685 - 織田信長 谷川亮太を裾引きの刑に処す 2016/01/30(土) 11:08:44 ID:jOoMKyTU
元亀元年(1570年)5月19日、伊勢方面に抜けるために近江の千草街道を通っていた織田信長が二発の銃弾を受けて負傷するという事件が起きた。
銃弾を放ったのは下総国の浪人で火縄銃の名手であった谷川亮太という男で自らの自己顕示欲を満たすためだけに信長の暗殺を図ったのであった。
激怒した信長は犯人探しを行わせるが谷川は「八神=アグモン=太一」なるキリシタンを装った偽名を使って潜伏しており、なかなか捕まえることは出来なかった。
しかし、谷川は軽率にも自ら「八神太一外野手、織田家の追手を振り切り帰還 」などと飲み屋で大声で自慢してしまい、
ついにはその本名・潜伏先の住所・顔・友人関係・性癖に至るまでの個人情報を漏洩してしまう。
完全に身元が割れた谷川は近江の唐澤寺に潜んでいた所を捕縛され、織田家の厳しい尋問を受けた末に裾引きの刑によって首を少しづつ切られ死亡した。