【飴綜合】飴戦争の真実【再】 (181)

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81 グナマーナ正大師 2015/02/23(月) 09:34:21 ID:KAWuX7d2

記憶を頼りに飴を知っている教徒が少ない理由を考える

初代と二代目カラケーはほとんど人がいなかった
それが三代目になって急に人が集まり活気付くようになった
何故かというと二代目の閉鎖の経緯もあるけれどなによりなんJ(2ch全域だったかも)が超大規模規制を食らってたから
規制がけんまを呼びけんまが規制を呼びといった状況でなんJから締め出された唐澤民が居場所を求めて三代目に大挙して押し寄せていた
それが時間が経つにつれ規制が緩くなり始めたのでなんJに帰る人間が増え、また当時は布教なんて大して重要視されてなかったこともありカラケーは排他的な雰囲気が強かった(なんJのやつらと当職たちは違うという選民思想的ななんJ煽りの書き込みとそれを諌める書き込みの流れというのが定番だった)ので三代目の教徒は精鋭化されていった
飴戦争はその教徒が精鋭化されていた時期に始まった
更に飴騒動が始まってしばらくに三代目が閉鎖、当時はまだ移住のメソッドが確立されていなかったこともあり日が経つごとにどんどん教徒がふるい落とされていった
せやから古い教徒でも飴騒動を知っているものは少ない