28 - ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY 2021/07/21(水) 02:02:15.59 ID:2AXk8rW50
当職もドゥルーズに関しては詳しく知らないでふ
写像理論とは簡単に言えば、言語は世界の各々部分を切り取り鏡を通して見える写像のようなものであるという考え方でふ
現実の世界は一つ一つの事実(例:「唐澤は無能だ」という「客観的事実」)が集まることで成立しており、一方文章は世界の何かしらの1つの事実を切り取って言語化したものである(例:「唐澤は無能だ」という事実を「文章」にしたもの)
となれば文章をすべて分析すれば世界すべてを分析できるはずだ!と考えました(理論上確かめられないと事実と文の対応が成立しなくなるため)
逆に確かめることが不可能な文は理論から外れることとなるが、それに該当する文は少なからず存在していたのでふ(例:長谷川はもうこの世にいないという父マンコーからのリークなど)
そうすると事実が確認できない以上事実と呼べず、言語化することは当然不可能でふ
なのでウィトゲンシュタインは事実が確認できない事象は「言葉の誤用」であると捉え、従来の哲学はこの「言葉の誤用」で溢れかえっているのだと考えました
そして事実と文の対応が成立しないものは「語ることのできない」事象であり、それ故「沈黙せねばならない」と結論づけ、一旦哲学界から姿を消しまふ
その後小学校の教師になったが児童をぶん殴ってソッコー首になったので再び戻ってきまふ
写像理論の次に考案したのが言語ゲーム論となりまふ