323 - ムジャーヒド聖戦士 2016/02/02(火) 01:49:52 ID:9ZLsWqIw
・文頭が「当職が」で始まっている
文頭でいきなり「当職が」という言葉が登場すると、初めて読む人は主語を「当職(=パカデブ)」だと考える。しかし文章を読み進める中で「成りすましアカウント」という単語が登場し、読者は主語を見失い混乱に陥る。これが最初の問題点である。もう一度冷静に読み返して主語を探してみると、実はこの文章には主語がないことがわかる。この文章の述語にあたる部分は「~という言説でした」であり、これを考えると主語は「言説は」になるはずであるが、マシンガン当職の中にこれに類する言葉はない。しかし文中に「当職が」「成りすましアカウントが」など主語を連想させる言葉がいくつかあり、これにより読者は主語があるものと誤認、しかしその「主語に見えるもの」が文末と一切つながらないため混乱を生じるのである。
・不要な「当職」の濫用
文中の「当職」の数がやたらと多いのがマシンガン当職がマシンガン当職であることの理由だが、無論これも混乱を生む原因の一つである。
本文中で明らかに不要な「当職」が二つある。それは「当職が卑猥な動画を見た~」の「当職」と、「当職への名誉毀損を試みた~」の「当職」である。「当職がアプリを連動させ」たなら児ポを見たのが「当職」なのは言わずともわかる。また「当職の成りすましアカウントが試み」るのが「当職への名誉毀損」なのも当たり前であり、ここも説明不要。こうして不必要に「当職」を多用すると、読者は一々「当職」という言葉に注目しなければならないため無用に神経を使うことになる。
・「名誉棄損を試みた行為」
文章後半の最大の混乱ポイントである。「名誉毀損を試みた行為」と書かれると、一見しただけでは「名誉毀損を試みた(という)行為」と解釈するのが自然だ。しかしこの解釈のまま読み進めると直後の「当職によるものなどという言説でした」という文章で躓く。さきほどのように「行為」が「名誉毀損を試みたこと」だとするならば、この文章は「成りすましアカウントを作ったのは尊師の自演」という意味不明な文章になってしまう。文章の真意はもちろんそうではなく、ここで述べられている「行為」は先ほどから長々と説明している「成りすましアカウントが尊師を装って児ポ視聴ツイートを行った」ことであり、「名誉毀損を試みた行為」は「名誉毀損を試みた(、先述したような)行為」と補完するのが正しい。ここはせめて「試みて行われた行為」とすべきであり、「試みた行為」とするのは文章の解釈を無闇に難解にするだけである。
・「などという」の二重使用
文中には「当職が卑猥な動画を見たなどという、当職の成りすましアカウントが当職への名誉毀損を試みた行為を当職によるものなどという言説」と、「などという」が二回登場する。文末が「言説でした」であることから、「などという」は「言説」の内容を指すものだと読者は考える。しかし文章中には「などという」が2つ存在するため、一体どちらが「言説」のことなのか、一見するとわからない。しかもそれぞれ「当職が卑猥な動画を見たなどという(言説)」「当職によるものなどという(言説)」と、両方とも自然につながってしまう内容のため、読者はどちらをとればよいのかますます混乱することになる。また実際にはどちらも同じことを述べているのだが、先述した「名誉毀損を試みた行為」により2つ目の「などという」は別の内容だと誤解してしまうことも混乱の助長に一役買っている。
・文章の区切りの失敗
日本語は文章をいくらでも引き伸ばすことが出来るため、一般には途中途中で読点を打ち、内容を整理させる時間を与える。しかし尊師はこの読点の使い方をよくわかっていないと推察される。例えば文章の前半は本来「当職がPlay Now というアプリをTwitterアプリと連動させ、当職が卑猥な動画を見た」で一つの区切りであるが、実際の文章は「などという」まで続けてから読点を付けるオーバーランを犯している。後半に至っては読点が一つもなくそのままノンストップで突っ走ってしまっている。こうして妙なところで文章を区切っていることが、知らず知らずのうちに文章のミスリードに繋がっているのである。
以上の内容を踏まえて、なるべく原文を残しつつより分かり易い内容にするとしたら例えばこうだ。
「当職がPlay Now というアプリをTwitterアプリと連動させ、卑猥な動画を見た」などという、当職の成りすましアカウントが名誉毀損を試み(て行われた)行為を(あたかも)当職によるものなどという(デマを振りまいた)言説でした。