【麻原彰晃】雑談★9.1【旧尊師】 (16)

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6 - 無名國民黨員@すべてCC BY-ND 4.0 (sage) 2017/05/09(星期二) 23:21:30.76 ID:7UqhGeB+0

例えばここにだよ、Aさんという人がいたと。いいですか。このAさんは生まれて今まで功徳を積んでいたので、このままだと天界へ生まれ変わりますと。
いいですか、ここまでは。じゃあ次の条件ね。ところが、このAさんには慢が生じてきて、この後、悪業を積み、そして寿命尽きるころには、
地獄に落ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうと。いいですか。こういう条件があったとしましょうと。

つまり、ここで出てくるのは天眼、来世を見つめる力、あるいは宿命、前生の力、あるいは漏尽、相手のカルマを完全に見つめる力といったような、
いろんな神通力の要素がありますよと。いいですか。

じゃ次にだ。このAさんを、ここに成就者がいたとして、殺したと。この人はどこへ生まれ変わりますか。天界へ生まれ変わる、そのとおりだね。
しかし、このAさんを殺したという事実をだよ、他の人たちが見たならば、人間界の人たちが見たならばね、これは単なる殺人と。いいかな。
そして、もしだよ、このときにAさんは死に、そして天界へ行き、そのときに偉大なる救世主が天界にいたと。
そして、その天界にいた救世主が、その人に真理を説き明かし、永遠の不死の生命を得ることができたとしましょう、Aさんが。いいですか。
このときに殺した成就者は何のカルマを積んだことになりますか。

すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで例えば、生命を絶たせた方いいんだと考え、ポアさせたと。
この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか。殺生ですかと、それとも高い世界へ生まれ変わらせるために善行を積んだことになりますかと。
ということになるわけだよね。でもだよ、客観的に見るならば、これは殺生です。客観というのは人間的な客観的な見方をするならば。

しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。