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エッジ上の名無し
2023/10/02(月) 00:35:05 ID:dXwHPRmb
かくて早慶両校は一躍球界の頂点を争う存在となったが、それは同時に応援合戦の過熱も招き、1906年(明治39年)10月28日、第1戦に勝利した慶應の学生が大隈重信邸・早稲田正門で万歳を行えば、11月3日の第2戦に勝利した早稲田の学生も福澤諭吉邸・慶應表門に大挙して万歳三唱を行うなど、両校応援団は一触即発となる。応援席の配分を巡る混乱もあって、険悪な状況となった。更なる事態の悪化を危惧した両校当局は11月11日に予定されていた第3戦を中止、以後早慶戦は長い空白期間に入る。