6 - ニヒケー元コテ ◆AbDmhTCTZY 2021/10/04(月) 01:13:11.82 ID:ZrO4N52w0
恐らく貴職がイメージする忍者とは違うと思いまふが、松尾芭蕉が忍者ではないかと疑われた理由の一つに奥の細道と同業者の曾良旅日記の記述との間にあまりにも異なる記述が見られまふ(例えば道程や天候や宿泊地や人名など)
更に奥の細道上では2400km余りを半年も経たないうちに歩ききったとあるのでふが、これは当時46歳の芭蕉からすればだいぶ早かったのでは?と思われまふ
更に不審な点がいくつかあり、「松島や ああ松島や 松島や」とあれだけ絶賛した松島を1日で通過したという奥の細道の記述上の違和感に加えて、曾良旅日記には仙台藩の瑞巌寺などをじっくり巡ったと記載されていまふ
このことから仙台は隠密に偵察を行った=スパイ行為という疑惑が生じたというわけでふ
中には芭蕉ではなく同業者に方が実は忍者だったのではないかという説までありまふ
他には外様大名の有力藩の領地(仙台藩は特に)を中心に巡っていたというのも偵察疑惑に繋がっており、更に旅路の経費はどこから出ているのかという問題もありまふ(ただ旅費に関しては現地補填で何とかなっていたという見解のようでふ)
以上の点が忍者疑惑が生じる所以であり、その忍者という言葉の発端は松尾芭蕉が伊賀出身ということに起因しまふ
ただ奥の細道は紀行文ではなくフィクションだと考えると矛盾は一気に解消されそうでふ(そういう見方もありまふ)
ありったけの違和感をつなぎ合わせ芭蕉の出身地をネタに忍者説を作り上げたと考えた方がよいかもしれませんを