510 島田 真樹(小平市花小金井3-5-27) (sage) 2019/03/16(土) 11:05:16.58 ID:kKX9wq800
島田 真樹(小平市花小金井3-5-27)が笑える話紹介するでクスクスクス
パパママ・バイバイ
横浜市緑区(現在の青葉区)の米軍機墜落事件<1977年>
1,ジェット機が落ちてくるぞ
この事件が発生したのは、1977年(昭和52年)9月27日の事ですから、今からちょうど20年前の事になります。
横浜の中心部から北西に15キロメートル程離れた荏田(えだ)町。
国道246号線と東名高速道路が交差し、丘や山が崩され大型の宅地造成が進み、高層のマンションが立ち並びつつある地域でした。
午後1時17分頃、米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属RF−4Bファントムジェット機が相模湾沖を航行中の空母「ミッドウェー」に向かう途中、エンジン火災を起こし、荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
墜落地点から2kmほど手前の横浜市立鉄(くろがね)小学校では運動会が行われていましたが、校舎の屋上をかすめて火炎と黒煙を上げながら墜落していくジェット機を生徒も父母も目撃し運動会が中断してしまいました。
そして、轟音とともに黒煙が山の向こうに立ち上がったのです。
2,助けを求める人たち
墜落地点一帯は全長19メートル、重量26トンの機体と大量のジェット燃料が飛散し、付近の公園と民家を飲み込んで一瞬にして火の海になってしまいました。
炎上する家の中から、火がついた衣服をまとって大やけどを負って助けを求める女の人。血ダルマの幼子をしっかりと抱きかかえ飛び出す母親の姿がありました。
その時の状況を被災者の救出活動に参加した人は「「たすけて−」と悲鳴をあげながら女の人がかけてくるんです。顔は火ぶくれでふだんの2倍ぐらいにはれあがり、髪は焼けちぢれ上着はボロボロ、わずかに下着がついている程度でした」と語っています。
3,自衛隊の救難ヘリコプターは
事件発生と同時に米軍から連絡を受けた自衛隊はすぐに救難ヘリコプターを厚木基地から緊急発進させ、事件発生の10分後には現地の上空に到着しました。
しかし、救難ヘリは大やけどを負つて救助を求めている被災者を助ける事なく、墜落前にパラシュートで脱出し、はとんど無傷で地上に降りた2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、再び飛んでくることはしませんでした。