世界史学習スレ inバリュケー (519)

←← 掲示板一覧に戻る ← スレッド一覧に戻る

37 - ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY 2021/07/11(日) 02:27:23.55 ID:Ofzvikew0

続く
それなのに突然ビザンツ帝国が間に介入していたことでアジアとの繋がりは作れていたのにいきなりアジアと交易するワンクッションがなくなれば厄介なことになってしまいまふ
オスマン帝国も非ムスリムの受け入れにはものすごく寛容だったと思いまふが、交易面ではやはり対キリスト教意識は強かったのかと思いまふ(そうでもなければジェノヴァが持っていた黒海の商業利権を脅やかすなんてことはしないはずでふ)
ビザンツ帝国に取って代わった大国がキリスト教とうまくやっていけないとなればこれまで以上にアジアとの繋がりは作りにくくはなってしまったわけでふ
セリム1世やメフメト二世によるアジア・アフリカへの遠征も対西欧諸国意識故かと思いまふ
これは西欧にとっては効果抜群で西欧もインドとの繋がりがほしがったのをまるで分かっていたかのように早期からインド洋・シルクロード経由で香辛料や綿花、象牙、砂糖の獲得に成功しておりまふ
要するに対キリスト教・対西欧諸国を徹底したためビザンツ帝国の時のように西欧諸国がアジアと繋がれなかった、それ故西欧とアジアとの架け橋がなくなったというよりかは意味をなさなくなったというのが正しい言い方でしょうか(ただ資料まではスミマセン・・・)
なので西欧はインドに行きたいならオスマン帝国が邪魔なので大西洋経由でインドを目指した(そうせざるを得なかった)という話にも繋がってきまふね
計画の緻密さはもちろんのこと、メフメト二世のようなカリスマの存在、更には当時には珍しい多民族国家という点も結果600年の繁栄に繋がっているのかと当職は思っておりまふ