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エッジ上の名無し
2023/09/26(火) 21:56:31 ID:eQOM8VPI
>>83
「戦後の復興期はお米が足りない状態だったため、アメリカからの小麦でパンを作り、それを給食に提供していました。
しかし、日本はもともと米文化の国。日本の経済復興とともに、子どもたちや保護者からはお米を求める声が多くなって
いったそうです。でも、米飯給食はすぐには実践されませんでした。それは、一つはお米と小麦(パン)の価格差にありました。
お米よりも小麦粉の方が安く、手に入れやすかったからです。二つ目は、米飯導入に係る施設設備の問題です。
学校で炊飯するには、その炊飯設備が必要ですし、その手間もかかります。また仮に、炊いたご飯を購入するにしても、
ご飯を大量に炊飯してくれるところがありませんでした。1976(昭和51)年以前に給食でお米を食べていたのは、
お米の栽培が盛んな地域や、独自の流通ルートを持っていた市町村のみでしょうね。そういったところでは自宅から
ごはんだけを持参する給食を実施していて、埼玉県の一部の地域では今もそれが続いています」(吉田さん)
https://news.cookpad.com/articles/47717
「戦後の復興期はお米が足りない状態だったため、アメリカからの小麦でパンを作り、それを給食に提供していました。
しかし、日本はもともと米文化の国。日本の経済復興とともに、子どもたちや保護者からはお米を求める声が多くなって
いったそうです。でも、米飯給食はすぐには実践されませんでした。それは、一つはお米と小麦(パン)の価格差にありました。
お米よりも小麦粉の方が安く、手に入れやすかったからです。二つ目は、米飯導入に係る施設設備の問題です。
学校で炊飯するには、その炊飯設備が必要ですし、その手間もかかります。また仮に、炊いたご飯を購入するにしても、
ご飯を大量に炊飯してくれるところがありませんでした。1976(昭和51)年以前に給食でお米を食べていたのは、
お米の栽培が盛んな地域や、独自の流通ルートを持っていた市町村のみでしょうね。そういったところでは自宅から
ごはんだけを持参する給食を実施していて、埼玉県の一部の地域では今もそれが続いています」(吉田さん)
https://news.cookpad.com/articles/47717