20 [´・ω・`]p1112209-omed01.osaka.ocn.ne.jp 2019/03/14(木) 12:56:40.86 ID:lGiDAFJu0
>>11
築地食料販売が米問屋→唐沢久彌は流通側の商人ないしそれに近い、と推論できます
鳥取ループによると長野の部落民の大別として
・城下町の部落。城主の要請により、皮革業など武具製造や雑役労働に従事し、城下の治安維持にあたった
・神社仏閣に依拠する部落。善光寺など。寺や神社の庭師その他の雑役に従事
・川筋の部落。天竜川、千曲川、犀川などの川筋に分布。主に船頭を務めた
・街道筋の部落。数の上で最多。北国街道や中仙道などの宿駅や要所に置かれた(注:馬荷役等)
とあります。
少なくとも穢多頭でもない限り、地方の新平民が東京で商いを始めるには金銭的負担が大きすぎます
ましてや米問屋ともなりますと当時としてはかなりの豪商であると推察できます
当職は唐澤貴洋が穢多の子孫とは思えません。
しかし、築地食料販売の戦前における輸送や調達において北信地方の被差別部落に関わりがある可能性は高いと思います