121 - 名無しさん 2023/02/11(土) 21:10:06 ID:USZ-C0F6d3-5A62
ところが、人間の浅はかな知恵などは、偶然の前には何の力も権威もないものであることがすぐわかった。一体これがあり得ることだろうか? もちろん誰一人信ずる者はないだろう。私だって他人からこんな話を聞いたらふふんと鼻で笑ってやるつもりだが、事実だから書かないわけにはゆかない。私の立っているところから、ちょうど六人目、あるいは七人目だったかも知れぬが、とにかく、つい鼻の先に、彼方側を向いて、吊革につかまって立っている女の後姿に、私の眼は釘付けにされてしまった。顔は見えなかった。けれども大体の丈格好といい、髪の結びかたから、素首の辺の髪の生えぎわから、着物の柄にいたるまで、妻のみな子にそっくりなのだ。私は、その場で自分の身体がそのまま結晶してしまいはしないかと思われるほど驚いた。おまけに、彼女はわざとのように、むこうを向いたままで、髪の毛一筋動かさないのだ。