18 それでも動く名無し@転載禁止 2022/11/05(土) 22:25:27
る。そんなえらい人が月給四十円で遥々はるばるこんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩けんかの一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇やとう前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘うそをつくのが嫌きらいだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断ことわって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布さいふの中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜おしい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底とうていあなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇おどささなければいいのに。
そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並ならべてみんな腰こしをかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人ひとりびとりの前へ行って辞令を出して挨拶あいさつをした。大概たいがいは椅子いすを離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭うやうやしく返却へんきゃくした。まるで宮芝居の真似まねだ。十五人目に体操たいそうの教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向むこうは一度で済む。こっちは同じ所作しょさを十五返繰り返している。少しはひとの了見りょうけんも察してみるがいい。
挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の