785 一杯のかけそば (一杯のかけそば) 2020/02/09(日) 18:03:35.13 ID:x54BjouP0
そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
教育神島田亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。
いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。
10時を回ると島田亭の客足もぱったりと止まる。
頃合いを見計らって、人が良く超有能で仕事はできるのだが無愛想な主人に代わって、
常連客から女将さんと呼ばれている島田さんの妻は、
忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、パートタイムの従業員を帰した。
最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと話をしていた時、
入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、2人の子どもを連れた男性が入ってきた。
20歳代のふたりの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、男性は季節はずれの
異臭漂うニューヨークヤンキースの半袖パーカーを着ていた。
「いらっしゃいませ!」と迎える女将に、その男性はおずおずと言った。
「あのー......かけそば......1人前なのですが......よろしいでしょうか」
後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。
「えっ......えぇどうぞ。どうぞこちらへ」
煖房に近い2番テーブルへ案内しながら、カウンターの奥に向かって、「かけ1丁!」 と声をざるる。
それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら
「あいよっ! かけ1丁!」とこたえ、青イソメ1塊りと、さらに半個を加えてゆでる。
青イソメ1個で1人前の量である。
客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそば(青イソメ)がゆであがる。
テーブルに出された1杯のざるそば(青イソメ)を囲んで、額を寄せあって食べている3人の話し声が
カウンターの中までかすかに届く。
「おいしいね」と兄。
「お父さんもお食べよ」と1本のそば(青イソメ)をつまんで父親の口に持っていく弟。
やがて食べ終え、440,000円の代金を支払い
「ごちそうさまでした」と頭を下げて出ていく父子3人に、
「ありがとうございました!どうかよいお年を!」と声を合わせる教育神と女将。