694 - 無名國民黨員@すべてCC BY-ND 4.0 2017/05/05(星期五) 03:06:55.55 ID:r9LL7oBK0
高島平伝承「へきへきの怪」
昔々、このあたりに高橋の嘉やんという者がおった。嘉やんはある時、稼業の鍛冶を辞めて寺子屋を始めることにした。
しかし見よう見まねで始めた寺子屋はうまくいかず、通う者は誰もいなかった。嘉やんの家は貧しくなり、家族を食べさせていけなくなった。
嘉やんは恨んだ。自分と何一つ変わらないのに、自分より成功している者全てを恨んだ。そんな奴らは、一人残らず消えちめえと願った。
そんな時、嘉やんの元に「へきへき」という妖が出た。へきへきは人の妬みや憎しみを食べにやってくる。へきへきは言った。「魂を寄越せば、その願い、叶えてやろうぞ。」
嘉やんは一も二もなく飛びついた。そして、自分の知る成功した者を一人ずつ取り愛していった。
ところが、久方ぶりに外に出た嘉やんは気づいた。世の中には、自分より成功した者が星の数ほどいるということを。通りを歩く者、店を出す者、全て自分より成功しておるではないか。
そして嘉やんは、世の中の全てを憎むようになった。
嘉やんは町へ向かうと、まず手近な風呂屋へ行って、目につくものを片端から取り愛していった。井戸端、宿屋など、人の集うところを所構わず襲っていった。
そして、行く先々で成功話を耳にすれば、その者を襲いにも行った。東に人気の浄瑠璃があると聞けば、その座を襲い、西に稼ぎの良い胴元がいると聞けば、その賭場を襲った。
嘉やんの噂はそこいら中に広まった。へきへきに操られた嘉やんは「なりを、なりを」と呟くので、近くにおれば誰でも分かった。
いつしか誰もが「なりを、なりを」と鳴く人の形をした物の怪を避けるようになり、嘉やんが出たと噂が立つと皆が長屋の雨戸をぴったりと閉めるようになった。
嘉やんはそんな様子を見てまた強い憎しみを持ち、今度は不用心な長屋を片っ端から襲うようになった。嘉やんは次第に眠りを忘れるほど遠くへ行くようにもなった。
あちらこちらへと向かううち、ますます嘉やんの妬み恨みは募っていった。憎しみをたらふく食ったへきへきはどんどん肥え、嘉やんそのものを取り込んでしまった。
嘉やんはついに人の心を無くしてしまった。嘉やんは二度と元の家には帰らず、虚ろな目をして「なりを、なりを」と呟きながら、人の匂いのする場所を探して彷徨うだけの物の怪になった。
そして、心配した妻と子がやっと見つけたときには、身ぐるみ剥がされ川の中で死んでおったそうな。
それからこの場所では、恨みを募らせた者が「なりを、なりを」と呟きながら、人を襲うようになったとさ。