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エッヂの名無し (L20 Kmp1-6hNg)
2024/04/12(金) 13:13:55.680 ID:HkVfCX456
【祐一History vol.3】『心配する母を押し切り、父・洋一と同じ道へ』
騎手を目指すことを告げたときの母親の反応は、「はぁ?」という感じだった。祖父は喜んでくれたが、母親はもちろん大反対。母親にしてみれば、98年には実の弟(北村卓士元騎手)までもが落馬によって騎手生命を断たれ、現在も介護が必要な状態になっているのだから、息子までもが…という不安な思いは、自分がジョッキーでいる限り消えないと思う。
でも、当時の自分はあまりにも身勝手で、なると決めたからには母親を説得する気もなく、まともに話し合った記憶すらない。母親も、自分に対しては「もう知らん」という態度を取り続けていたが、陰では柴田(政人)さんや北橋先生に相談をしていたらしい。結果的に、周りの方からいろいろと話を聞くなかで、母親はいつの間にか容認してくれていた。容認というより、折れたといったほうが正しいかもしれない。
今思うと、本当にひどい子供だったと思う。5年生のとき、「おもしろくない」といって自分から乗馬を辞めたくせに、今度は勝手に騎手になることを決めて、反対する母親を説得しようともしなかった。それを聞いた母親がどんな思いでいるのか、そのときの自分には想像ができなかった。 “親の心、子知らず”とは、そのままそのときの自分だ。
クソガキ過ぎて草
田原に鍛え直してもらえてよかったな
騎手を目指すことを告げたときの母親の反応は、「はぁ?」という感じだった。祖父は喜んでくれたが、母親はもちろん大反対。母親にしてみれば、98年には実の弟(北村卓士元騎手)までもが落馬によって騎手生命を断たれ、現在も介護が必要な状態になっているのだから、息子までもが…という不安な思いは、自分がジョッキーでいる限り消えないと思う。
でも、当時の自分はあまりにも身勝手で、なると決めたからには母親を説得する気もなく、まともに話し合った記憶すらない。母親も、自分に対しては「もう知らん」という態度を取り続けていたが、陰では柴田(政人)さんや北橋先生に相談をしていたらしい。結果的に、周りの方からいろいろと話を聞くなかで、母親はいつの間にか容認してくれていた。容認というより、折れたといったほうが正しいかもしれない。
今思うと、本当にひどい子供だったと思う。5年生のとき、「おもしろくない」といって自分から乗馬を辞めたくせに、今度は勝手に騎手になることを決めて、反対する母親を説得しようともしなかった。それを聞いた母親がどんな思いでいるのか、そのときの自分には想像ができなかった。 “親の心、子知らず”とは、そのままそのときの自分だ。
クソガキ過ぎて草
田原に鍛え直してもらえてよかったな