唐澤貴洋一族追求スレ (451)

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108 グナマーナ正大師 2015/05/19(火) 19:33:10 ID:mzUAZy8Y

>>102
登記簿に書かれた相続情報等からの推測、ということでしょうか


今日は河野房の二人の甥について調べてきました

・村井潤三
朝日新聞 1985年5月22日 朝刊 23頁 東京
村井潤三(むらい・じゅんぞう=更栄証券会長)
二十一日午前九時五分、咽頭腫瘍のため、東京都新宿信濃町の慶應病院で死去、六十六歳。
葬儀・告別式は二十三日正午から港区赤坂一ノ一一ノ三の正福寺で。社葬は未定。喪主は長男護(まもる)氏。
自宅は大田区久が原六ノ六ノ六。

・村井啓三郎
佐藤朝泰『豪閥―地方豪族のネットワーク』によると、啓三郎の妻章子は、第一生命保険社長の濱口吉兵衛。

濱口吉兵衛(麒蔵)
1892生/銚子醤油会長、第一生命社長/
10代吉右衛門の弟、濱口吉兵衛(叔父)家に養子入り・妻はその娘
http://episode.kingendaikeizu.net/23.htm

吉兵衛の姉妹の尚子は侯爵嵯峨実勝に嫁ぎ、その娘浩は「ラストエンペラー」愛新覚羅溥儀の弟・溥傑の妃になります。
唐澤貴洋にとって、皇室よりも大清帝国皇帝一族の方が家系図上は近い存在と言えるかもしれません。


房に関してですが、彼女がわざわざ朝鮮に渡ったというのもおかしいので、一三は広島時代に結婚していたと考えるべきなのでしょう。