105 無名弁護士 2017/07/24(月) 21:02:30.69 ID:7Ll2RL5v0
光次は立候補する金を稼ぐため明治三十七年八月〜明治四十二年まで朝鮮にいたようですを 畑も一緒に渡り、こちらは明治四十四年まで留まった 興味深いのは商売を始めたのが龍山だったということ ここで村井啓助と結び付く 当時龍山は日本人の人口が急激に増えていっていたらしい 土地開発にも関わり、ここでの経験が田園都市計画に繋がっていのではないでしょうか