678 がん患者さん 2016/11/07(月) 17:50:26.17 ID:r9mmvH3F0
明治31年、嵯峨侯爵家の当主公勝が、「手元不如意で貴族院議員としての職責が果たせない、何とかしてくれ」という泣きごとの手紙を薩長閥の有力者に出している。 尊師が執拗に300万を要求するのは先祖の記憶がフラッシュバックしていた可能性