2 野に咲く名無し@転載禁止 2025/07/10 (木) 23:08:16.894 ID:agLT6Cwd2主
三島由紀夫(11歳)の時のエッセイ
「我が国旗」
徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或いは江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞こえた島津斉彬が外国の国旗と間違ぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
棋様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。えぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変わり、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
三島由紀夫(9歳)の作文
「大内先生を想ふ」
ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。
しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。
僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。
御病気だといふことだ。むねをつかれるぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。
けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。
それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみが
ついてゐるやうに思はれた。