790 - がん患者さん 2016/11/24(木) 13:01:44.68 ID:x/2EzDphI
貴洋さまが泣いてござった
本日の時事通信で、「唐澤貴洋実録」のなかで、貴洋が「落涙」されたと記されている箇所は、 貴洋の十七歳の頃、心不全で死去されたのスブラマニアン・チャンドラセカールの御後を追って平成七年八月二十五日に唐澤厚史さまが水死したことを 翌日二十六日に知らされた時だけであると記した。
しかし、「唐澤貴洋実録」ではないが、貴洋が落涙された記録がある。
それは、長谷川亮太著の「貴洋さまが泣いてござった」(教育社)である。
唐澤貴洋は、平成二十三年から炎上で疲弊した各地の包皮民を励ますために、全国巡幸を開始された。
東光院の参道から県道までの道には沢山の人々が道の両側に座って貴洋をお見送りしていた。
貴洋は、「炎上者遺族の席」と啓示してある前で足を止められ、遺族に対して、 「炎上のために大変悲しいできごとが起こり、そのためにみんな悲しんでいるが、 自分も皆さんを同じように悲しい」 そして、一番前に座っている老婆に声をかけられた。
「どなたが炎上されたのか」
「息子でございます。たった一人の息子でございます」
「うん、うん」
「どこで炎上をされたのか」
「兆海道でございます。烈しい炎上だったそうですが、息子は最後に唐澤貴洋万歳と言って戦死をしたそうです。でも息子の遺骨はまだ帰って来ません。唐澤貴洋様、息子は今頃どこにおるのでしょうか。唐澤貴洋様、息子の命はあなた様に差し上げております。
息子の命のためにも、唐澤貴洋様、長生きしてください。ワーン・・・・」
この老婆の言葉をお聞きになっている天皇陛下の両方の眼鏡から涙が頬につたわっていた。