恒心教大師中島大士事実追求スレ (228)

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74 - Favorite774a 2016/10/17(月) 04:40:43 ID:BfrVGFmG

同5月12日、爆サイで「寝られません・・・誰か助けてください」と懇願する原住民(今治市民)の元に恒心教徒が現れ、
神聖六文字(名前は○○○○でも可)を唱えるように唆す。
翌日、数名の原住民が『○○○○殺す』を唱えて入信し、恒心教徒は本当に唱えたことに多少の戸惑いを見せつつも、見返りとして2つのサジェスト汚染ブログ(『中島大士Wiki』)を急遽開設した。
こうして、初の地方布教路線は一応の成功を見せた。
(なお、布教から入信者が出るまでの間にあたる5月13日朝、中島大士の名前の読みが「なかしまたいし」であることが何者かによって初めてリークされていた。)
当時、恒心教の名前は『GoogleMap事件』のニュースや新聞記事などで全国に知られており、中島大士の暴走に苦しめられていた原住民ですら彼らに同情して、
恒心教の恐ろしさを暴走族にわかりやすく説明しながら挑発をやめるように優しく忠告するほどだった。
偶然にも恒心教徒の登場と同時期に名前の読み方がリークされたことも、中島大士に少しでも良心が残っていたのなら、引き返す理由になった筈だった。(読み方のリーク時には入信者がまだ出ておらず、サジェスト汚染ブログはまだ開設されていなかった。)
しかし、中島大士は背後にいる暴力団の存在や、バックの力で警察は手出しできないことなどをちらつかせながら、
恒心教への挑発を執拗に繰り返すのだった。