マヨケー発狂部 (1001)

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364 [´・ω・`] tor-exit-174.relayon.org 2023/06/17(土) 00:37:04.42 ID:P0EYhKzx0

で、何をわたしが今言いたいかというと、いよいよオウムが、ヴァジラヤーナのプロセスに入ってきたと。そして、このヴァジラヤーナのプロセスというのは、善も悪もないと。
ただ心を清め、そして真理を直視し、目の前にある修行に没頭し、あとは神聖なるグルのエネルギーの移入によって成就すると。
大乗においては、善行というのはものすごく重きが置かれる。小乗においては、遠離というものが中心となる。そして、金剛乗においては、強い帰依、それからエネルギーの流れ、これが重きを置かれると。
では、この三つというものはいったい、どのようにして違うのだろうかと。小乗の世界というものは、この苦というものが存在している中に自己を置いて、そしてその苦悩、苦からすべて離れると。そして離れることによって、まあ言い方を換えれば「離れる」という言葉が合わなければ、「押し退ける」といった方が正しいのかもしんない。押し退けることによって自己を現象と隔離し、そして自己を見つめ、解脱すると。これが小乗のプロセスである。
大乗というものはどうかと。もともと苦というものは存在してるんだと。そして本当の意味でのすべてを知るためには、その苦を直視しなければならない。そして直視すると。そうすると、例えば善行をなせば、苦というものの総量はどんどん減ってくると。そして、功徳優位、あるいは完全なる功徳だけの状態になれば、この世というものはすべてが楽に変わると。これが大乗のプロセス。そして、すべてが楽に変わったということは、苦悩から解脱したということになる。
金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶対的な立場に置いて、そのグルに帰依をすると。そして、自己を空っぼにする努力をすると。その空っぼになった器に、グルの経験、あるいはグルのエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまり、グルのクローン化をすると。あるいは守護者のクローン化をすると。これがヴァジラヤーナだね。
そして、オウムのこの三年の足取りは、まず小乗を説いたと。それは、四念処の観によって小乗を説いたと。我身これ不浄なりと。感覚そのものは苦悩であると。
そして、人の心というものは絶えず変化すると。観念というものは自己を苦しめるものであって、それは真実ではないと。身・受・心・法といわれるものです。そして次に『マハーヤーナ・スートラ』をはじめとする善行を説いたと。功徳がベースであると。功徳によってこの現象は変わり得ると。
そしてあなた方、わたしの弟子は激しい修行によって自己を空っぽにし、グルだけを意識することによって、グルの神聖なエネルギーをあなた方に注入されると。それによってあなた方は霊性の向上を行なうと。