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三国志学習スレ

29 レス · dat原文

好きな人が多そうなので
横山光輝の漫画(しかも赤壁まで)しか読んだことないでふがオススメありまふか?
>>2 漫画→蒼天航路(曹操が主人公。横山三国志よりも若干成人向けで、後半は概ね史実準拠) ドラマ→三国志 Three Kingdoms(最近の日本の大河ドラマがしょぼいと思えるほどの超大作) ゲーム→コーエー三国志(作品によって評価はまちまちだが、最新作の14は概ね評判が良い) 三国無双(コーエー三国志よりも登場人物が少なくてわかりやすい。ただ、最新作の8はあんまり評判が良くない) 横山三国志は赤壁以降が面白くなるので、読破されることをお勧めします ある程度詳しくなったら正史を読んでみてもいいかもしれません
なぜ日本人は曹操が好きな人が多いんでふか? 吉川英治の影響?
アニメや映画の影響も大きいかも
なぜ諸葛亮は劉備の死後自分が即位しなかったのでしょうか?
劉備は死ぬ間際に孔明を後継者として指名しましたが、孔明側は劉禅というとんでもない無能君との誓いを忠実に守ってしまったが故でふ 孔明は生真面目で非常に忠誠心がある人物として書かれていまふが、劉禅は空気の読めない頭稲村で、司馬昭も匙を投げるほどの問題児でふ 孔明が後継者になっていれば五丈原の戦いも起こらなかったとさえ言われいまふ
>>6 蜀漢はあくまで漢王朝の復興を掲げて成立した政権でふ 漢の皇族の子孫の劉備とその血筋の者が皇帝に即位しなければ、蜀漢の大義名分が無くなってしまうので、その後国内で内紛が起こり、そこにつけ込まれて弱小国家である蜀漢は魏にあっという間に滅ぼされてしまうのは目に見えていまふ なので、即位しなかったのだと思いまふ
姜維が北伐にこだわり過ぎて蜀滅亡の原因になったってマ?
>>9 ●はい。 姜維の北伐は合計6回ほど行われ、255年まではある程度勝っていたのですが、翌年の段谷の戦いで大敗し1万人以上の損害が出てしまいました このように姜維の度重なる出兵と敗戦で国力が疲弊し、姜維体制反対派である黄皓の専横を許してしまい、最終的に蜀漢は滅亡しました ただ、魏よりも圧倒的に国力や人材が不足していて次第にジリ貧になっていったのが最大の原因ですを
つまり今現在の飯塚軍のような状態ってことか
孫乾が生きていれば赤壁の戦いは無かったでしょうか?
>>12 劉備配下の孫乾であれば赤壁の戦いの際にも普通に生きているので、孫堅ということで回答します 孫堅は存命時は袁術配下でしたが、劉表討伐が上手くいっていれば荊州で独立した可能性があります その後、孫堅が孫策同様に揚州制圧に向かうかはわかりませんが、領土拡大に成功すればいずれにせよ曹操と対立していたと思います しかし、当時は袁術が大きな力を持っており、袁術が曹操に匡亭の戦いで負けて没落する前だったので、現実的なところだと劉表を倒してもすぐには独立せず袁術配下の将として一生を終えるか、独立するにしても後になるかと ただ、孫堅は孫策同様非常に軽率なので、劉表戦で横死していなくても他の戦闘で死んでいた可能性は大いにあります
なぜ関羽が商売の神として崇められるようになったのでふか?
>>14 このサイトからの転載ですが https://www.afpbb.com/articles/-/3289753?cx_amp=all&act=all >関羽は劉備に仕える前は、塩商人の用心棒だったといわれる。 出身地の河東郡解県(現在の山西省)は塩の名産地で、古くから塩商人が活発に活動していた。 商売において最も重要なものは「信用」であり、山西省の塩商人たちは、義を重んじる関羽を自らの神とし、次第に関羽が「商売の神」として広まっていったという。 らしいでふ
なぜ劉備は荊州にこだわったのでふか?
劉備は荊州(今の湖北省)が長江と農業に適した土壌があるため、農業・漁業が盛んな土地だと分かっていたのか、魏・呉が争っている間に荊州を自らのものにしようと侵略を行いました 魏・呉は後に蜀の領地拡大を警戒し、やがて荊州の取り合いのような構図となっていきました 結果として蜀・魏・呉が互いに争うようになったのでふ 劉備はいち早く荊州の性質を理解していたのでしょう
>>16 荊州を失うと北伐が非常に難しくなります 益州のみの場合、諸葛亮がやったように漢中から険しい山岳地帯を越えて涼州を抑え長安を狙うか(山岳地帯のため食料確保が非常に難しい)、 漢中から川を渡って上庸を拠点にし魏の持つ荊州北部を狙う(蒋琬が計画したが、蒋琬が死亡したのと退却が非常に難しいため実行されなかった)しか北伐の方法は無くなります しかし、関羽が抑えていた荊州南部の近くには魏の持つ荊州北部があり、さらにその先には許昌があったため、益州からよりも格段に北伐がしやすいです なので、劉備は荊州という土地の重要性を知っていたのでしょう
なぜ諸葛亮は魏延が気に入らなかったのでしょうか?
当時カレンダーは国家の専売品であり、それゆえに呉はほかの二国より正確な暦を作れることを正当性の根拠にしていたというのはマジなのですか?
>>19 はじめは魏延は諸葛亮の命令を忠実に従ってしっかり結果を残しました しかし、長安を攻める際に魏延は奇襲を仕掛けようと提案したが、諸葛亮がこの案を却下したため、そこから諸葛亮と魏延の関係性が悪化しました 当然長安は西方を抑えるためには重要な拠点でふので、敵のガードも堅いはず 安全策をとった諸葛亮が正しいに決まってはいまふが、魏延としてはそのような迂回道は気に食わなかったみたいでふ >>20 当時の暦のベースは太陰暦と太陽暦を融合したもので、日食や月食のせいでしょっちゅうずれが生じてしまうという問題がありました 三国時代に呉が独自で編み出した乾象暦はその問題を解決し、長い間使用されました そのため、当時他の2国(四分暦を使用していた)よりも正確な暦を、私の国では開発できたと言っても特段おかしいことはないと思いまふ
張遼は呂布の配下でありながらなぜ曹操に仕えることができたのでふか?
張遼は官吏の経験があり、更には武道にも秀でていました 呂布と張遼は言わば官吏職の同僚みたいな関係性でした 呂布が董卓の政権を倒して呂布が支配を握ってからは彼は軍の主導を任されていました 更に呂布が徐州を奪ってからも彼は重宝されました しかし、呂布は曹操に負けてしまい、彼は曹操の捕虜になりまふ 彼は曹操の一味に抵抗はせず、処刑は免れました それどころか彼の高い実績が評価され、曹操の支配下でも軍の主導を任されました 要は張遼の高い実績が呂布にも曹操にも評価されたというわけでふ
無能と言えば劉禅でふがなぜポアされなかったのでふか?
諸葛亮に権力を譲った点や、魏に降伏してこれ以上被害が及ぶのを食い止めた点あたりが有能評価されたからでしょう 彼が40年以上皇帝を任されたのも彼の人柄故でしょうし それか黄皓がさっさと死んでくれたおかげでなんとかポアは免れたのかもしれないでふ
三国志演義の魯粛は諸葛亮と周瑜に振り回される苦労人のイメージでふが正史では身分の高い官吏ってマ?
魯粛の家は実はかなりのお金持ちでしたので、従来でしたら身分の高い官吏にでもなれていたはずでふ でも、彼は財には興味がなく、とにかく貧しくて困窮している人々を助けることに人生を捧げました
劉備は献帝がまだ生きていたのになぜ即位したのでふか?
献帝が曹丕に殺されたという訃報を嗅ぎつけて劉備は自ら名乗り出て蜀漢の建国したのでふが、実際は献帝が死んだというのは誤報だったのでふ