131 - 核撃てば尊師 2014/02/28(金) 01:33:50 ID:ZoiSKxsw
修学旅行の思い出
三年一組 唐澤貴洋
今回の修学旅行で僕が一番印象深く残っているのは大歩危遊覧と龍馬記念館です。大歩危遊覧の川下りはあのすごいいきおいの川の流れとすごく冷たい川の水がとても気持ち良かったです。それと龍馬記念館は僕が坂本龍馬という人物が好きだったから楽しかったです。この修学旅行は色々なところを回り楽しい旅行でした。
文化祭について
三年一組 唐澤貴洋
まず初めに書いて置きますが、僕は文章を書くのは得意ではないので読みにくかったらもうしわけありません。
文化祭というと食べ物や色々な賞品があるように思ってしまうが、私たちの学校はちがいます。文化祭の名のとおり文化に関係したものを追求します。
僕の組三年一組はひょんとしたことからAIDSを企画とした扱かうことになりました。AIDSというのは今大変世間でさわがれている不治の病で、それをふざけてやったりするのは大変患者の人に失礼であります。ですからAIDSを扱うのはけっこう大変なことでした。
僕たちはAIDSを色々な方面で見ました。あげてみると、
○患者の人への偏見 ○AIDSの世界分布 ○新聞で扱かわれたAIDS関係の記事とAIDSに関する書籍 ○動物のAIDSなどを各班に分担して調べました。
僕の班は、AIDSに関する新聞記事や書籍を調べたんですが、これがさすが世間でさわがれているだけあって新聞ではほとんど毎日扱かわれ、書籍でもたくさんAIDSに関するものがありました。それだけ世間の人はAIDSに興味があることがわかりました。
だけれどもそれはまだ興味の段階でちゃんと理解していないのではないかと思った。そんなことではAIDSはあっという間に日本をおおってしまうんではないかと思ってしまいました。そんなことをさせないためにはマスメディアをつかいAIDSというものを日本人の心の中にきざみ恐怖心を植えつければ日本人はAIDSにもっと協力的になるのではないかと思いました。僕の考えはこれくらいにし、話を仕事の話にします。
文化祭前に僕たちは何とか作業を終わらせました。そしていよいよ文化祭当日になりました。始めはこのような企画はまじめすぎて誰も入らないんではないかと思いましたが始まってみると全然違いけっこう多くの人が三年一組を見ていってくれました。これは僕はとてもうれしかったです。企画倒れとか思っていたのがその反対だったので。何の賞もとれなかったけれども良い文化祭だった。高校へいっても文化祭があると思うが心に残せるような文化祭がしたいです。
(無題)
三年一組 唐澤貴洋
在校生におくる言葉。考えてみると何もない。別に何を引き継ぐとかこの学校の伝統を守ってくれだとかそんなことはこれっぽっちも頭の中にない。ただ思うに自分のことを考えるようになれればそれでいいと思う。それと勉強、自分のことを考え人のことを考えれるようになれば中学に行ったことは決してむだではないだろう。
中学時代
唐澤貴洋
僕はこの法政大学第二中学校に入って果たしてよかったんだろうか、わるかったんだろうか今、中学三年目にして考えている。
僕は小学生の時に受験勉強をしてここに入った。僕はうながされるままに受験勉強をした。卒業文集を書いているのに自分のぐちを書いているみたいでどうかゆるしてください。では続きを。
受験勉強していろいろな中学校を受け、受かったこの学校に入った。 僕は中学に入って何をつかんだろうかと思う。中学に入ってくだらない知識(それは勉強ではない)は頭の中に入っていった。僕は人間的に成長したんだろうか。小学校、総理大臣になるといっていたあのころから大人になれたんだろうか。ただいろいろなくだらない知識で増長してしまっただけだと思う。僕は体は大きくなっても子供と全然変わらないだろう。物がほしいからといって親をこまらせていたりする。僕は勉強は中学であまりしなかった。だがこう思う。もっと人間・自分を考える時間をつくるべきだと。いろいろ口で言われるよりも人間的にまともになるだろう。僕は中学でいろいろ見た。人の心のいやなところなんかを。僕はそんないやなところはもたないように努力したい。人の悪口いってよろこぶようなことは絶対やらないようにしたい。
だけれどもこういうことを自分で思えるようになっただけでもよかったと思う。今かいてあることはうわっつらではない。自分が思っていることを書いている。中学時代これはいろいろなことがあった良かったことも悪かったこともあった。
もう卒業だし思い残すこともないし書きたいことももうないのでこれでこの文章は終ります。
ではさよなら法政二中