【平田信】雑談★97【ポーシャ師長補】 (1000)

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148 グナマーナ正大師 (sage) 2015/05/02(土) 21:03:32 ID:.cwIxVRY

>チベット仏教によれば,人の死後,その魂15)は肉体から離れ,「業(ごう)」に従って次の転生へと向かっていく。

>輪廻転生を信じるチベット族にとって,魂が抜け出た後の遺体はただの抜け殻であるから,遺体を解体して鳥に捧げても,残酷で不敬な行為には当たらない18)。
むしろ布施の功徳があると信じられ,また,死者がよりよい来世を得られるよう善行を積む行為だと考えられているのである。

>チベット族の墓には死者の名前など刻んだ墓碑はない。L.G.氏の言葉を借りていえば,「遺灰はただの外殻にすぎない。墓はただ死者の外殻を覆っているだけで,死者の魂は墓の中にはいない。死者はもう他のところへ行ってしまったのだから。人界なり地獄なり。とにかく49日以後はもう行ってしまったのだ。」というわけである。

>水葬は首吊り自殺など非業の死者に限られる。同地域での水葬は,顔を上に向けた状態で,体に石をくくりつけ,ゆっくり入水させる(張実2011:67)。また,羊拉郷人民政府内で閲覧した内部資料によると,羊拉郷の水葬には2パターンあり,ひとつは遺体を丸ごと水に流す方法,もうひとつは遺体をバラバラに解体してから水に流す方法である。棺材も遺体を流した後に分解して流すと書かれていた。

>金沙江の流れは激しいため,遺体は自然と解体され,魚の餌になる。このような水葬は遺骨も残らないため,墓も作らない。何となく寂しい気もするが,迪慶のチベット族にとって水葬は,一種の光栄な,最大の善行なのだということが,以下文献からも追証できる。

http://kuku.lu/s2e89af
雲南省におけるチベット族の葬儀に関する資料からの引用です
尊師が死んだ弟を用水路に投げ込んだのは純粋な善意からだったのではないのでしょうか