なぜアメリカ南部は奴隷制にこだわっていたのでふか?
世界史学習スレ inバリュケー
519 レス · dat原文
>>201
綿花栽培が産業の中心であったからです、このような単純作業の労働では
奴隷を使うとかなり安く済んだので奴隷制の維持を願っていたのです
なぜサボナローラはポアされたのでふか?
しば塾師の方が詳しいと思いまふが、
サボナローラはメディチ家をフィレンツェから追放して神権政治を行ったのでふが、その神権政治の内容がルネサンスで主流だった華美な風潮を猛批判し、厳格な信仰の復帰を目指すというものでした
政策の一環として美術品を焼却したこともあり、フィレンツェ内ではサボナローラに対する不満も高まり、しまいにはアレクサンデル6世に破門されてしまいました
自身も最期は美術品同様焼却されてしまいました
メディチ家を追放した辺りまでは民衆の支持は良かったのでふが、その後にメディチ家のせいでフィレンツェが腐敗してしまったと過激な思想を基に美術品焼却を行ったため、次第に民衆の支持が消えていきました
要するに自らの行いが自らの首を絞めた自滅行為が原因でふ
なぜイギリスは階級社会なのでふか?
>>205
私も完全にわかっているわけではないですが、おそらくは国王や貴族と議会
が長きにわたって共存していて政治が安定
したからでしょう。通常の国では国王や貴族などが階級的には上で
平民などそれ以外は下というのがほとんどですがイギリスの場合はこれに
議会が加わることで貴族でなく平民でありながら
社会的に地位が高い階級であるジェントリが現れました
そして経済が発展すると社会階級を判断する要素に
経済力が加わり経済力はあるが社会的な影響力はない
ブルジョワが生まれました(成金みたいなもんです)
そして通常の国では経済力を持った平民(ブルジョワ)が混乱した政治に不満を
もったりして革命なんかを起こして階級社会が弱くなりますが
イギリスの場合政治が安定していたこともあって
成功した平民はなぜ同じ平民でありながら
ジェントリには政治参加ができてブルジョワにはないんだということに
なり革命を起こすのではなく政治に参加できるようにすることに力を
入れたのですその結果ブルジョワも政治に参加できるようになりましたが
革命を起こす可能性は消えまたジェントリとブルジョワ間でお互い
階級を意識してしまいより複雑な階級社会になってしまいました
これがイギリスが階級社会である理由だと思います
英国の場合いち早く清教徒革命で王が処刑される騒ぎになったものの
クロムウェル政権の稲村化で国民各層が嫌な思いした結果
「ノーモアクロムウェル」な風潮ができてしば塾師の解説してくれた状況が形成されたと思われます
名誉革命やハノーヴァー朝への交代も立憲君主体制を固める方向を推し進めたと思います
なぜラーマ8世は暗殺されたと言われているのでふか?
なぜ里見義堯は注目されないのか
ドイツはソ連崩壊後にまとまることができましたが
なぜ朝鮮半島は統一できなかったのでしょう?
やはり休戦中だったからなのでしょうか?
>>208
自室で拳銃が暴発して死亡したとのことですが非常に不自然であり
なおかつ不敬罪に当たるとの理由でロクな捜査がされなかったからです
>>210
休戦してるのもあるでしょうがやはり北朝鮮と韓国は朝鮮戦争で戦った経験
があるので統一に抵抗があるのと東ドイツは北朝鮮と違って
個人の独裁ではなく思想面の締め付けもキツくなかったので
再統一がしやすかったこと西ドイツと経済交流などは盛んであったことや
東ドイツは経済的には東側でトップであり経済格差が南北よりはなかった
からでしょう、あと細かいことですが東西ドイツの統一はソ連崩壊の一年前です
なぜ黒死病は中世ヨーロッパに蔓延したんでふか?
①中国か中央アジアで発生(諸説あり)
②モンゴル帝国や中東との交易の際ペスト菌にかかったクマネズミが混入・ノミが媒介
③鉄製農具の発達により開梱(森林伐採)が進みネズミの天敵となる存在(オオカミ、キツネなど)が減っていた
④度重なる飢饉により感染した動物を食べざるを得なかった
⑤入浴は疎か手洗いすらろくにしない粗末な衛生観念
⑥戦争による人口の急速な移動
⑦ペスト以外のあらゆる感染症も流行・ペストによる犠牲者として記録
辺りでふかね
逆に被害が少なかったと言われているのは
モンゴル帝国との交易がなかった地域
ネズミの天敵が多く蒸留酒による消毒の習慣があったポーランド
礼拝前に手洗いの習慣があったイスラム教徒
同じく手洗いの習慣があったユダヤ教徒等でふ
なぜシチリアに住んでいたナポレオンがフランスの皇帝になれたのでふか?
>>214
ナポレオンはシチリアじゃなくてコルシカ島の出身ですを
>>214
フランス革命によって多くの貴族が処刑や亡命をしたために
フランスでは指揮官の不足に見舞われることとなりました
というのも第2身分である貴族は戦う者とされたように
軍の司令官となっている人物が多かったからです
そのため貴重な指揮官であったナポレオンはコルシカ島という
半分イタリアのような場所出身であるにも関わらず戦争で指揮を
取ることとなりそこで才能を発揮して軍と国民から絶大な支持を得たので
皇帝にまでなれたのです。
ちなみにナポレオンが王ではなく皇帝となった理由は私が昔解説したんで
宣伝ですがよかったら見てください
>>193
ソースはどこかの難関大学の入試問題(英語)ですが
体の清潔さよりも魂の清らかさが重視されていたというのもあります
またトルコ人(ヨーロッパ人よりも体が清潔)をヨーロッパ人は「きたない」とも考えていました
なぜイスラム教徒の男は髭を伸ばさないといけないのでふか?
サヒーフ・ムスリム一巻の記述が元かと思います
http://www.muslim.or.jp/hadith/vol1-203.html
コテ忘れついでに簡単な説明をしますと
サヒーフ・ムスリムはハディースの内の一つです
ハディースはイスラム教徒にとっての行動規範と言えます
イスラムの法律はコーランとハディースが大変重要な位置を占めております
ハディースには様々なスンナ(慣行)が集められており、ヒゲに関しても教徒の取るべき姿を示しております
スコットランドはスチュアート朝のように一時期はブリテン島内で力を持っていたのに
現在ではイギリスからの独立運動をするほど自立志向が強くなったのですか?
おおまかに言うと歴史的経緯によるものと現代政治への不満の2つでふね
歴史的には独立(対立)期間が長かったのでイングランド人への対抗意識が高く大陸諸国(特にフランス)との関係も深く
イギリス人としてのアイデンティティが薄いのがあります
政治では人口545万(イギリス全体の約8%)しかいないので英国議会での議席数も少なく(こちらは約9%)
保守寄りのイングランドとリベラル寄りのスコットランドで国民性が異なり スコットランドだけEU残留が多数派(62%)だったり
他にサッチャーメージャー時代の不遇政策 北海油田の利権を掌握されている ロンドン一極集中問題等
まあとにかくイギリス政府とイングランド優遇への不満が積もりに積もった結果でふね
北海油田の利権で経済面で自立できる打算もある(あった)ようでふ
ハインリヒ4世はなぜ破門されかけたのでしょうか?
>>223
簡単に言ってしまえば教会の人事権を巡って教皇と争ったからです
神聖ローマ帝国内の教会の人事は皇帝にありましたしかしこれは
教皇の意向を踏んで任命するという暗黙の了解のもとで行使されていました
ですがハインリヒ4世は自分の権力を確固たるものにするため教皇の意向を
無視し自分の意にかなう人物を司祭に任命していきました
それに教皇が怒り武力を持ってなかったので破門にしたのです
リヴィウポグロムはなぜ起こったのでふか?
>>225
これは調べた上での感想でふがナチス占領下とはいえ中世から続くユダヤ人迫害のひとつではないかと思いまふ
詳しい人がいたら補足もしくは訂正を願いまふ
>>225
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/film/pogrom-in-lvov
ホロコースト百科事典によると
1939年、ソ連が独ソ不可侵条約の秘密条項に従いリヴィウを占領
1941年、ドイツがソ連に侵攻しリヴィウを占領
この際ドイツ軍は「この町のユダヤ人たちがソ連を支持した」と主張
それによりウクライナ人の暴徒がユダヤ人を攻撃 さらにウクライナ人パルチザンによって約4000人が虐殺された とのことでふ
ただしmuyopediaによるとドイツが扇動したのではなく自主的に行ったのではないかという説もあり
議論が対立しているようでふ
ちなみになぜウクライナ人がでてくるのかと言うとリヴィウは両者の文化の中心地であり
第一次世界大戦の裏では二国間で領有権を巡って戦争を繰り広げ
最終的にポーランドが対ソ連の共闘の折 ウクライナを出し抜く形で支配した土地だからですを
反ユダヤはキリスト教徒共通としてそこについさっきまで殺し合ってたポーランドと共闘するのもやむを得ないほど憎い
ソ連への強い恨みが加わった結果の惨事と考えられます
メッテルニヒ外相がウィーン体制を推し進めた理由は何でしょうか?
>>228
フランス革命のような王政重挑(絶対王政に対する重大な挑戦)が再び起こるのを抑えるため
30年戦争はなぜ長期化したのでふか?
なぜこの世界には武田晴信やムハンマド・オマル等死を秘匿する指導者が多いのでふか?
>>230
ハプスブルク家(旧教側)で一番有能な将軍であったヴァレンシュタインが
おそらくはハプスブルク家自身の手によって殺されてしまったことと
そんな出来事の後本来旧教側であるはずのフランスがハプスブルク家の勢力拡張を
抑えるために急遽新教側で参戦したからです
なぜイスラムテロリストはハンバル学派が多いのでふか?
>>233
ハンバル学派はイスラム教スンニ派の中で一番厳格かつ保守的なものであり
世界の全てはコーランとハーディスに記されているとおり(つまり6世紀の状態)にするべきだと言う考えですイスラムのテロリストにこの学派が
多いというよりはほとんど理解を得られないがためにテロに走ったと見るべきでしょう
ネロの悪政はネロ本人というよりは母親や妻のせいというのはマジなのですか?
3 名前:一般名無し質問者:2021/09/29(水) 13:45:24.86 ID:/OTvCrFg0
イスラエルがエルサレムの地に建国されるきっかけとなった出来事は何ですか?
南米の無人の地に建国する案もあったようでふが
4 名前:一般名無し質問者:2021/09/29(水) 15:18:32.75 ID:k805bFt30
>>2
大きな歴史の流れの中では何度も繰り返されてきたとしても
現在進行中のジェノサイドまでは許されてはならないし
ユダヤ人以外が加害者のジェノサイド(中国とウイグル人、ミャンマーとロヒンギャ)は許されていません
日本が加害者になった慰安婦問題は日本人が過ちだったと認めていますし
アメリカの白人が加害者になった黒人差別は解決に向かっています
だからユダヤ人は世界的な反民族主義への動きを悪用してジェノサイドする権利を認めろと要求していますが
我々がそれを否定しても民族主義の差別主義者にはなりませんし
肯定したら特定の民族に特権を認めるただの差別主義者です
5 :しば塾 ◆2Vesh.FSeQ :2021/09/29(水) 16:53:47.69 ID:63vnueKN0
>>3
最初はアルゼンチンやウガンダなんかも視野に入れていたんですが
ユダヤ人による国家建設をシオニズム運動と呼んでいたので
シオニズムなのにシオンではないのはおかしいと言うことで
パレスチナ地方にすることが決まったらしいです
>>4
ジェノサイドを許してはなりませんがそれを理由に特定の民族を差別しては
いけませんイスラエルのやっていることは到底容認できませんが
同時にユダヤ人を差別をしていい理由にしてはいけません
イスラエルとユダヤ人は全くもって別物です
このスレタイと>>1の内容は明らかにユダヤ人差別を煽る行為でありそれを
容認するわけにはいきません
特定の国家の行いを非難することとその民族を差別することは
全くもって違うことです
ナチスを理由にドイツ人を差別し中国共産党を理由に漢民族を差別するような
ものです
全ての差別は教祖(43)とCEO(55)に向ける、それはできるよね?
アシュケナジムがセファルデムを差別しているというのはマジなのでふか?
>>238
シオニズム運動の中心となったのが前者なのでイスラエル国内では
差別ほどではないものの低く見られているらしいです
ユダヤが話題になったついでにお尋ねしまふが「人種としてのユダヤ人は存在しない」という言説はどの程度受け入れられているんでふか?
当職が使用した教科書ではこのことが明言されており要するに「ユダヤ教を信ずる人はみなユダヤ人」との言説でした
たしかに一口にユダヤと言っても一枚板ではないんでしょうがしかし現実にいかにもユダヤ人らしいと顔つきでわかる人はいるように思いまふ
さらに例えばもし大和民族の日本人が「私はユダヤ教に改宗しまふ」と宣言したところで一般社会やユダヤコミュニティでどの程度「ユダヤ人」として扱われるのかも気になりまふ
今時「人種」という概念を持ち出すこと自体イコール差別となりかねない時代ではありますが欧米各国での実際のところを知りたいでふ
>>240
ユダヤ人と呼ばれるものは3通り存在し一つは血縁的にもユダヤ人で
なおかつユダヤ教を信仰しているものもう一つは血縁的にはユダヤ人ではあるけど
ユダヤ教を信仰してないもの最後に血縁的にはユダヤ人ではないけどユダヤ教を
信仰しているものこの3つをユダヤ人と呼んでます
つまり血縁的なユダヤ人というのはユダヤ人の中での一部にすぎず
ユダヤ人を人種として扱うのは不適当であるとされています
ちなみにユダヤ人社会内では例え黒人やアジア人であってもユダヤ教に改宗すれば
ユダヤ人として認められますしイスラエルに移住する権利が与えられます
実際1991年にはエチオピアが政情不安になった際には
エチオピアに長年住んでいる完全に黒人系のユダヤ教徒である
ベタ・イスラエルの救出をイスラエル政府が決定しおよそ1万4千人を
航空輸送しその後も断続的にエチオピアのユダヤ教徒の移住が進み
現在では13万5千人ほどのエチオピア系ユダヤ人がイスラエルにいます
ユダヤ繋がりで当職恥ずかしながら「名もなきアフリカの地で」という映画を観るまで知らなかったのですが
1938年頃の時点ではまだナチスが後にあそこまでのことをするとは思っておらず国外逃亡もせず楽観視していたユダヤ人が大勢いたことや
1938年頃の時点ではむしろドイツの教えの中で育ったドイツ人であることに誇りを持っていたユダヤ人さえいたというのは本当なのでふか?
後者に関してでふが、化学者のハーバーが正にそれでふ
祖国ドイツの為を思って研究に没頭されましたが彼はユダヤ系だったが為にドイツから追放されてしまいました
世界史をサボって近代しか覚えてないのですが
近代までの大まかな流れを知りたいでふ
>>244
地域によって全く異なりますがどの地域でしょうか?
ヨーロッパあたりをお願いしたいです
現代文でよく出るので
>>246
とりあえずローマ帝国の崩壊あたりから始めます
フン人のヨーロッパ進出によりゲルマン人は故郷を追われてローマ帝国に侵入
しますあまりにも多くのゲルマン人が移動したためローマ帝国は混乱し
統治をしやすくするために東西に分裂しますしかし経済的に豊かであった
東ローマと違い西ローマは貧しかったので意外とすぐに滅亡し
跡地にゲルマン人の王国がいくつか成立します
そしてここから中世が始まります
こうして各地にゲルマン人の王国ができますがその中でも有力となったのが
フランク王国ですフランク王国はキリスト教の正統派であるアタナシウス派を信じ
ローマ教皇とも良好な関係を築きますその後フランク王国は国王が実権を失い
宮宰が実権を握りますそして宮宰の指導のもとイスラム帝国の侵入を防ぐ
ことに成功しついに国王の座を奪い取りますそして王朝の交代後
カール大帝が国王の座に着きますそして彼の元フランク王国は最盛期を
迎えまたローマ教皇とさらにいい関係を築いたのでローマ教皇は
同じくキリスト教のトップを主張する東ローマ帝国の皇帝に対抗するために
西ローマ帝国の復活を宣言しカールを皇帝と認定します
カール大帝の死後少し経つとフランク王国は分裂し
現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型となる国家になります
そんな中でドイツの原型となった東フランク王国は異民族である
マジャール人(のちにハンガリーを建国する)を撃退するなどのの活躍を見せ
さらにイタリアも征服しますそしてローマ教皇は東フランク王国の国王を
西ローマ帝国の皇帝と認定し以後神聖ローマ帝国と呼ばれるようになり
ヨーロッパにおける世俗権力の名目上の頂点に立ちました
その後ローマ教皇と神聖ローマ帝国との間で教会の人事権を巡って争いが
おきますがローマ教皇が勝利し以後世俗権力の長である皇帝よりも
宗教権力の長である教皇が優位である時代が続きます
(中世のヨーロッパの封建制は昔動画にしたんで説明するのが面倒なんでそっち
をよかったらご覧ください)
そんな中ヨーロッパでは色々あって十字軍など他の地域への征服運動が
おきますが結局殆どが失敗し国王などに権力が集中する一方で
教皇は権威を失墜しますそしてペストの大流行で人口の多くが失われると
従来の封建制は維持できなくなり次第に衰退国王が絶対的な権力を握る
絶対王政の時代近世に入ります
(十字軍とかに関連した話も私昔Noteの記事にして説明面倒なんでよかったら
そっちをご覧ください)
絶対王政の時代各国では国王が権力を握っていましたしかし神聖ローマ帝国
だけは皇帝を国内の有力な諸侯が選ぶと言った事情もあって権力が集中してませんでしたそんな中ドイツではルターの教会批判をきっかけに宗教改革が起き
新教と呼ばれる新たなキリスト教の教えが生まれました
この新教には様々な派閥がありますがその中でもカルヴァン派は蓄財を肯定し
のちに資本主義が生まれる下地となりますそしてヨーロッパ中で新教と従来の
教えである旧教との争いが起き多くの血が流れることとなりますが
結局両者が共存するのがほとんどでした
そんな中神聖ローマ帝国では旧教と新教の争いから30年戦争という大きな争いが起きます
この戦争の後ウェストファリア条約で主権国家が認められ現在に続く
主権国家体制となりましたそんな中ヨーロッパ各国では植民地を
獲得すべく世界各地で争いがおきますがこの戦費獲得のために重税を課した結果
イギリスではアメリカ独立をフランスではフランス革命を引き起こし
ましたこの時代は銃火器の発達により一般市民が軍事の中核となる時代が
きたことから一般市民が権力を握る近代が始まります
(あくまで政治的な流れに重点を置いたんで大航海時代とかは省略しました
それと一番は自分で調べることですこれだけ見ても何が何やらよくわからない
と思います)
高校世界史で学習するような内容が要領よくまとまっている、これはいい。
しば塾師との出会いに感謝。
世界史学習入門としては山川出版社の教科書あたりがセオリーでふが前この板で紹介されていたように図録から入る視覚的に把握できて飲み込みやすいと思いまふ
個人的なお勧めとしては学習漫画というのもアリでふ
例えば集英社版は子供向きでふが古くから発行されていて改訂を重ねてきた歴史があり巻数も短すぎず要所を押さえてあるので当職も図書室に通って受験勉強の補助に使っていました
なにより漫画なので読み進め易いでふ
単語だけ覚えていたので関連づけて流れが大体わかったので良かったです
出会いに感謝
フィリップ4世に対するしば塾師の評価が気になる
>>253
色々やってるけど全部国益のためでありあんなぶっ飛んだことやっても
支持を失わないほど優れた人物
ホロドモールのことを知って身が震える
ウクライナってモンゴルにせめられたりイスラムの攻撃にあったりどの時代もろくな目にあってない気がするのですがなぜなのでしょうか
なぜアメリカ大統領は南部のジム・クロウ法を野放しにしていたのでふか?
>>255
ウクライナをはじめとした東欧は歴史的にロシアやその奥のアジア勢力と
ドイツなどのヨーロッパの勢力とぶつかる場所なので両者の争いの場になって
しまうからでしょうロシアがそこまで強くない時期は東欧の方が強くて豊かでしたが
モンゴルの侵入後に力関係が逆転した感じですね
>>256
過度に干渉しすぎると再び南北戦争を起こしかねないことと連邦最高裁で
ジム・クロウ法はあくまでも人種間の隔離の法律なので
隔離していても平等に扱っていれば問題ないという屁理屈で認められたからです
アメリカは三権分立を徹底しているので最高裁の判決で決まった以上大統領は
手出しできなかったのです
なぜ十字軍はビザンツ帝国に攻めいったのですか?
>>258
第4回十字軍の運送はヴェネツィアが行なっていたのですが途中で十字軍側が
予算不足になって運賃を払えないと言い出しました、なのでヴェネツィアは
運送費をチャラにする代わりに商売敵であるビザンツ帝国を攻めるように言って
十字軍は攻めに行きました
遊牧民族のトルコ系とかモンゴル系とかアフガン系といった〜系はどのように区別しているのですか?
ノルマントン号事件って当のイギリスやその他外国はどういう反応だったんですか?
>>260
しゃべる言語の系統で区別しています
>>261
他の外国はあまり反応してませんがイギリスは日本国内で抗議の声が高まると
日本政府に圧力をかけたと言われてます。とはいえノルマントン号事件の裁判
は一般的に言われているよりもちゃんと裁判してたみたいです
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世はなぜ奇抜で先進的な業績を挙げられたのでふか?
>>263
出身地の影響が大きいと言われてます、彼はシチリア島出身ですが当時のシチリアは
イスラム圏や東ローマとの距離が近いことからキリスト圏でありながら
ギリシャローマを継承した文化やイスラムの文化が流入していて
当時としては先進的な考えにあふれている場所だったのです
アッバース朝衰退の最もな理由は何でしょうか?
ウマイヤ朝のせいで滅んだという認識ですが、ウマイヤ朝って確かアッバース朝が潰してた気がするのですが
>>265
アッバース朝が最盛期のハールンアッラシードの後帝国内で帝位争いが起きますが
こうして内乱が続く中で地方が次々と独立の様相を見始めました、その中で
中央アジアの地方政権はちょうど840年にウイグルが滅亡したことで大量の遊牧民を
マムルークとして獲得することで軍事力を高め独立性を強くしさらに儲けのために各地へ
マムルークを輸出したので他の地域の地方政権も軍事力を高め次々と独立していきました
これによりアッバース朝の君主は支配者としての威光が低下し衰退していったのです
なぜヨーロッパに稲作は伝わらなかったのでしょうか?
中世の頃には既にコメが伝わっていますし、気候が合えば集中的に栽培もされています
>>267
>>268さんの言っている通りスペインやイタリアなどといった南欧では米が
栽培されてます、イタリア料理のリゾットやスペイン料理のパエリアのように
米を使った料理がそれらの地域にあることからもそれがわかります
なぜ17~18世紀には啓蒙思想がはやって上からの改革が進んだのでしょうか?
>>270
17世紀のヨーロッパでは宗教改革などによる教会勢力の弱体化と
大航海時代による膨大な知識の流入主権国家の確立によって国家同士の
争いが激しくなったことによる技術の競争などから科学が大いに発展する
科学革命が起こりその延長として啓蒙思想が生まれました
そして啓蒙思想の広まりとともに従来君主が使っていた王権神授説は
通用しなくなりその代わりとして啓蒙思想を統治の根拠にしたのです
中国は阿片汚染からどうやって脱却できたのでふか?
ニュルンベルク裁判と東京裁判は本当に公平な裁判だったのでしょうか?
>>272
1930年代までは結構普通に流通していたんですが世界的にアヘンが禁止されたことや
中華人民共和国が厳しく取り締まったことでアヘンはすっかり無くなりました
>>273
正直言って微妙ですね、そもそも戦勝国が敗戦国を裁くこと自体意味が分かりませんし
連合国側の対戦中に起こしたことは一切お咎めがないことや
当時栽培で裁く側の国の内オランダやフランスは再植民地化に向けて
独立を宣言した現地の人に軍事的行動を起こしてますし
ソ連は東欧で自国の域のかかった政権を無理やり作りつつシベリア抑留を
しているなど枢軸国が対戦中にやった罪状とやらとどっこいどっこいのことをしています
>>274
>ソ連は東欧で自国の域のかかった政権を無理やり作り
ちなみに日本は戦時加算の制度が唯一残っていまふが、ソ連とその元傀儡国家は戦時加算の対象外なので、地味に日本にも影響を与えていまふ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E5%8A%A0%E7%AE%97_(%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E6%B3%95)
もし反三国志が本当の歴史だったら、その後の歴史はどうなっていたのでしょうか?
なぜオーストラリアにいたアボリジニの人たちは王国を作らなかったのでふか?
移動性の高い狩猟民族は特定の地域に国を持たない例が少なくありません
特定の土地に定住する農耕民族は土地の奪い合いによって指導者が必要となり、国家を形成していきますが
狩猟民族はむしろ権力の集中を好まない傾向が強いと言われています
オーストラリアは安定した食料の確保が難しい大陸なので、国を作るメリットが少ないのです
狩猟民族でも他文化との関わりの中で国を持つケースもありますが、オーストラリアの場合は他大陸との交流も極めて少なかったのでそういった影響を受けづらかった面も大きいです
質問ではないですが世界史の窓というサイトが読み応えがあって面白いです
こういう資料紹介も掲示板のルール的には問題ないのでしょうか?
https://www.y-history.net/
>>279
全く問題ないですを
当職は私はいつも>>279のサイトを利用して世界史用語投稿しておりますを
なぜトトメス1世以降は王家の谷に埋葬されるようになったのでふか?
ユダヤ人の迫害が激化した原因はキリスト教と関係があるのですか?
他の宗教では聞かないので
1980年代にかけてエルサルバドルで内戦が起こった理由は何でしょうか?
WW2のアメリカはなぜ無条件降伏にこだわったのでしょうか?
そして条件付降伏が認められていたらドイツと日本は史実より早く降伏していたのでしょうか?
>>283
そもそもの話ユダヤ人はユダヤ教徒及びその血縁者であり、特定の民族を指す言葉ではありません
ユダヤ教とキリスト教は同じ神を信仰しておりますが、イエスの扱いに大きな違いがあります
簡単に説明すると、ユダヤ教は救世主(メシア)がいずれ世界に到来し、平和をもたらすと考えています
キリスト教はイエス・キリストこそが救世主だとみなしていますが、より古典的なユダヤ教はこれを認めていません
ユダヤ教にとってイエス・キリストは救世主を自称した人間であるとしか扱っていません
キリスト教から見ればユダヤ教はルーツであるものの、自分たちの新しい解釈・信仰を認めない存在ですので相容れることはありません
ほかの理由として、ユダヤ人は金融を生業としていたために恨まれたとされていますが、そもそもユダヤ人が街金をしていたのもキリスト教に職業を制限されていたからです
ユダヤ教とキリスト教の対立は解釈の違いが発端となっているため、他の宗教はあまり関係がないのです
>>284
彼以前の王家の墓がことごとく盗掘されたので墓のありかを隠す目的で
王家の谷に埋葬するようにしたのです
>>285
1960年代のエルサルバドルは経済状況が良くなく隣国のホンジュラスに多くの
労働者が出稼ぎに行ってましたが1969年のサッカー戦争によってこうした出稼ぎ
労働者が大量に引き上げたこととホンジュラスでエルサルバドル製品が
市場を失ったことで経済が悪化し国民の6割が貧困層である一方
一部の人に富が集中することとなりました、なので左翼ゲリラが
活動を過発化させる一方で政府もアメリカに支援を求め右翼民兵組織
とともに大規模な弾圧を行い内戦となったのです。
>>285
無条件降伏にこだわったのはいくつか理由がありますが大きな理由は途中で
連合国の中で途中で脱落する国がでないようにするためです
第二次世界大戦となると例えばイギリスなんかは正直遠く離れた日本と
あまり戦いたくないと考えて条件付きの講和を容認すると対日戦からイギリスが
脱落するといったことになりかねます、そうなると残った国に余計な負担を強いることになります
実際第一次世界大戦ではロシアが途中で脱落しドイツに西部戦線に集中できる
チャンスを与えてしまいました、なので無条件降伏にする事でどっかが抜け駆けして
講和するのを防ごうとしたのです。
>>285
当時の日本政府は
・ソ連が条件付き降伏の仲介をしてくれる
・↑が駄目でもソ連が参戦せず本土で持久戦になれば有利な状態で講話できる
前提(願望)で動いていたのでよっぽど有利な条件でない限り降伏の選択肢はなかったかと
>>267
稲作は割とどこにでもありますが水田は水の量が必要になるため気候が合わないと生産量を増やせないという面があります
http://www.pref.akita.jp/fpd/news/mase.htm
量がないためか日本で言うパンや芋のように消費されることが多く、グルジアではフルーツジャムと合わせて食べることもあります
これはまあまあおいしいんですが果物ほどじゃないしたくさん食べると気分が悪くなります…
というかパンでいい
なぜドイツで押し付け憲法論が出ないのでふか?
まずは邪魔な荒らし消してからじゃないと...
現時点ではミヒケーの使用を推奨しまふ
>>320
あ、改憲派のネトウヨだ!見つけ次第
あくまで戯言でふ
ミヒケーは当職みたいな匿名化非ガチ勢だと使いづらいんですよね実は
せめて「三田国際学園被害者」という名前でなければもう少し書きこみやすいんですがしたらばでふので万が一学園長によってやられた場合書き込み罪食らう可能性すら否定できないでふ
未だに荒らし対処はされず>>322のような煽りまで湧く始末
イヒケー設立から1周年というが学習系サブカラケーの系譜も尾張屋根
>>320
ドイツの場合そもそも戦後に作成した憲法は連合国から押し付けられた物でなく
自分で作成し審議した物でありそう言った議論が出る出ない以前の話だからです
>>324
国内ケー程度の環境でも学習系のスレはやろうと思えばできますよ
荒らしの対処がなされてないと言うなら国内ケーの惨状を経験してから
今と比べて欲しいと個人的に思います本当の管理放棄を一度経験してみれば
いかにここがちゃんと管理されているかがわかります
復活てすや
なぜフランスはイギリスのように立憲君主国にならなかったのですか?
タイが植民地化されなかったのはなぜでふか?
>>298
外交努力によってイギリスとフランスの緩衝地帯になったのが要因だと思われます
詳しくはしば塾師らのご教授を仰ぐのが良いかと
>>297
フランス革命の際に最初は立憲君主制が取られましたがその時は
絶対君主制に慣れていたルイ16世と相性が悪かったことや
外国の干渉に反発して革命が激化し失敗してます
その後も何度か立憲君主制になりましたがいずれも失敗しています
やはりイギリスのように長年に渡って立憲君主を行ってなく
長い間絶対君主制が続いていたので君主の権力を縛ると言うのが
馴染まなかったと考えられます
>>298
>>299の方が言われている通り英仏の緩衝材となったからです
またこれに加えてタイの場合欧米諸国と早い段階で外交関係を
築いたことや近代化政策が上手くいったので国王の中央集権が
上手くいき植民地化するのを困難にしたと言う側面もあります
とはいえ何も代償がなかったわけではなく英仏双方にある程度
領土を割譲させられてはいます。
なぜスイスは共和国として自治を保てたのでふか?
ハーメルンの笛吹き男のように中世ヨーロッパでは人さらいが多かったのでしょうか?
>>301
国土が山岳地帯なので占領しにくいのと資源がないことから傭兵業で国家を
運営していたので仮にスイスを攻めたら山岳で優れた傭兵達と戦わなければ
いけない上にスイスから傭兵を獲得できず困るからです
>>302
中世の時代に人攫いが今よりもずっと横行していたのは事実ですが
ハーメルンの笛吹男のモデルとなった事件は文字通り原因が不明で
人攫いかどうかすらもわかってません
>>300
英国が立憲君主制仏蘭西が共和制になった件について
メインの理由はその辺だと思いますが
サイドの理由として当職は仏側が王政3回帝政2回と18世紀末~19世紀後半の80年間で計5回も君主制が姪になったことも影響していると考えております
王制については毎回革命で追われてますし
英国は17世紀に2回革命やらかした以降は王制安定してますし
ところでスペインブルボン朝も19世紀以降王が追われる→復帰→次の代の王が追われるを繰り返してます
フェリペ6世が老いた後老害化せず円満に王太子に引き継げればジンクスを打ち破れますが
逆にまたやらかしてしまうと今度こそ共和制が永久化するかもしれません
なぜサンマリノ共和国はイタリア統一戦争でも独立維持できたんでふか?
>>305
イタリア統一運動にあたってサンマリノはオーストリアに敗れて敗走している
ガルバリディを保護してオーストリアの攻撃から彼を守り抜いたことがあります
また他にも義勇軍を派遣するなどして協力していたのでサンマリノの協力は
イタリア統一の大きな助けになったとして独立を維持されたのです。
クロムウェルはプロテスタント基準の優しい世界を作りたかったのでしょうか?
これはあくまでも当職の見解です
しば塾師とはまた違うかもしれません
クロムウェルが目指した共和制はジェントリ(地主階級)中心の政治ですので、一般市民からすればチャールズ1世の絶対王政と大差ない独裁政治でした
だから市民からすれば話が違うやろ・・・(呆)となるわけであって
水平派と王党派を弾圧し、軍備を整えてからやったことが反革命運動の名の下のアイスランド侵攻・スコットランド侵攻です
クロムウェルはピューリタンにとって優しい世界を目指したのではなく、オランダに対して圧力をかけることが真の目的だったのではないか?と思います
実際、貿易競争や海上覇権を巡って1652年からイギリス=オランダ戦争が勃発しています
ポルトガル帝国はなぜ急に没落したのですか?
>>307
クロムウェルは独裁政治を行なっている時に極端なプロテスタントの教えを
徹底するような政策やカトリック教徒の弾圧などを行なっているので
そのような考えがあった可能性はあります
>>308
私はクロムウェルがオランダに圧力をかけたいと考えていたとは思いません
英蘭戦争の引き金となった航海法ですがクロムウェルはその時王党派討伐の
ために遠征中で彼自身はこの法律の制定に一切関わってないですし
むしろプロテスタントであるオランダとの争いを引き起こしかねないと
後に反対しました、それとこの法律が作られたのは確かにオランダの
中継ぎ貿易を締め出すという目的もありますが
未だに王党派が根強い植民地に対して外国との貿易を禁止する事に
理由を与えると言った意味もあるので一概に対オランダ目的とは
言えないです。
>>309
ポルトガルは香辛料貿易で栄えてましたが香辛料は次第にヨーロッパで
人気がなくなり価格が急落し加えてイギリスやオランダと言った
新興国との対決を強いられ次第に儲けがでなくなりました
その後はブラジルの植民に力を入れ再び勢いを取り戻しますが
1755年にリスボン大地震が起き首都リスボンの建物の9割が震災で
倒壊残りも火災で燃えさらに多くの地域で大きな被害をもたらしました
ここで大きなダメージを受けたポルトガルは一気に没落したのです。
抗日民族統一戦線の結成に際して各軍閥はどういった反応を示したのでふか?
>>311
その時点で各地の軍閥は一定程度の影響力はあるものの基本的に国民党に
したがっていたので特別な反応はありませんでした
入試問題の中でしば塾氏が一番悪問だと思う問題はありますか?
>>313
1974年の早稲田法学部の問題
小ピピンの好きな食べ物は何か。次のものより選べ。
①スパゲティー
②牛肉
③鹿肉
④鴨鍋
入試でクイズを出すなアホッ ボケ!
日中戦争が泥沼化した原因は何ですか?
また、歴史にifが存在しないのは承知ですが、「ここでこうしていれば勝てた」というのはありますか?
>>315
まともに戦ったら日本に勝てないので米ソを巻き込んで逆襲すべく降伏せずに草の根の抵抗をしていたからです
百年戦争が起こるまでイギリスの貴族はフランス語を話していたのってマジなのですか?
>>315
ないと思います
中国の広大な領土に加え、毛沢東ら優れた指導者によるゲリラ活動で消耗していた所に>>316師のいう米ソの介入があったので
日本の国力では何かの間違いで征服できたとしても維持できずすぐ破綻したでしょう
>>315
泥沼化した原因は日本が中国のことを理解してなく首都さえ落とせばおしまい
と考えていたからです、ところが中国は日本とは比べ物にならないほど大都市
が多いので代わりはすぐに見つかりましたしまた軍隊の数の都合上支配するのは
都市や要所のみでしたが農村にも多数の人口が存在していてそれらの農民の
多くは中国共産党に従って抵抗運動を行ったのでゲリラ戦術や物資の調達に
支障をきたしてしまいそうこうしている内に英米ソから支援が来てしまったので
泥沼化しましたこうしていれば勝てたというのはないでしょう
>>317
ガチです、いつか詳しく解説したいですが現在の王朝の先祖である
ウィリアム1世がイギリス国王になってから百年戦争までイギリス国王は
フランスでは大貴族でしたしその国王に使える貴族も皆フランスとなんらかの関係を
持っていたので上流階級同士はフランス語を話してました。
現在でもその名残としてフランス語由来の単語は英語に多く存在しますし
またイギリスの国章にはフランス語で標語が書かれてます
大貴族として
なぜキリスト教は金儲けを悪としたのでしょうか?
イングランド(827~1707)やフランス(987~1792)の王朝以外の時代区分ってどんな感じでふか?
例えば東アジアだと数百年で統治者が丸ごと変わるし
スイスより東と南は併合独立が数十~数百年ごとにあるのでまだわかりやすいんでふが
早稲田大学
ボストン茶会事件の時に海に捨てられた茶箱の数はいくつか。
A.332
B.342
C.352
D.362
なぜ上智や早稲田は教科書のどうでも良さそうなところをつついてくるのでしょうか
>>319
色んな理由があって単純じゃないんですがイエス自身が
貧しい生活をしていたのでそれに近い生活をすべきというのや
あまり金を持ちすぎると贅沢に走り信仰の妨げとなるから
と言った理由かららしいです。
>>320
イングランドやフランスに限らず王国の場合王朝で時代区文をすることが
多いんで多分ないですね
>>321
予想ですが教授達が面倒なんで手を抜いているのだと思います
産業革命はなぜイギリスから起こったんでふか?
植民地の差では?
作った製品は売りつける先が必要になるので
近代的な社会体制が確立していたのも影響してそうですを
長年オスマン帝国の支配下にあったギリシャにイスラム教徒が人口の2%程度しかいないのはなぜでふか?
逆に周辺国(バルカン諸国とブルガリア)に人口の5%以上イスラム教徒がいるのが不思議でふ
>>323
イギリスで産業革命が起こった理由は様々な要因が重なっていて明確な答えが
ないのですが、元々毛織物産業なんかを盛んにやっていたので工業や技術革新を
歓迎する空気があったことやエネルギー源である石炭が豊富に取れたこと
宗教的にプロテスタントだったので金儲けを許す風潮だったので技術革新から
儲けを出して次に繋げていけたことなんかが挙げられます。
>>326
ギリシャとトルコはトルコが国家として成立してすぐに大規模な住民交換をしているからです
というのも両国は領土を巡って第一次世界大戦終了後に戦争を起こしていて
国境が確定した頃にはお互いをものすごく嫌っていたからです
ギリシャは東方正教会の影響が根強いですからね
なぜギリシャ正教などの東方教会にはローマ教皇のような指導者がおらず各地でバラバラなんでふか?
>>329
東方正教会のトップは東ローマの皇帝が務めていましたなので東ローマ滅亡
とともにいなくなったのです、もちろんその後はロシアの皇帝が事実上
その代わりを務めましたがロシア革命以後は東方正教会が信仰されている地域で
それと同じくらいの影響力のある世俗権力のトップが現れなかったので
いないのです
なぜスパルタだけが他のポリスと違う政治形態だったんでふか?
>>331
他のギリシャの諸都市があった場所はどこもかしこも農業に不向きな地域だったので
商工業を発展させて海上交易で利益を得て穀物を得ると言った手法をとっていました
しかしスパルタのあったラコニアは平野が広がっていて農業ができる地域でした
なのでスパルタは平野部をどんどん征服していくことで穀物を得ようとしますが
その中で征服していった人々の数がどんどん増えていきこのままでは
いつの日か反乱を起こされてしまうという危機感を抱いたので
軍国的な体制にしたのです
なぜキリストは神の子として奇跡を起こしたのにムハンマドはあくまで預言者の立場にこだわり続けたのでしょうか?
ロシアがバルト三国、グルジアウクライナモルドバ、アゼルバイジャンでそれぞれ対応に温度差があるのはなぜでふか?
>>334
バルト三国やモルドバはソ連に編入されたのが第一次世界大戦以降と
比較的最近でありそれ以前のロシアの歴史でもあまり大きな関わりのない
地域であることや軍事的にもそう重要でないのであまり深く介入しようとしません
ウクライナの場合ロシアのルーツであるキエフ公国発祥の地であることや
クリミア戦争の舞台であるなどロシアのナショナリズムにとって重要であり
また軍事的にも重要な港があることやロシア系住民が集中して住んでいる地域
があるので介入してきます
ジョージアの場合は隣接している上にロシアに反抗的でかつロシアの少数民族と
同じ人々が数多く住んでジョージアから民族弾圧を食らっているので介入してきます
アゼルバイジャンの場合は親ロかつ直接国境を接してないのであまり介入しません
当職はコーカサス情勢だけには少し明るいので補足します
グルジアは戦前のロシア革命直後に一時的に独立していたときから少数民族居住地域に関して問題を抱えて居ましたがこれらの地域に対して戦後の混乱期にロシアが少数民族部隊を用いて介入しグルジア軍を撤退させ独立させました
ロシアは独立国家と承認していますが基地を置くなどして内政に関しては自治を認めて居ますが軍事的には実効支配下に置いています
ですから現在も両国の国境には軍が常に駐留する状態が続いて居ます
アゼルバイジャンに関しては1990年代のナゴルノ・カラバフ紛争でロシアの支援を受けたアルメニアに手酷くやられてからCISに加盟するなどして親ロシアの姿勢を見せて居ますが
ロシアはナゴルノ・カラバフに対してしか興味は無いのでアゼルバイジャンに対して大した動きはしていません
コーカサスに強い教徒との出会いに感謝
アゼルバイジャンはトルコとの関係を今後強化していくんでふか?
>>337
トルコとアゼルバイジャンが今結束を強めてる原因となっているのはナゴルノ・カラバフ紛争が原因だと思いますが
ナ・カ紛争はアルメニアのバックに居るロシアやアルメニアロビーにより繋がる欧米諸国と中東諸国やトルコの代理戦争の1面を若干持っている為
ナゴルノ・カラバフに一応の決着がつくまでは関係を強めていくのでは無いかと一般名無し質問者
朕は国家なりと発言したのはルイ14世というのはどこまで信じて良いのでしょうか?
リシュリューとルイ14世の関係性は悪かったというのはマジなのですか?
>>339
この言葉を発したとされるエピソードの初出が彼の死から100年後に
ヴォルテールの書いた本であるので正直微妙なところです
とはいえルイ14世の治世を集約したような言葉ではあります。
>>340
リシュリューはルイ14世が4歳の頃に亡くなっているのでそれはないと思います
おそらくルイ13世と勘違いされているのでしょうがたしかに最初のころは
「悪魔のように憎んでいると」まで言わせていますがその後はすっかりと信頼し
ついに彼の母と弟がリシュリューの解任を要求した際も拒絶するほど信頼しています。
>333
も答えてクレメンス
しば塾師が1番ばからしいと思う世界史の出来事はなんでしょうか
当職は二度のプラハ窓外投擲事件でふ
なぜわざわざ窓から投げたのか。自問自答の日々
>>333
キリストの場合本人は別に神の子とかを名乗っていなかったのに
弟子たちが過度な礼賛神格化をした影響で神となってしまい
結果イエスをどうするかを巡って幾つかの派閥ができてしまいました。
ムハンマドはこうした歴史を知っていたのでそれらを禁止して
あくまで自分を預言者であるとすることを厳しく定めました、
とはいえ民間ではムハンマドはアッラーの子であると信じている人も
多いです。(そうなるとイエスとムハンマドは兄弟になりますが…)
>>343
コブラ効果の由来となった話ですね
ユダヤ教の食のタブーについては解決されたようですなりよりです
なぜアンリ4世は一貫してスペインに厳しい姿勢をとったのでしょうか?
>>346
アンリ4世はプロテスタント側の人間だったのでカトリックの盟主であった
スペインとは仲が悪くまたスペインも王位継承を無効だとして
彼の王位を認めなかったりカトリックの政敵に対する支援をしていたからでしょう
なぜ教皇をアヴィニョンに捕囚したんでふか?
>>348
簡単に言うとフランス国王の影響力が非常に強いからです
南フランスにはキリスト教の一派であるカタリ派を信仰する人が
多かったですがフランス国王は中央集権を進める過程でカタリ派を
異端認定し現地の都市を次々と征服し自分たちの影響力を強くしました
なので南フランスにあるアヴィニヨンも当然フランス国王の影響力が強く
なので教皇をここに移すことでフランス国王は教皇に対して影響力を
行使できると踏んだのです
なぜアメリカ南北戦争は最初南部が有利だったんでしょうか?
>>350
南部には大地主が多かったのでこうした層から将軍など軍の高官が多く輩出され
南北戦争の開始時に彼らが合衆国から離反したことで
合衆国の方はいきなり多くの将軍が消えたわけで指揮系統に混乱が生じていたからです
>>347
プラスアルファというかメインでなくサブの理由として
ナバラ国王としてスペインがイベリア半島のトップ面するのが気に食わないとかなかったでしょうか?
なお18世紀以降はアンリ4世の子孫がスペイン王位を世襲する模様
もしイタリアが統一されなかったら朝鮮半島みたいになっていた可能性もありますか?
>>353
共産革命でもしようものなら英仏が全力で潰しにくるでしょうし(立地的にソ連、中国の介入は厳しい)
北部は工業、南部は農業に加えて観光需要があるので考えにくいでふね
世界史そのものの質問ではないですが多くの学生が世界史に興味を持ってもらうにはどうしたらいいのでしょうか?
何が魅力なのかを伝えようにも思いつきません
逆に歴史に興味を持たれないのは視点飛び飛びで無機質な文字一辺倒だからと思うんでふよね 図解や絵じゃ不十分
戦記物の漫画ナリ映像ナリゲームナリで列強一国+主要人物の主観から連続性持たせて面白くとっつきやすい形にしないと
>>355
世界史上の出来事が現在の我々の身の回りにあるものと実は関連しているってのを
例を挙げて説明するといいのではないでしょうか?
>>356 >>357
デカン
身近なものに結び付けるのが近道なんですね
>>357
歴史に限らず、理科や数学や各種言語にも言えることだと思いますを
身の回りにある日常的なものや現象と結びついていると知ることで興味の幅が広がります
>>359
ありがとうございます
こういう事を学生時代から知って心がけておきたかった
身近なものと繋がってる世界史の例として私はノルマンコンクエストが
英語に与えた影響を挙げますね(beefとcowとかのやつです)
ノルマン・コンクエストのせいでRPGの聖職者がメイスやホーリーウォータースプリンクラーで敵をどつくようになった
>>362
そうなのですか?
●はい。
ノルマン・コンクエストの歴史資料である「バイユーのタペストリー」という刺繍絵巻物がありまして、これに描かれたというか作製を命じたバイユー大司教のオド(ウィリアム征服王の異母兄弟)が棒杖を持って描かれています
https://en.wikipedia.org/wiki/Odo_of_Bayeux#/media/File:Odo_bayeux_tapestry_detail.jpg
これは現在では笏とか指揮棒のようなものと考えられているんですが、敵をしばくための棒きれだという解釈があり、それをダンジョンズ&ドラゴンズが聖職者の武器制限に取り入れて、刃物で他人を傷つけられないから代わりに鈍器で敵をしばくとの珍解釈が生えてきたようでし
身近なゲームとノルマン・コンクエストとの繋がりでした
ルイ16世はなぜバスティーユ襲撃が起こった際にネッケルを復職させたのですか
>>365
ネッケル罷免がバスティーユ襲撃の原因だからです、ネッケルは
特権階級への課税を主張していたりと第三身分よりの人物であったことや
アメリカ独立戦争への膨大な支援をを増税ではなく借入によって
資金調達し第三身分への負担を減らしたことから
彼らの中では人気が高くそんな人物を罷免したことで
バスティーユ襲撃が起こりその結果事態を鎮静化させるため
ネッケルを復職させたのです。
アーゲンクロイツ
中南米のスペイン領同士の国境ってどんな経緯でできたんでふか?
言語統一できたのなら英領アメリカみたいに一つの国として管理した方がよかったと思うんでふけど
>>368
スペイン領だった地域の国境は植民地時代の行政区画によって原型が
決まった後幾多にも及ぶ領有権争いからの戦争で今の国境になりました
スペインの植民地時代南米は一つの国として管理するにはあまりにも広大なので
4つの副王領で統治されていました、一応独立時はこの副王領
に基づいた国づくりをしようとしましたが副王領でもやはり広大だったので
行政区画ごとに違った自然環境や産業体制でありお互い主導権を握ろう
として仲が悪くなったので細かく分裂してしまったのです。
下がり過ぎている これはいけない
なぜ霧社事件は台湾の植民地反乱なのに扱いが小さいのでしょうか?
>>370
しょうがないですけど原住民の反乱なので規模が小さかったからでしょう
ササン朝ペルシアにとってマニ教はゾロアスター教に対する重大な挑戦のような気がしますが弾圧しなかったのはどうしてでしょうか
高校の頃世界史はただ年号や言葉を覚えさせられるだけで全く面白くなかったので全然勉強しなかったのですが 最近ここを見てからもう一度世界史を勉強し直してみたいと思うようになりました
今から世界史を勉強するのにおすすめの本とかはありますか?
>>372
サーサーン朝が他民族他宗教こっかの要素が強かったからでは
試験中に受験生から指摘され気づく…名古屋大学の入学試験で出題ミス 世界史の問題で4問の回答導き出せず
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba09edf0f31c1e017794e108f5a4a742332ab10f
具体的にどういう問題か書かれていないので何とも言えませんが
4問は多いですね
あと当職の認識では東北名古屋九州は文系の2次はみんな英数国で地歴はないって古い記憶があったので
「え?名大個別試験で世界史?」って思いました
>>375
地歴選択できるのは文学部だけのようです
確かに以前までは東名九は英数国固定で
地歴選べる地方旧帝は阪大と北大の文学部だけでしたね
…途中まで東京一狙ってたけど最終局面で安全策で下げた奴もいるとはいえ
センター対策しかやってない芋が地歴公民の教員になるのに抵抗感はありましたが
旧帝大の文系も数学受験する人増えてますね
名大の世界史も149人しか受験していないみたいですし
>>372
シャープール1世は確かにマ二教を保護していますが、シャープール1世の後継のワフラーム1世になってからは弾圧されています
マニ教を保護したと言っても、別にシャープール1世からすればゾロアスター教に対する重大な挑戦をしかけようとした訳ではなく(なおゾロアスター教側)、マニの医学に関する知識が欲しかったから保護という形で取り入れたのだと思います
>>375-378
上位大だと文系でも数学が必須となる場合が多いです
数学が苦手だとしても開き直るしかありません
https://youtu.be/3rnqx5Xaugk
この動画って歴史にどれぐらい忠実ですか?
何でこんなに下がってるんだ
なぜフランク王国のカールマルテルは自分の息子を王位につけることができたのでしょうか?
教皇の後押しがあったと聞きました
とりあえず取り急ぎ
>>381
あの頃のフランク王国は王家に実権がほとんどなく
宮宰が実権を握っていました、そんな中カールマルテルは
イスラム勢力を撃退するなどして名声を高めローマ教皇からの支持も
得られたので新たな王家が誕生する下地を作れたのです。
内モンゴルや新疆、チベットなどとは違って朝鮮が中国の一部とならなかったのはなぜなんでしょうか?
なぜグルジアは自分たちの使っているサカルトヴェロにしなかったのでしょうか?
>>384
新疆やモンゴルは遊牧民なので朝鮮のようにしっかりとした国家が
なかったことから清の時代
自治はさせたものの一応清の中に組み込みました
チベットの場合もそうで大幅な自治は与えたものの一応清の版図に
組み込まれています。
一方で朝鮮の場合は清以前から存在する朝貢国であり、朝貢国の存在は
清が中華帝国の正当な後継者である証であったので清の版図に組み込ませずにいたので
朝鮮と中国は別の存在になったのです。
>>385
なんて言ったらいいのか表現しにくいですがある国の名称と外国での呼ばれ方
というのは必ずしも一致しないんです、ジョージアの外国での呼ばれ方は
ソ連時代に呼ばれていたグルジアで定着していましたなので全く違う名前に
変えるのではなくグルジアに近いけれでもロシア語読みではない呼び方として
ジョージアになったのです。
僅か3年で世界史に遺る重大な出来事が2件も発生した2020年代ってヤバすぎません?
9.11、アフガン戦争、イラク戦争のゼロ年代に匹敵しますね
国内限定だと1996年相当
>>389
失礼ながらもう1年早い'95ではないでしょうか
ミスタイプナリ
1989年も中々激動の年でしたね
この年の前と後では日本も世界もがらりと変わってしまったような気がします
この激動さがまだ数年は続きそうな気がしてどこか恐ろしく思います。
ローマ帝国に興味芋です
おすすめの書籍ってありますか?
塩野七生「ローマ人の物語」はおすすめしないナリ
ちな当職が腐女子というものの存在をはじめて認識した本
塩野は自分の好きなキャラと嫌いなキャラが読んでるだけでわかるからなあ…
いわゆるキャラ萌えってやつ
塩野七生氏や司馬遼太郎氏の歴史小説は必ずしも史実とは合っておらず、あくまでも娯楽として楽しむべきです。
後世の人からビザンティン帝国などと称される後期ローマ帝国では、建築や水道橋など、かつて(通常ローマ帝国と称したときに指す時代:4世紀以前)の素晴らしい文明や技術をどれほど継承できたのでしょうか?
イスラーム勢力の侵攻など苦難は多いですが、やはり失われたものも多々あるのでしょうか?
ロシアはなぜあのような強権的な文化と風習ができあがったのでしょうか?
>>398
少なくともかつての首都ローマは失ったと思います
>>398
建築技術は大分失われましたね、これはローマの建築に必要だった
コンクリートの原材料がイタリアの火山石を使っていたせいだからでしょう。
>>399
エマニュル・トッドと言う有名な学者がいるのですが彼は世界中の家族の形態と
政治制度に関連があると言うことを発見し非常に有名になりました
それによるとロシアや中国それに東欧やベトナム、北インドでは
外婚制共同体家族と言う家族形態で親は子に対し権威的であると言う特徴があり
これが影響しているのではと主張しています。