【正本はカラーで】雑談★358【あげましょう】 (1000)

←← 掲示板一覧に戻る ← スレッド一覧に戻る

155 グナマーナ正大師 2015/10/28(水) 02:33:59 ID:5.VEga.E

>>122
後に全国に散らばっていろんなとこで勢力伸ばしたが、大本の発祥は奈良やで



http://folklore2006.jp/604.htm
「長谷川」の名字の由来


# 長谷(ながたに)の泊瀬・初瀬(はつせ)川が原意。東北の日本海側で多く見られる。
・ 初瀬川: 奈良県南部を流れる川で、古代、大阪湾から上ってきた舟の最終的な船着き場で、「泊瀬(はつせ)」を語源とする。
 後に「泊瀬」は「長谷」と書かれるようになり、真ん中の「つ」の字が落ちて「はせ」と読まれるようになった。
 その後、周辺の武士団(雄略天皇の家臣団?)が「長谷川」を名乗り、新潟に移住して栄えた。


# 駿河の長谷川氏は藤原北家_秀郷流で大和国長谷川をルーツとする。
# 新潟県の長谷川家: 長岡市の豪農。出羽上山藩領だった塚山村の大庄屋で本陣と問屋を務めた。
# 新潟県の長谷川家: 三条市の豪商で会津屋を号した。
# 富山県の長谷川家: 越中国砺波郡細島村(富山県南砺市利賀村)の旧家。江戸時代には加賀藩の十村役を務めた。
# 富山県の長谷川家: 滑川市の仏師。
# 富山県の長谷川家: 富山城下で伊沢屋を号した呉服屋。
# 三重県の長谷川家: 伊勢国松坂(三重県松坂市)の豪商。
# 京都府の長谷川家: 京都の町衆の出で、画家や茶人として有名な長谷川宗仁は、織田信長に仕えていた。
                子の守知は関ヶ原の戦いで西軍に属したが東軍に内通したため、1万石を与えられたが、江戸時代初頭に旗本となった。