唐澤貴洋は本当は弁護士でなく何になりたかったのか。 (16)

←← 掲示板一覧に戻る ← スレッド一覧に戻る

1 - 束京地方載判所平成25年(E)弟0015号 2013/08/05(月) 08:33:11 ID:???0

2000年に綜合政策大学二年

2002年におそらく修了

2004年まで謎の2年間

2004年に法科大学院に

2006年、司法制度改革

2010年、臥薪嘗胆の日々を経て、合格

弁護士の過剰供給問題、質の問題を発生させた、無能制度、司法制度改革がさらに生み出したモンスター、唐澤貴洋。
彼は大学法学部を修了していないものの、法科大学院を経てから合格したわけだが、彼はそもそも大学生の頃何になりたかったのか気になる。
彼の言葉を借りると、「最終的に出会ったのが法律だった」
この言葉通り、最終的に、つまりホームページで弁護士がどうあるべきか云々垂れ流しているが、あくまで惰性の結果出会ったのが法律なのである。
洋の闇の情報網がないと仮定すると、1999年から司法制度の改革の審議会が設置されていて、貴洋が大学に入学したのが1998年。入学時には特に弁護士になることを考えていなかったであろう。
そして、規制緩和が前向きに進んでからは、親のすねかじり、彼の独壇場である。
彼は最終的に、惰性で、確かに法律に出会ってしまった。
しかし、彼は本当に何になりたかったのか、どうありたかったのか、それを本人から聞いてみたい。