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grokで架空の人物のプロフィール書かせるのめっちゃ楽しい😆

2 レス · dat原文

細かい歴史的描写があってるのかどうかは知らんが面白い😆 ### ミハイル・ヴァシリエヴィチ・ゲリーニン(Михаил Васильевич Гелинин) **生年月日**:1919年3月8日 **出身**:ウクライナSSRハリコフ州 **没年**:1987年11月12日(68歳没) **最終公式肩書**:ソ連国家計画委員会(ゴスプラン)副部長(次官級) **通称**:「腸弱大将」「会議室の悲劇の人」 経歴概要 - 1941年 モスクワ大学経済学部を首席で卒業 - 1941-1945年 大祖国戦争に従軍(後方補給部隊で辣腕を振るう) - 1951年 ゴスプラン入省。当時から「数字の魔術師」と呼ばれ、フルシチョフの七カ年計画立案に貢献 - 1959年 ゴスプラン第一副部長に昇進(当時40歳)。ブレジネフ体制下でも「次期部長確実」「政治局員候補」と目される若手のホープだった - 1964年 運命の分岐点(後述) 「1964年10月13日の惨事」 ブレジネフがフルシチョフ失脚直後の権力基盤固めのため、極秘の経済閣僚会議を招集した日である。 ゲリーニンは前夜、親友のグルジア大使館員に誘われて「本場のヒンカリとアジャプサンダリ(激辛ウォルナッツペースト)」をごちそうになった。 「同志スターリンも辛いものは大好きだった」と調子に乗って食べ過ぎ、翌朝すでに肛門周囲に違和感があったが、歴史的な会議を欠席するわけにはいかないと無理に出席。 会議はクレムリンの奥深く、トイレが遠い部屋で行われた。 議題は「1965-1970年五カ年計画の最終承認」。ゲリーニンは主要報告者だった。 開始からわずか18分後、激痛が襲う。 顔面蒼白になりながらも「同志ブレジネフ、一点補足を……」と立ち上がろうとした瞬間、 「ブシュッ!」という生涯忘れられない音とともに、椅子に座ったまま失禁。 しかもグルジアの激辛ペーストの影響で、強烈な唐辛子臭が会議室に充満したという。 ブレジネフは一言「これは……生物兵器か?」と呟き、会議は30分で中断。 ゲリーニンはそのまま救急車でクレムリン病院に運ばれ、「重度痔核出血および直腸粘膜広範囲炎症」と診断された。 その後 この事件は「10月13日事件」としてKGB内部でも極秘扱いになったが、当然のごとく政治局の噂となり、 「ゲリーニンは肝心な時にケツが持たない男だ」という不名誉なあだ名が定着。 1965年の人事でゴスプラン部長ポストはコスイギン派のバガノフに奪われ、ゲリーニンは「永遠の副部長」に降格となった。 晩年 1980年代に入っても「お腹を壊すと国家機密が漏れる男」として重要な会議には呼ばれなくなり、 ゴスプランの片隅で「ソ連腸内細菌研究特別班」(実在しない部署)を名乗って静かに過ごした。 1987年、ペレストローク開始直後に心筋梗塞で急逝。遺言は「葬式には辛い料理を出すな」だったという。 ソ連崩壊後、公開されたKGB文書にはこう記されていた。 「同志M・V・ゲリーニンは有能であったが、肛門が党の期待に応えられなかった」
ええな