742 【参考】T氏が在籍していたバブル期の明治大学 ([email protected]) 2017/06/25(日) 17:57:54.79 ID:ayQFiqqu0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%B3%95%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%A4%A7%E9%87%8F%E7%95%99%E5%B9%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>1991年3月、明治大学法学部法律学科では1024人いた卒業予定者のうち257人が留年した。
>この数は例年の倍以上であったが[3]、そのうち148名については新美育文 教授の担当する必修科目、債権法の単位が未履修であるということのみを理由とするものであった[2][3]。
>当時、債権法は2年から3年の前期にかけて履修する科目で、夏に試験が実施されていた。
>留年した学生は3年と4年の夏に再試験、さらに卒業直前の3月に実施された特別試験、計3回の試験に不合格となった結果、留年することとなった[2]。
>新美教授は産経新聞社会部の取材に対し、例年と同じように採点した結果そのような事態に至ったのであり、「一番驚いたのは私です」と述べた[4]。
>新美教授は不合格者が大量に出た原因について、「ほどほどに勉強する学生がガタッと減った」ためであり、その原因はバブル景気の影響により「就職戦線が超売り手市場になると、
>学生側に勉強しなくても何とかなるというムードが生まれた。それに、かつては会社側にも『優』信仰があったが、……頭数をそろえるほうが先で、成績を問われなくなった」ことであると分析している[5]。
>さらに新美は根本的な要因として、質問を促しても質問しない、講義で話した内容をノートにまとめることができない、
>マンガや小説は持っていても講義で使用する専門書は持っていないなど、学生の質の変化を指摘している[6]。