか
>>222 当時の中国は外国に奪われた利権を取り戻そうとしていたため、日本も敵視されていたはずです どうせ軍閥は蒋介石に勝てないので張学良も敗死か降伏するかして遅かれ早かれ中国は統一されていたと思います
張作霖爆砕事件がなければ柳条湖事件も盧溝橋事件もなかったし満州事変が起きなかったという言説は嘘なんでふか?
張作霖爆殺事件を公表しなかったことで関東軍が調子に乗って大陸にのめり込まなかったという意味では満州事変は起きなかったでしょうが 政府が満州への進出計画を固めていたので似たような事件は起こっていたでしょうね 盧溝橋事件は北京議定書に起因するので あと盧溝橋事件より第二次上海事件の方が実は転換点として重要なのではないかと思います
張作霖爆殺事件がなければ満州事変や日中戦争がないまでは言わないもののあそこまで泥沼化することは防げたかもしれません とは言っても露骨に満州占領したいですアピールをしていた日本を中国側が無視し続ける訳ないんでふがね 第二次上海事変、国際連盟脱退、二・二六事件といった悲劇が日中戦争の引き金で、これらもすべて日本の軍部の暴走とそれ故の国際社会の孤立が原因でふので・・・
時宗がいまいち浸透しなかったのはどうしてでふか?
>>227 >>131を見るんやで なぜ徳川家光は正室に対して冷酷だったのでふか?
徳川家光と正室の鷹司孝子を結婚させたのはどうやら家光があまりにも母以外の女性に興味を示さなかった(マザコン疑惑もあるほどでふし)ことに危機感を覚えて鷹司孝子と無理矢理結婚させたみたいでふ なので親のすねかじり将軍と皇后にもなれるくらいの高い身分でしっかりした一族のお嬢様が合うはずもないんでふよね、実は 結婚してすぐ別居したという話もあるくらい仲は最悪でした
応仁の乱は受験で扱われづらいというのはマジなのですか?
いろんな事情が絡みすぎてて細かいところまで聞くと専門的な内容にナリかねないからだと あとグダグダでドロドロな戦乱でふので単に歴史マニアからすればあまり好きな部類ではないのかもしれません(当職は詳しいことはあまり存じ上げませんが)
なぜ鼠小僧は義賊扱いだったんでふか?
金持ちの住む屋敷の金銭を夜な夜な盗み、盗み出した金銭を貧乏人の家に無償で投げ込むというただのぐう聖だったからでふ
対米開戦を回避しつつ欧米列強を東南アジアから撤退にはどうすればよかったのでしょうか。
撤退→撤退させる でした 当職無能
日米諒解案で条件の吊り上げとかしなきゃよかったんじゃないでしょうか まあ実の所、対米開戦やらなかったらそのまま内戦ルートなのでふが
戊辰戦争ふたたび
>>236 >>235です。内戦とはどう言う事でしょうか。
なぜ北条一族は自分達が将軍にならなかったの?
>>239 官打ち
弱小御家人一家の北条家が将軍になるなんてよほどの奇跡が起こらない限り不可能でふ 北条家は執権になっただけでも十分すぎまふ それに北条家はかつて武士だった平家一門が安易に公家と馴れ合いをしたために滅んでしまった(要するに官打ち)というのが記憶に新しいため、あえて朝廷とは一定の距離を置いていたという話もありまふ(当然平家の二の舞にならないためでふ)
帝紀旧辞は口頭で伝わってた物なのでしょうが古事記って伝言ゲームしてないで稗田阿礼に内容を書き取らせればよかったのではないでしょうか? そもそも稗田阿礼を介さずに天武天皇が太安万侶に直接伝えればいいじゃないですか
>>238 当時の日本は世界恐慌と金融恐慌の二重の経済危機に陥っており、特に皺寄せを受けたとされるのが田舎でした 日中戦争で出征した兵士が弔慰金目当てに死んでくれと親に言われるほど当時の貧困は厳しかったのです 日中戦争の目的は現在の中国を植民地として確保して経済と国防の保障を確保するものですが、当時の日本は清国やロシアを退けたという自負があり まだ軍事的には弱体と見なされていた米国との衝突を避けるため中国を諦めるとなったら国民に黙って死ねといっているのと同じ意味になってしまいます まあ彼らの考え違いは戦車・戦闘機の台頭によって工業力がそのまま戦力になると気が付けなかったことでしょう WW1までは物量はともかく工業力はそこまでシビアには問われなかったうえ戦間期と恐慌の停滞から海外の兵器もあまり発達せず、米軍の潜在能力を国民が理解するのは難しかったのです
>>242 帝紀旧辞その他全部燃やして都合の悪い歴史を捏造したのです 今も変わらん
虎ノ門事件はなぜ大正天皇ではなく皇太子を狙ったのでふか?
実務を担当していたのはのちの昭和天皇だったから
ソフバンく~ん いちいちfusianasanにしなくてもかきこめるんやで~ まじゅは~けいじばんのしくみをまなんだほうがいいでちゅね~
確かソフバンガイジはfisianasanしてなくとも強制開示されるように管理人に設定されてしまったはず だからしょうがないね なぜ風呂は鎌倉時代の蒸し風呂から湯を沸かすタイプの風呂になったのでふか?
体を洗い清める目的で以前は全身洗い清めていた訳ではなかったのでふが、鎌倉時代には寺院にも浴槽が設けられるようになりました 浴槽タイプの風呂は温泉の影響が大きかったのではないかと言われていまふ 日本最古の温泉として知られる道後温泉は日本書紀にもその名が書かれていたり、万葉集では額田王が道後温泉について詠んだ歌もあったりしまふ
一応サウナ(に近い形の風呂)は浴槽タイプに変わったといっても一定数残りはしました ちなみに今のサウナはフィンランドやロシアから逆輸入された形のものとなりまふ
公職追放や財閥解体など、GHQによる改革が一切行われなかったら日本はどうなっていたのでしょうか。
松下電器と松下電工と三洋がパナソニックに…
韓国みたいに財閥がのさばってたんやろか
農地解放がなされていなかったら農業の大規模経営による効率化もしやすいでしょうし今よりは競争力が持てていたりしたんですかね
>>251 1940年体制 この本読んでみてください GHQの改革がなくても同じ方向だったかもしれないです
なぜ江戸は百万人も住民がいたのでふか?