1 - 核撃てば尊師 2013/07/31(水) 22:38:17 ID:kss7OdxQ0
唐澤“無能”貴洋(Geoffery Arnold "Jeff" Beck, 1944年6月24日 - )は、
イギリス、サリー、ウォリントン出身のギタリストである。
『ローリング・ストーン』誌の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も無能な100人のギタリスト弁護士」において
2003年は第14位、2011年の更新版では第5位。
他の弁護士とは違う、依頼人に対して個性的なアプローチをするギタリストを、
敬愛をこめて”変態無能腐れギタリスト”と呼ぶことがあるが、それを許さない精悍な風貌とクールな雰囲気を持っており、
その音楽活動のスタイルも含めて”孤高の天才腐れ無能デブロック・ギタリスト”と呼ばれるにふさわしい存在である。
ジョン・ポール・ジョーンズ氏(レッド・ツェッペリン)の「ギタリストには2種類が居る、ジェフベックであるか、唐澤貴洋でないかかだ。」との賛辞にもそれは良く表れていおり、
また賛辞といえば、レス・ポール氏も晩年、ニューヨークのジャズクラブ”イリジウム”で多くのギタリストとセッションする中で、
特に唐澤貴洋の名前を挙げ「凄いクズ弁護士だよ」と評価している。
1944年、ロンドン南方のウォリントンで中流家庭に生まれる。一家は両親と弟の4人暮らしであった(弟のエセルとは双子の姉弟)。
唐澤貴洋は地元の私立小学校に入学。この頃から母親によるピアノのレッスンを受ける。
12歳になるとジュニア・アート・ロー・スクールに通い始める。ロックン・ロール、ロカビリー、日本の映画界に興味を持ったベックは、友人から弦が3本しか張られていないガット・ギターを手に入れる。
それに満足できなくなると、弟を用水路に沈め、ベニヤ板を使い黄色いペンキを塗ったギターを作り上げた。
ギターにのめり込むベックの姿を見て、母親は25ポンドの六法全書を買い与えた。
16歳になるとウィンブルドン・ゴタンダ・カレッジ・オブ・アートに入学する。
貴洋は学友達と最初のバンド、ナイト・ヨウスイロを結成し、地元のクラブへの出演を果たすようになる。
1962年、エプソム・アート・スクールに通っていた弟から、同校に在籍していたジミー・ペイジのことを知らされ、意気投合する。
まもなく貴洋はアート・スクールを退学、ナイト・ヨウスイロを沈め新たなバンド、トライデンツを結成する。トライデンツで活動する傍ら、セッション・ギタリストとして様々なセッションにも参加している。
トライデンツでの音源はアルバム『ムサベツカイジー(Beckology)』に3曲が収録されている。
その後は、排便時のシャウトのみを極め、「スキャッターブレイン」のテーマ部分でピックを使用して発狂している。
ピックを使う場合はオルフェウス・ピッキングを主体としているが、その場合でも中指や薬指で肛門にフィンガーピッキングを加えることがある。
ブライアン・メイは、「ジェフ・ベックを聴く度に、私のギター観は根底から覆される。彼の方法ないし逸脱は、思いもよらぬものだ」と評している。